どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

福祉職の依存労働の必要性について

4月に入って仕事が立て込んでいて、なかなか終わりが見えない。昨日も、仕事を終えて帰り際、本当なら、まだやらないといけない仕事があったけど、遅いし、明日は、休みだけど、朝、皆が出勤する前に職場に来て、仕事をしようと帰ってきた。

 

朝になって、いや、休みは休もうと、気持ちが変わり、結局、仕事に行くことはやめることにした。

 

今月末に引っ越しをする。引っ越しの荷造りをしながら、AmazonのAudibleというサービスを使ったみることにした。本を聴くというサービスで、興味はなかったんだけど、無料期間だし、ポイントが付与されるし。

 

  

聴いたのは、サピエンス全史。 ラジオのように朗読しているのを聴くとはなしに聴きながら、本をダンボールに詰めて行く。こんな時は、良いかもしれない。私は、仕事で車を運転することも多いから、そんな時も良いし、障がいがある方にもこの本を聴くというサービスは良いな、と思った。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

夜は、日ハム対ソフトバンクの試合を観ながら、読みかけの東畑開人『居るのはつらいよ』を読んでいる。

 

先日、書いた依存労働についてを、日常の合間、合間に考えていると、母親だな、ということになった。

 

それぞれの家庭で母親の役割は微妙に違うかもしれないけど、私にとっては、母親は、父親よりも近い存在で、母親の方に信頼を寄せていたような気がする。決して、父が嫌いだったとかではないけれど、それは、依存労働であるところの家事、育児を母親が担っていたからだ、ということになり、福祉職にとっての依存労働は、必要なのではないかということになった。依存労働は信頼関係の構築に繋がる。依存労働をしつつ、その職が配置されている意味を理解し、与えられた仕事をこなす。今のところ、それが私にとっての答えだ。

 

11回表。日ハムの王柏融が、勝ち越しのタイムリーヒットを打った。11回裏のソフトバンクの攻撃は、無死ランナー1塁というところで、テレビ中継は終わった。

 

私は、東畑開人『居るのはつらいよ』の続きを布団の上で読みながら、寝ようと思う。

居るのはつらいよ

本の読める店、fuzkueで気になった本の一冊が、國分功一郎『中動態の世界 意思と責任の考古学』という本だった。

 

 

なぜ気になったかというと、ちょうどその頃、読んでた本が、『シリーズケアをひらく』という同じシリーズの本で、東畑開人『居るのはつらいよ』だったから。

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
 

 

東畑開人『居るのはつらいよ』は、少し大きな本だったので、東京には持って行かず、自宅に置いておいたのだが、東京に行って、先に読みたい本ができたので、途中で読むのをやめて、先に読みたい本が読み終わったので、昨日から、再び、東畑開人『居るのはつらいよ』の続きを読んでいる。

 

精神科デイケアに就職した臨床心理士が、ケアとセラピーについてあれこれ考えるという本。

 

今日、読んでいたページに、「依存労働」という話があって、興味深かった。

 

臨床心理士の主人公は、誰にでもできる車の運転をして、メンバーさんと呼ばれる精神科デイケアに来ている方達と外出する。そこで、運転はおれの仕事か?と考えるのである。

 

福祉を仕事としている人なら何度となく考える、専門性とは?という話。

 

エヴァ・フェダー・キティという哲学者が、こういう仕事を「依存労働」と呼んだ。

 

依存労働は、脆弱な状態にある他者を世話(ケア)する仕事である。依存労働は、親密な者同士の絆を維持し、あるいはそれ自体が親密さや信頼、すなわちつながりをつくりだす。(キティ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』85頁)東畑開人『居るのはつらいよ』p103

 

依存労働とは、専門化しないままに残ったケアの仕事のことなのだ。だから、僕はそこにニーズがあれば、ありとあらゆることをやらなくてはいけなかった。東畑開人『居るのはつらいよ』p105

 

誰にでもできるような仕事だから、それ、おれの仕事じゃない良いよね?ってなるけれど、してもらう側からしたら、誰にでもできるその当たり前のことをしてほしいという方が多くて、専門的なことっていうのは、実は、当たり前のことよりも求められていなかったりするのかもしれない。

 

依存労働は当たり前のものを、さも当たり前のように提供することで、自分が依存していることに気がつかせない。そう思うと、依存労働って、本当に損な仕事だ。すべてのお母さんたちは大変なのだ。仕事が成功しているときほど、誰からも感謝されないからだ。感謝されなければされないほど、その仕事はうまくなされている。依存労働の社会的評価が低いのには、きっとそういう事情もあるのだろう。東畑開人『居るのはつらいよ』p114-115

 

選挙カーにはどれほどの意味があるのだろうか?

