どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

ホワイトデーに海産物を贈る

 「飛ばされたのが確定したときから、店は即座に追い込む側よ。だからホステスも飛ぶか、その根性がなかったら、なんとかべつの店に移ってアドバンスを立て替えてもらうとか?まあどっちにしても、借金漬けよね」

 「そういうことって、よくあるんですか」

 「まあね」

 「ホステスさんが飛ぶって、どうするんですか」

 「そうねえ」

 琴美さんは、わたしの顔を見た。

 「消えるの」

 「消える?」

 「そう、消えるの。誰も追いかけてこられないところに」

 川上未映子『黄色い家』p103

 

 川上未映子『黄色い家』をコメダで読みながら、消えるだ、と思った。死にたいと消えたいの違いについて考えていて、『黄色い家』でいう消えるとは違いがあるのだろうか?と考えていた。その場所から、存在を消したい。逃げたいという言葉に近いのだろうか。ただ、逃げたいという言葉ではないのだから、また、微妙にニュアンスが違うのだろう。

 『黄色い家』は、2024年本屋大賞にノミネートされている作品であり、そのことを知って、また読みかけの『黄色い家』の続きを読むことにした。この作品は、映画化されるのではないだろうか。

 『黄色い家』を読んだり、携帯電話を操作したりしていると、携帯電話のXで、江頭2:50が、入学式か何かでスピーチしている動画を目にした。いつかも見た動画なのだが、もしかしたら、いつかも見た動画じゃないかもしれないと思ったのもあって、再び、見た。

 江頭2:50は、「悩んだら、俺を見ろ。悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるから」と魂の叫びというような口調で叫んでいて、私は、うるっと来た。うるっと来たところで、コメダを出て、人間は、そもそも弱い存在である、というようなことが頭をよぎった。

 

 そこから、ホワイトデーの贈り物を買いに札幌駅周辺に向かった。ネットで買おうかとも思って、あれこれ見ていたのだが、ピンと来るものがないというか、何を買っていいかわからなくなり、私が食べたいものを贈ろうと思って、佐藤水産で買う事にした。ホワイトデーで海産物というのも何とも合わない感じはするけれど、海産物は北海道って感じもするし、と思って、佐藤水産を訪れた。思いのほか高いな、と思ったけれど、感謝の気持ちが伝われば良いな、と思って、14日の19時以降に届くように日時指定をして、佐藤水産をあとにした。

 

 

合格発表

 妻の実家に住む姪が大学受験で合格したのを義母からLINEで知り、私たち夫婦は一緒に喜んだ。その大学は、私たち夫婦が何年か前に芸術祭か何かをしていた時に訪れた大学で、私たち二人も、こんな大学に行ってみたいね、という大学だったから尚更のことだった。妻は姪に合格祝いで、鞄を買おうか、それともタブレットを買おうかとつぶやいていて、姪に惜しみなく、お金を使うね、と私は微笑みながら、その話を聞いた。

 私たち夫婦には、姪が3人おり、私の妹の娘たちは中学生と小学生で、正月に、妹夫婦に会った際に、姪と話をし、中学校は楽しいかを訊いた。姪は勉強は苦手出し、先生は嫌いと言っていたので、それは中学校に行くのがつまらんな、と思っていたのだが、友達と話をするのは好きだということで、私は、姪に、勉強が全てではないからね、と言った。

 その時の会話を思い出し、姪が心配でならない、とその姪の顔を思い浮かべ、妻につぶやいた。

わかめ油そば

 仕事を終え、自宅に帰ると、注文した記憶のないダンボールがソファの上に置かれていた。エースコックのわかめ油そばを箱買いしたものだった。Amazonで注文したのはわかるのだが、送り主の名前は記載されておらず、誰が送ってくれたのかがわからない。ただ、私がエースコックのわかめ油そばを好きだと知っている人物は一人しかおらず、私は、その人物に写真を添付しLINEを送った。その人物は、お疲れ様です。そうです。笑。この間、スーパーに行ったら売ってまして、もしかして再販したのかなと思いまして、ネットで調べたら一つだけありまして、これは送らなければ、と思いまして。笑。と返信が来た。まして、まして、しつこいな、と思ったが、そのことは送らず、マジで嬉しいと返信した。ほんとはこっちにきた時に送ろうと思っていたんですけど、在庫どこにもなくて参ったなと思っていたら、最近、見つけまして。好きだって言ってましたよね?違いました??と返ってきた。

 

 

137番

 ディーラーから依頼のあった印鑑証明を区役所に取りに行った。発券機から整理券を取り、椅子に座り、私は、太田靖久『ののの』を読んだ。3月だからなのか、いつものことなのか、区役所は混んでいて、私は太田靖久『ののの』を読みながら、椅子で眠りこけていて、気づけば、待つこと2時間を過ぎていた。整理券番号は、必ずしも、数字の順番で呼ばれているわけではなかったので、私は、これから何人待てば良いのか、見通しが持てなかったが、どうも、私の番号である130番台が呼ばれる気配はなかった。機械の音声が、大変お待たせしました。176番でお待ちのお客様、6番窓口にお越しください、と呼ぶ。機械に謝られてもな、とその音声を聞く。待ちきれなくなって、総合窓口のところに行き、私は整理券を出し、いつ呼ばれるのでしょうか、と訊いた。総合窓口の職員が慌てている様子を見て、私の番号は、とうの昔に呼ばれていることがわかった。ディズニーランドのファストパスかのように、窓口に行き、印鑑証明はあっという間に発行された。

 

