どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

fuzkueのすきなところ

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東京アートギャラリーを後にして、同じ初台にある『fuzkue』に、歩いて向かった。トランクケースを引き摺りながら。

 

内沼晋太郎『これからの本屋読本』の中で紹介されていた店で、気になってfuzkueのホームページを読むと、fuzkueの店主である阿久津さんの言葉が書かれていて、なんか良いなあと思って、阿久津さんの本って出版されていないのだろうかと調べたら、『読書の日記』という本があって買って読んだのが、昨年の冬にさしかかるころだった。

 

『読書の日記』が、これまたおもしろくて、いつかfuzkueに行きたいなあ、と思っていたところに今回。初台駅にほど近いところに、初台商店街というのがあり、商店街を歩いていると、理容室があって、階段をあがった2階に、fuzkueがある。17:35。

 

ドアを開けると、すでに何人かのお客さんがいて、私のすぐ後ろから来た女性のお客さんは、満席なので入店ができないようだった。女性は、また後で来ますと言っていたけれど、ここの店は、いつまでもいて良い店。つまりは、いつ開くか、わからない。その女性が、あとで来たのかは、わからない。

 

私は、入口をはいってすぐのカウンター席に座り、fuzkueの説明書きの紙をぺらぺらとめくり、このぺらぺらとめくる音すらも、周りに迷惑にならないだろうかというほど、店内は静かで、「アイスコーヒーで」と、静かに店主に伝えた。

 

時々、お客さんをみていると、注文したい品を声も発せず、メニューを指さしで伝えている者や、定食についている漬物を静かに食べようと意識しているのが伝わってくるような者もいて、これまで行ったどの店よりも、お客さん同士が、相手を慮っていると思ったけれど、相手のことを慮っているというより、ルールだから守っているのかもしれない。とにかく、本を読むには、すごい良い環境で、どうして、このようなお店を作ろうと思ったんだろう、と思った。

 

ツイッターなんかを読んでいると、みなさん、その空間を褒めているんだけど、私が、fuzkueに直接、足を運んで、好きになったところは、fuzkueに並んでいる本。

 

好きな本屋に訪れた時に感じる感覚に近い。ただ、本を売っているか、売っていないかの違いで、新たな本との出会いがある。

 

私は、そう何回も訪れることができないから、読みたい本は、片っ端から手にとって、ぺらぺらとめくっていった。

 

気づいたら、外は、真っ暗になっていて、傘をかぶった温かみのあるオレンジ色のライトが、手元の本を照らして、さらに読書空間としての雰囲気が増したような気がした。

 

このあとの予定はいれないことにして、カレーライスを注文した。

 

fuzkue.com

石川直樹 この星の光の地図を写す

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東京オペラシティアートギャラリーで開催されている石川直樹『この星の光の地図を写す』を観た人が「良い!」と言っていて、どの場所を巡回するのか確認しようと、思って、インターネットで調べたら、今回で最後だということを知ったのが、3月上旬。たまたま仕事の休みが取れたので、飛行機のチケットを予約したのが3月中旬。そして、観てきたのが、最終日の3月24日。

 

最終日は、本人がいるかもね。北海道から来たって言えば良いよ、と友達に言われ、確かに、今日の夜、文喫で、トークショーもやるから、いるかもしれないな、と思った。

 

東京オペラシティにつき、会場がある3階でトイレに向かっている時に、石川直樹さんが、売店から出てきて、ばったりと会った。

 

「えっ?石川直樹さんですよね?」と、ついついというか、意表を突かれたけれど、かろうじてというか、兎に角、私は、本人に声をかけた。

 

声をかけたは良いけど、次の言葉が出てこなくて、「こんにちは」と言ったのか、「あわわわ」と言ったのか覚えていないけど、記憶が戻った頃には、石川直樹さんは、違う女性と、会話のキャッチボールをしていて、羨ましいなあ、と遠目から眺めていた。

 

確かに評判どおりというか、タイトルのとおりというか、光の使い方が絶妙で、素敵だった。来場者が多くてびっくりした。

 