最後のお願いにあがりました。よろしくお願いします。よろしくお願いします。

 

こんな辺鄙なところにも選挙カーが来るんだと、カーテン越しに選挙カーを眺めた。この選挙カーは、どれくらいの意味があるのだろうか。この人は、北海道議会議員になって何をやりたいのか、ありがとうございますだけだと、さっぱりわからない。選挙カーは、どれも同じだけど。

 

私が住むところでは3人が立候補しているが、何人当選するのかもよくわからない。わからないから、今、このブログを書きながら、ネットで調べている。2人なのね。

 

北海道議会議員もそうだけど、北海道知事選も行われる。公約は、こっちの人で、イメージは、こっちの人。公約も大事だけど、これまで何をしてきたかという実績が大事だよな、あ、この人の実績がよくわからないな、口だけってのもあるしな、とあれこれ考えている。

 

で、だいたい決めたから、明日、選挙に行く。

 

 

最近は、滝口悠生『茄子の輝き』を読んでいる。

茄子の輝き

茄子の輝き

 

私だけかもしれないけれど、集中しないと、物語の世界に入り込めない。だけど、一旦、物語の世界に入り込めると、この淡々とした感じが心地良い。離婚、倒産、転職を経験しているにもかかわらず、悲惨だとか、辛いとかの直接的な表現はなく、じわりと来る。何で離婚をしたのだろうとか、読みながら、この物語の主人公の気持ちを想像する余白があるというか、とにかくじわりとくる。再読のほうが、よりじわりと来るのではないか、と考えながらまもなく読み終わる。

 

 

Twitterで、大船渡高校の佐々木投手が、163キロをマークしたという記事を読んだ。高校生で150キロでも速いのに、160キロを投げる投手と対峙した高校生の打者は、バットにかするんだろうじか、というか、高校生の捕手は捕れるのだろうか、1試合、手は無事なのだろうか。

 

 

仕事で、列車を眺めていたら、新たに書く小説のイメージが浮かんだ。2作品。「けむり」と、「Hotel Amour」仮のタイトルだけど。「Hotel Amour」は今日、思いついた。

仕事が休みで高校野球を見ようと思ったら、高校野球も休みだった。

仕事が休みだったけど、甲子園も休みだったため、今日も、高校野球は見れなかった。これまで1試合しかテレビ観戦をしていない。

 

プロ野球も観ていない。今年の注目は、平石監督率いる楽天。なぜ、平石監督に注目しているかといえば、松坂世代初の監督であり、あの時代のPL学園の主将だったから。現役を退いてから、平石は、あのPL学園の主将だったのか、と知った。平石監督が、どんな野球をしてくれるのか。1年目からやりたい野球はできるのだろうか、注目している。

 

そんなわけで、テレビをつけていたといっても、新たな元号の発表を見たためで、令和になったと知って、テレビを見るのをやめた。れいわと、パソコンで打っても、一発で漢字が出てこない。しっくりくるのはいつくらいからなのだろうか。

 

あとは、読書をしたり、猫といっしょに昼寝をした。

 

呉勝浩『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』を読んでいる。今、232ページなんだけど、内容が、最低で、通常、読んでいる途中で、読むのをやめるところだけど、amazonや、読書メーターの感想が、なかなか良いから、ここから何かあるのではないかと読み進めている。

 

雛口依子(ひなぐちよりこ)の最低な落下とやけくそキャノンボール

雛口依子(ひなぐちよりこ)の最低な落下とやけくそキャノンボール

 

 

ここ最近、腰と肩が非常に痛くて、今日、鍼治療でも、いつもよりひどいですね、と言われ、何をしたのかなあ、といつもと違うことをしたかを振り返っていたら、東京で、10kmほど歩いたことくらいしか思い浮かばなかった。

 

東京の桜は、今頃、満開だろうか。私が東京を訪れた時は、ソメイヨシノは、咲き始めだった。六義園の桜がほぼ満開で、六義園の桜を観ながら、わび、さびとか、粋とか、よく意味がわからないけど、日本独自の文化というか、かっこよさというものを、もっと知りたいと思って、今年は、茶道をしてみようかと思ったりしている。

生活に困らないくらいお金を稼いでいる人は、何のために働くのだろうか?

ありがとうございます、ありがとうございます、どこからか聞こえてくる選挙カーの声、カー、カーと鳴くカラス、肌寒いのに、なぜか春を感じる陽射し、道路脇に残る燻んだ雪、春。

 

球春到来。プロ野球は始まり、気づけば、センバツは、もう終わりを迎えている。新年度を迎えるにあたり、周りの人々からはやる気が伝わってくるが、それがどこか気持ちが悪い。

 

イチローの最後の試合から、イチローに魅了され、イチローが特集されているNumberを2冊購入したり、イチローが特集されているテレビ番組を録画して観ている。

 

 

そういえば、昔、生活に困らないくらいお金を稼いだ人は、何のために働くのだろうか、と考えて、名誉かな、と思ったけど、イチローを観ていると、全然、名誉のためではなかった。1本のヒットのためであり、野球を1日でも長く続けるということであったりなのだろうか。