ののの

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消えたい

 一日のルーティンのように、条件反射かのように、コメダに来ているな、とコメダのドアノブに手をかけた。

 持参した鞄からiPadを出して電源を入れ、書きかけの日記の続きを書き、鞄から、太田靖久『ののの』を開いた。読んでいると、店内に流れる女性が歌う歌がよくて、なんて歌なんだろう、と聴いていると、忌野清志郎『デイ・ドリーム・ビリーバー』を女性ボーカルが、英語で歌っているものだった。

 

 誰かを雇えば良いのかもしれなかったが、人を使うということが嫌いだった。「人を使う」という言葉も嫌いだったし、それらを言い換えただけの柔らかな表現、「手伝って貰う」とか「パートナーとして頑張ってもらう」などもやっぱり苦手だった。

太田靖久『ののの』p78

 

  会議中に、女性が、なんで人を一枚、二枚と呼ぶの?と語気を強めに言い、一枚、二枚と言った職員は、じゃあ、なんて呼べば良い?と聞き返し、一人、二人でいいでしょ、と言い返した場面を思い出しながら読んだ。

 私は、そんなに気にならなかったが、どんな言葉を選ぶかは重要だと私も思っていて、その表現の仕方、何か気になるな、ということは日常でたまあにある。たまあにあるが、私は、めんどくさいのもあってか、指摘することはなかった。 

 『ののの』を読み進めると、死にたいではなく、消えたいという言葉があり、私は、いつかも聞いた消えたいという言葉を考えていた。死にたいという言葉を使うのではなく、なぜ消えたいという言葉を使うのだろう。存在を消したいということなのか、であるならば、存在を消したいということはどういうことなのか、そんなことをつらつらと考えた。

 

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出会い

 職場に出勤すると、早めに出勤していた職員がいて、昨日、私たちが参加した懇親会の感想の話になった。その懇親会で、専門性について語るインターン生がおり、私は残念な気持ちになった。

 知識、技術のみが専門性ではない。私は、知識、技術しかない者を偽者の専門職と呼ぶ。知識、技術を活かすために、根底となる考え方や姿勢が必要である。考え方は、仕事の仕方に変わり、姿勢は、立ち居振る舞いとして現れる。知識、技術が必要ではないと言っていない。知識、技術は必要であり、武器である。専門性を突き詰めたところに、専門性の鎧を脱ぐことができる。まるで、剣の達人が、鎧を纏っていない状態で強いように。

 実は、大切なことって、当たり前すぎるほど当たり前のことで、誰にでもできることなのに、実行にうつしている人は少ない。何で、実行にうつすことができないのだろうか、と言う私の話を聞き、職員は、頭でわかっているだけで、体感してないからですからね、と言い、考えないのは、インターネットですぐに検索できちゃうから、わかった気になるんじゃないですかね、と続けた。その職員は20代である。

 そうかも、と聞きながら思った。その職員は、よく読書をする。読書が想像力を養っているのかはわからないが、考えを深めている職員は、よく読書をする。

 懇親会の席で、では、根底にある大切なものは、どう養うかについて話が発展し、私は、心の中で、出会い、と呟く。出会うことが一番、心を突き動かすから。

 出会いは、直接、誰かと会うことかもしれないし、誰かの講演を聞くことかもしれないし、誰かの著書を読むことかもしれない。

 懇親会の席でも、出会いについての話になり、私は質問をした。すでに出会っている場合もあるじゃないですか?だけど、素通りしている場合もある。すると、その質問をした人は、タイミングも必要だ、と応えた。心を突き動かされるための出会いをするためには、その人に溢れる何かがあるとき、という。

 

『何かを想像する時には、その想像の中で自分が想像していないことが起こりうることを想像しておけ』

太田靖久『ののの』p27

 

『つまりお前の想像の中でお前の想像通りのことしか起きないのだとしたら、それは本当の意味での想像ではないのだ』

太田靖久『ののの』p27-28

 

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今までで一番おいしかった食べもの

「今まで一番おいしかった食べものは何?」

「んー、生茶……ですかね」

「え?」

 中学二年生の女の子に好きな食べものを尋ねたときの会話なのだが、生茶は食べものなのか。生茶はコンビニなどで売っているお茶の商品名である。彼女はその後にこう続けた。

自動販売機で生茶をはじめて買ったんですよー。そしたら、うまっ?と思って」

石川直樹『地上に星座をつくる』p216

 

 冒頭の会話でぼくが絶句したのは、はじめて生茶を飲んだ時のことなんて忘れてしまっていたからだ。そんな記憶に残っていない、新しい何かとの遭遇を繰り返して人はおとなになっていく。歳をとればとるほど、新しい何かは少しずつ減っていき、知っているつもりのことが多くなる。彼ら彼女らの会話や反応を間近で見ていると、自分が未知の世界と出会った瞬間の新鮮な感覚がわさわさと思い起こされた。

石川直樹『地上に星座をつくる』p218-219

 

 石川直樹が醸し出している雰囲気によるところなのか、中学生の返答が自然体で良いな、と思った。私だったら、他所行きの言葉を話してしまうかもしれない。自分をよく見せようと無意識に言葉を発しているような気がする。

 それにしても生茶という回答が良い。私がはじめて食べて、うまっ、と思った、山頭火のしおラーメンを思い出した。

 こうして日記を公開していると、私がこの文章はよく書けた、力作だと思う文章と読者の方の反応が一致しない。案外、自然体の、何気ない日常が良かったりするのかもしれない。

 石川直樹『地上に星座をつくる』も終わりにさしかかった。コメダの隣の席に座る女性3名は、何気ない日常の、夫婦のやり取りを話していた。

 私が居間で寝ているところに夫が帰宅して、夫は、私が死んでいると思ったのか、必死で起こしたと笑っていた。

 私は、聞くとは何にそんな話を聞きながら、気づいたら、コメダで眠っていた。