どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

過去、今、未来

楽雲庵塾を長いこと読んでくれている塾生のみなさんは、ご存知かもしれないが、
俺は過去を大切に生きている。

そりゃあ、今も、未来も大切だけど、
過去も同じくらいか、もしくは、それ以上に大切にしている。

この楽雲庵塾にしてもそうだ。
ほとんどが、過去の物語であり、
俺の残しておきたい記憶と記録。

部屋をみても、ショーケースがあり、
過去の大切なものを所狭しと並べている。

しかし、過去に戻りたいかと聞かれれば、
戻らなくて良いと答える。
20代を終えかけているのは、
悲しいことではあるが、
やっぱり戻らなくて良い。

それは、楽しいことばかりじゃなかったから。
もう一度、大学受験をしろと言われれば、
あの浪人生活を、同じように送れる自信はないし、
働き始めた頃の社会の厳しさを、もう一度味わいたくもない。
とにかく苦しい時期をもう一度、乗り越えていく自信がない。
その時、その時の一度限りだったから、
燃焼していけるところもある。

俺が過去を大切にしているのは、
たぶん思い出話をしたいからなんだろう。

思い出話は、多ければ、多いほど良い。
たぶん、今、やっていることも、思い出話としては、なかなかのものになっていると思う。

そりゃあ、当たり前のように、あまり思い出したくない過去もある。
そこは、都合がいいことに、思い出さない。
意識下の底。

あとは、失敗した時、
「あ〜すれば良かった。こうすれば良かった」ってのは、なしにしている。
桜を観に行った帰りに、鍵を落としただとか、
高速道路を運転していて、車から煙りが吹き出して、廃車になっただとか、
金で取り返せることは、働けば良いから、そこは振り返らない。
馬鹿な失敗談として、話のネタが増えるだけ。

本当は、未来をもっと具体的にイメージできるほうが、
未来を手中におさめることができるんだろうと思う。
だけど、どうも、そんな先まで見渡せない。
何度か、試みたが、今だ見渡せない。

まあ、見渡せはしないけど、
今と過去をみて、
なんだかんだ、漠然とでも想っていたことが、
実現していたりなんかもする。


後で、俺の物語を俺が読んだ時に、
壮大な冒険譚となるよう、
今をドーンと生きることにしよう。