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私は、写真以上に、石川直樹の言葉が好き。言葉というか、考え方といえば良いか、生き方といえば良いか、そこらへんのもろもろが好き。

 

 

この星の光の地図を写す <北極カバー>

この星の光の地図を写す <北極カバー>

 

この本が、今回の作品展の本なんだけど、欲しい。欲しいけど高い。 

京成幕張駅、12:42。

そうごうさんどう?そうごうさんどうって言ったよね・・・。

 

電車内のアナウンスに集中するが、聞き慣れない駅名で、目的地に着く電車なのか自信がなく、何度となく、携帯電話のアプリで確認する。「宗吾山道」って字なんだ、と止まった電車の窓から駅名標で確認した。

 

背中にあたる陽射しは、ぽかぽかしていて暖かい。車内案内表示を確認すると、次は、「大佐倉」と書かれているようだけど、「倉」の字が、私が知っている「倉」という字ではなく、あんな字があるんだと思っていたら、中国語表示の「倉」だった。

 

成田空港から、津田沼で乗り換えて、無事、幕張本郷駅に着いて、「着きました」とメッセンジャーを送って、トランクからおみやげを取り出して、コートをトランクケースに仕舞おうと思ったけど、なかなかコートの厚みで、トランクケースが締まらなくて、あれ?締まらないなあと思っているところで、瑞穂さんから声をかけられた。

 

落ち着きなく、あ、これ、おみやげです、と言って、おみやげが入っている紙袋を、瑞穂さん渡して、ちょっと待っててください、とトランクケースを締めた。

 

初めての人もいると思うので、瑞穂さんについて、説明すべきところだけど、説明するよりも、『Mizuho Life Photography』を見てもらうほうがわかりやすいので、ここでは割愛する。

 

www.mizuho-life.com

 

前回、会ったのが、6~7年前で、6~7年前というと、小学1年生が、中学1年生になっていて、そう考えると、結構な月日が流れているように感じるけれど、そんなに経っていように感じないのは、フェイスブックや、ツイッターで、瑞穂さんが発信している言葉を読んでいるからだと思う。

 

ここ最近でいえば、安田弘之ちひろさん』を薦めていたのも瑞穂さんで、いや〜、ちひろさんおもしろかったですって、私が言ったら、あれがおもしろいってわかるの嬉しいなあって瑞穂さんは言って、望月ミネタロウ『ちいさこべえ』も良いよ〜って言っていたので、近々、読んでみようと思う。

 

ちいさこべえ 1 (ビッグコミックススペシャル)

ちいさこべえ 1 (ビッグコミックススペシャル)

 

 

好きな本の話、映画の話、近況なんかの話をして、ふと時計を見ると15時。中華料理屋に、2時間くらいいたことになる。

完全燃焼はできるのか?

2時間ばかり働いて、今日は、有給休暇。体調が悪いとかではなく、何か用事があるというわけでもなく、ただ、休める時には、休もうと思って。

 

自宅に着いて、イチローの記事をネットで探した。

 

イチローの引退会見で、決断に後悔や思い残したことはありませんでしたか?という質問があって、イチローは、今日、あの、球場での出来事、あんなもの見せたれたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと・・・人よりも頑張ったということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、自分なりに頑張ってきたということは、はっきり言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかと思います。と言っていた。

 

最近、完全燃焼について考えていたので、結果を残すために重ね続けることが後悔を生まないか、と、それは、イチローに限らず、重ねることが難しいのかもしれないけど、可能なのではないだろうか、と思った。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

Number Webもイチロー特集を組んでいて、おもしろい。購買意欲がむくむくと出てきて、バックナンバーを買おうかとも思ったけど、やめることにした。

number.bunshun.jp

 

そうだ、今日からセンバツがはじまるんだったと、テレビをつけて甲子園を流しながら、東畑開人『居るのはつらいよ』を読み、読んでは寝て、寝ぼけながら、甲子園を見て、なんで、甲子園球児は坊主なのだろう。坊主なことに何の意味があるのだろう、と元甲子園球児なのに、高校球児にとって当たり前のことが私には応えられそうにもなかった。あれ、意味なくない?って思った。