 

イチローのあの最後の試合を観たあたりから、自分の中の何かのスイッチが押された。

逆境にある者に手を差し出すのは、いつも等しく逆境にある者たちだ。

文喫で、ガラスケースに入った4冊のうちの1冊が目に止まった。

 

ドリアン助川線量計奥の細道』。

線量計と奥の細道

線量計と奥の細道

 

 

ドリアン助川といえば、『あん』という小説が、すごい良くて、ドリアン助川が書く、東日本大震災関連の本を読んでみたくて、買ってきた1冊。

 

震災の翌年である2012年、放射線量計を携え、松尾芭蕉奥の細道を自転車で旅をした記録。2012年といえば、ちょうど、私は宮城県福島県の県境の小さな町に住んでいた。

 

そんなことを思いながら読み進めていると、ふと、なぜ東日本大震災関連の本が気になるのだろう、と頭の中に浮かんできた。

 

自宅の本棚には、東日本大震災関連の本が何冊かある。

 

何か、強い意思があってのことではない。3月になると、私の好きな本屋さんのいくつかが、東日本大震災関連の本を薦めているのが、読みたいと気持ちを駆り立てる。

 

東日本大震災をきっかけに、原発が必要かどうかを真剣に考えるようになった。だから、読むのかもしれない。

 

もう、セシウムだのなんだの気にしてないという声もよく聞きます。これはあくまでも私の印象ですが、原発災害については、『風評被害』とやらを恐れて人が口を噤んでいるうちに、自分たちのなかでもその災害自体が風化してしまっている、という気がします。ドリアン助川線量計奥の細道』p326

 

逆境にある者に手を差し出すのは、いつも等しく逆境にある者たちだ。ドリアン助川線量計奥の細道』p332

文化を喫する、入場料のある本屋

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東京の地下を歩いていると、あまりにも入り組んでいて、蟻の巣の中を歩いているような感覚になり、行き交う人々は、人ではなく蟻のように見えてきた。

 

断続的で、継続的に、改札を抜けるときに鳴る、『ピッ』、『ピッ』という電子音は、まるで虫の羽音のよう。

 

満員電車が、私の前に停まり、急いでいないので、次の電車を待っていたら、また満員電車が私の前に停まった。このまま、待っていても、次の電車も、次の電車も、次の電車も、満員電車なのだろうと思って、諦めて乗った。

 

つり革につかまりながら、何とはなしに、車内案内表示装置を見ていると、「東西線が人身事故のためダイヤが乱れています」と流れてきて、この表示は、日常的な光景に溶け込んでいるのだろうか、と思った。

 

いくつかの電車を乗り継ぎ、降りた駅は、六本木。六本木に来るのは初めてで、ここが、六本木ヒルズのある、六本木かあ、とあたりを見回すが、どれが六本木ヒルズなのかはわからず、たぶん、あの一番、高いビルが、六本木ヒルズなのだろうとか考えながら、ラーメン屋を探すが、10時だったため、ラーメン屋はチェーン店しか開いておらず、モスバーガーで軽く食べて、文喫に向かった。

 

文喫の看板は桜色で、ブックカバーも桜色、他では見ない色だった。

 

他の本屋さんと違うのは、店内に入るのに入場料がかかるということ。1500円。店内では、コーヒーも、煎茶も、おかわり自由なので、ゆっくり過ごし、飲み物を3杯も飲めば、元が取れるのではないだろうかとか思ったが、頻繁に来る人にとっては、この1500円は、どうなのだろうか。

 

文化を喫するの、喫するという言葉は、耳慣れない言葉だけど、どういった意味があるのだろうかと、インターネットで調べたら、「飲む、食べる」とあったので、文化を喫するとは、飲み、食べると同列に、人に必要なものというメッセージがあるのだろうか。

 

私が文喫に訪れた時には、ちょうど、石川直樹『The Himalayas』の展示をしていて、石川直樹がこれまで読んだ本の本棚があり、その本も買うことができた。私は、田村隆一詩集を選んだ。

 

田村隆一詩集 (現代詩文庫 第 1期1)

田村隆一詩集 (現代詩文庫 第 1期1)

 

 

昨日、訪れた『fuzkue』でも感じた感覚。本との新たな出会いが、文喫にもあって、ここ、好きだなあ、と本棚を一つずつ眺めていって、気になる本を数冊、買って、店を後にした。

 

文喫で買った本を読みながら、札幌、千歳空港に着いたのが夜。1泊2日だったけれど、1泊2日以上に、休んだ気がした、そんな休日だった。

 

私にとっての非日常は、誰かにとっての日常で、私にとっての日常は、誰かにとっての非日常なんだな、と、いつもの畑ばかりの景色を眺めながら、当たり前のことを思った。

 

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