 

第3試合の星稜対履正社。今大会、ナンバー1投手と呼び声の高い奥川くんは、履正社相手でも、安定した投球だった。

 

手も足も出ない投手に出会ったことがないなあと思ったのは、これまでプロ野球に進むような、ずば抜けた人と対戦したことがなかっただけで、もし周りにいたら、プロ野球を目指していた人も、目指さなくなるのだろうか。

 

うちの猫は、私が出かける時、時々、なんか、切なそうな表情や声を出す。明日から、出かけるから、今日は、一緒にいようと思い、というか、出かけるのもめんどくて、1日中、珍しく家にいたのに、猫は、ストーブの前でずっと寝ている。私がいても、いなくても変わらなかったのではないだろうか。

 

引退する時は来るとわかっているのに、やっぱり悲しくて。

仕事から自宅に帰ってきて、テレビをつけ、番組表をみて、マリナーズ対アスレチックスの試合をつけた。春が待ち遠しいのは、野球シーズンが到来するというのもある。

 

テレビをみながら、ツイッターを見たのか、ツイッターを見てテレビをつけたのかは、定かではないけれど、その中に、「イチローが第一線退く意向」という記事があって、第一線退くって、引退ってこと?と思ってテレビを見ていると、試合後、会見を開く旨のことをアナウンサーが言っていた。

 

本当に引退するの?半信半疑のまま試合を見た。

 

イチローは、「あと1本、あと1本、ヒットを打ちたい」と打席に立っていたように見えた。そりゃあ、打席に立つ時は、いつだって、ヒットを打ちたいと立っているだろうけど、今日、この日に、打ちたいというのが、凡退して打席を去るイチローの表情を見て、伝わってきて、一打席、一球、一球に見入った。

 

こんなに集中して試合を見ているのは、WBC以来で、私が印象深いイチローの打席と訊かれれば、不振で喘いでいた何回大会かは忘れたけれど、たぶん2回なのだろうか、WBCで、最後の最後、決勝の韓国戦で、センター前ヒットを打った、あの打席だ。決勝の韓国戦といえば、やはり第2回WBCだ。

 

8回、守備についたところで、イチローは交代を告げられる。守備についていたチームメイトは、ベンチに戻って、イチローを出迎える。やっぱり引退なんだよね、と心の中で呟きながら、こんな交代のしかたもあるんだ、粋だ、と思う。通常、交代を告げられる選手は、回が始まった段階で、守備にはつかないから。球場内の拍手の中、マリナーズベンチに戻るイチロー。今日、この日に、東京ドームに、観戦しに行っていた人たちは、すごい幸せな瞬間にいるのかもしれない、と思いながら、私が東京に行くのは、24日だもんな、と思う。

 

イチローが出場していなければ、早く試合を終え、会見を見たいところだが、試合は延長に入り、膠着状態。延長が何回まで行ったのかも覚えていない。早く終わってくれないか、と地上波の放送が終わったあとは、BSに切り替えた。BSはとことんまで放送してくれるから好きだ。あの場面で、LIVEで会見が見れないなんて、ありえない。BSがすごいのは、イチローがベンチ裏に下がった15分くらいを放送していたこと。球場内は、コンサートのアンコールのように、再び、イチローが登場してくれるのを待ち、試合が終わったというのに、球場をあとにしない人々がいて、こりゃあ、イチローが出て来ないと、収拾がつかないおではないだろうか、と思ったら、イチローが出てきて、イチローは、会見の前にグランドを一周して、ファンの声援に、手を挙げ、応えていた。

 

なんて、素敵な引退なのだろう、と胸と喉の間あたりが熱くなって、というか、泣きそうになった。

 

会見は、0時を回ったあたりだったか、イチローは、質問に対して、じっくり考えながら、言葉を選びながら、応えていて、あんなふうに受け答えができるようになりたいなあ、だとか、なんか記者が同じような質問をしているなあ、だとか、イチローかっこいいなとか思いながら、会見を最後まで見て、今日、1日のスタートは、眠くて仕方がなかった。

 

コンビニに売っているスポーツ新聞を4紙買った。

 

職場で、イチローの引退って、どれくらいの出来事なんですか?と訊かれ、その人は、サッカーが好きな人だったから、たぶん、サッカー好きの人にとって、カズが引退することくらいの出来事だと思います、と応え、カズは引退していないので、どれくらいの衝撃かはわからないですけど、相当ですね、と言う言葉を聞きながら、私は、ワンピースでいえば、白ひげが死んだくらいの衝撃だなと思ったけど、その言葉は、言わないことにした。

 

つまり、ひとつの時代が終わったというくらいの衝撃だ。

 

言葉が見つからない。

 

引退する時は来るとわかっているのに、やっぱり悲しくて。

道路脇に落ちている一足の靴

皆、気にならないのだろうか。私は、気になってならない。何が気になるかというと、道路脇に落ちている一足の靴。

 

なぜか、発見する時は、いつも一足だ。なぜ、一足だけなのだろうか。置き忘れたのであれば二足ではないだろうか。

 

しかも、落ちている場所は、たいてい、そこで靴を履き替えるような場所ではない。と、なると、考えられるのは、車の中から投げたということだけ。ただ、そんなことをする人がいるのだろうか。否。

 

では、なぜ。

 

気づいたら、ボールペンがなくなっているとか、気づいたら、靴下の一足がなくなっているとかはあるけれど、気づいたら、靴がなくなっているなんて、ありえない。なぜ?なぜは、いまだに答えが見つからない。何か知っている人がいたら、教えて欲しい。

 

昨日、自宅の車庫に車を入れる瞬間に、次に書く小説のタイトルが頭の中に浮かんできた。自宅に入り、言葉の意味を調べると、確か合うような気もした。

 

それから、ふとした時に、その小説の大枠といえばいいのか、そんなのが、頭の中に浮かんできて、ああしよう、こうしようと思ったところで、それっておもしろいのかなと思ったんだけど、書きながら、おもしろくなければやめれば良いじゃないかということになった。

あの頃、住んでいたアパートの一室で、その後、どんな人が、どんな物語を紡いだのだろう

滝口悠生『高架線』を読み終わった。春の陽気のような読後感だった。こんな読後感は初めてのことだった。ドラマティックでもなく、いや、登場人物の一人、峠茶太郎の人生はドラマティックだったかもしれないが、かたばみ荘の一室に住んできた人々の何気ない日常と、その住人と交流があった人々の物語。

 

高架線

高架線

 

 

読み終わった後、大学時代、初めて一人暮らしをした部屋が105号室だったな、と思い出したり、大学を卒業して、就職も決まらず、1ヶ月、友達の家に居候したのちに、社会人を初めたアパートは、104号室だったな、と思い出し、あの大学時代に、105号室に遊びに来ていた友達は、今は、2人とも東京に住んでいて、私は北海道で、あの頃の私たちは、今のこの生活をまったく予想もできなかったなとか当たり前のようなことを考えながら、最近、思うのは、こんな淡々とした毎日がしあわせということなのだろうな、と思っていたら、猫がかまってって、鳴いて、キーボードを打つ手を止めて、撫でた。そう。こんな些細なことにしあわせがあったりする。

 

あの頃、私が住んでいたアパートには、その後、どんな人が、どんな物語を紡いでいったのだろう。

 

そういえば、この前、テレビで見た、樹木希林が言った言葉が、木霊のように、私の心の中に響いた。

 

「内田は、人の悪口を一回も言ったことがありません。男は、そうじゃなくっちゃ」

 

私も、人の悪口を言わないようにしよう、と思った。男だから、女だからというのは、あれだけど、人の悪口を言わないというのは、かっこいいし。そういえば、松井秀喜も、人の悪口を言ったことがないって言ってたっけ。

 

今の自分ができているのも、他人から訊いた言葉だったり、出会った人だったり、自分の心の琴線に触れたもの集まりでできているのかもしれなないな、と思った。