どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

共感

後輩とご飯を食べていて、後輩が、「共感」が大事だと思うんですよ、と言っていて、たまたま、私も、今年度、「共感」が大事だと思っていたところで、なんだろう、この偶然と思いながら話を聞いた。

 

こんな偶然を大切にしていて、大事なキーワードとして、心の片隅ではなく、当分の間、引き出しから出しておこうと思ったキーワード。

 

仕事での、何気ない会話の中で、ちょっとした嬉しかったことや、ちょっと困ったことを話せる環境が大事。

 

共感のためには、まずは、相手の話を聞こうと心がけているのに、ついついいつものごとく、しゃべりすぎて帰って来た。

 

職場の人といえば、先日、職場の人たちに、ブックカバーをプレゼントしてもらって、ブックカバーが重宝している。

 

文庫本サイズのブックカバーはいくつか持っていたんだけど、単行本サイズのブックカバーは持っていなかったので、こんなに使い勝手が良いんだと思いながら、ここのところ単行本サイズの本を読んでいる。

 

今日、読み終わったのは、大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』。

 

なるべく働きたくない人のためのお金の話

なるべく働きたくない人のためのお金の話

 

 

ここまでストレートなタイトルだと、人の目が気になってしまうので、ブックカバーがあって良かった、と思った1冊。

 

正直に申しますと、日本人は働きすぎだとは思います。最近も、会いたい人にも会えない働き方は良くないな、と思っていたところですけど、東京、伊野尾書店の「なるべく働かないで生きていきたいという人のための本」フェアで手に取った本。

 

私の自宅には、そんな類の本が何冊かある。

 

大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』で、おもしろい考え方だなあと思ったのは、2つ。

 

1つは、最低限の満足ラインを確認するという話で、その最低基準を「好きなことをしているか」ではなく、「いやなことをしないでいられるか」で判断するというもので、確かに、やりたいことはよく考えるけど、ここで、やりたくないことを考えるというのもおもしろいな、と思ったわけです。

 

どうしてもイヤなこと、やりたくないことをどんどんリストアップしていきます。その中でも、一番やりたくないことは何か。それをやらずにいられる状態を、最低限の満足ラインとします。大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』p51

 

もう1つは、お金を擬人化するという話。ここでお金を払うと、このお金は喜ぶかと考えるんだって。ふ〜んって読みながら、確かに、無駄遣いがなくなるかもしれない。しかもそんなに手間をかけずに、と思った。

 

これまでも気が向いた時に、1ヶ月のレシートをとっておいて、自分が、何に、お金を使っているかを意識して、無駄遣いを減らす、というのをやっているけれど、お金を擬人化する方が、私には向いているような気がしたので、やってみようかな。

 

 

 

禁煙しているセールスマン

夜勤を終え、コンビニの前でタバコを吸っていると、「かっこいいですねえ」と同じくタバコを吸っている隣の青年が声をかけて来た。

 

何が?と、一瞬思ったが、青年の視線の先には、私の車があって、どこが?と思った。ただの軽自動車なのに。「そうですか?」と私は素直な感想を述べた。「これだと、大きいタイヤも履けるなあ。リッター何キロですか?」「17キロですね」「結構、走りますねえ。いくらですか?」「ん〜。170万円くらいだったかなあ。同じタイプの車がスズキにもあります」「へえ、そうなんですね。中も広そうですね」「後ろのシートが倒せるので荷物は、いっぱい載せれますよ。後ろのドアはスライドドアになってます。それでは、ご検討ください」と言いながら、おれはセールスマンか!と心の中で呟いて、1日が始まった。

 

向かった先は、禁煙外来禁煙外来に通って2週間。ちょうど薬が切れる日だった。煙草は確実に美味しくなくなっており、煙草の本数も減った。順調、順調と思っている私に向かって医師は、ため息混じりに、こう言った。「やめられないですかねえ」。

 

苦虫を潰した表情で、説教じみた話が続いた。心の準備はできていたけれど、心のコントロールを失いそうになった。煙草を吸ったこともなければ、煙草をやめたこともない人なのだろう。

 

「煙草を嫌いになれませんか?煙草好きですか?」医師の口調は威圧的だった。嫌いになりたいと言わせたいのだろう。

 

「はい。好きです。好きですけど、煙草はやめます」好きでも、あきらめないといけない恋もあるだろう、と私の心は暴走を始めた。

 

「それじゃあ、また吸ってしまいますよ」また、説教じみた話が、続くのかとげんなりし、もう来るのはやめようかな、と思った。

光のあて方が、これまで読んだ本とは違う。

大学3年の時、自分はどんな仕事をしたいのだろうか?と改めて考えて、たどり着いた一つの答えが野球に関わる仕事をするということだった。それほど、野球が好きで、野球ほど好きなものがないとも思っていた。しかし、野球が好きな人は、社会に出ると、ごまんといて、私なんて、全然、大したことがないことを知った。

 

今、読んでいる村瀬秀信『止めたバットでツーベース』もそんな人たちが登場する。

 

東京ヤクルトスワローズ全144試合生放送をしている弁当屋。ヤクルトの選手たちの絵を描くことによって、ヤクルトを応援しようと、6年間、野球の絵を描き続けた美術家。伝説の応援団長。行間から、もわんと熱が伝わってくる。

 

高校野球を見ながら、完全燃焼をしたと思える人は、皆無に等しいのではないか。いや、そもそも人生でも完全燃焼することは難しいのではないかと思っていたけれど、『止めたバットでツーベース』に登場した美術家ながさわたかひろの章を読んでいると、そもそも、私は、ここまで人生をかけるといえるほど、人から見たら狂気に感じるほど、打ち込んだことはないのではないかと思った。

 

『止めたバットでツーベース』は、光の当て方が、これまで読んだ野球本とは違う。

 

止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集

止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集

 

ふと、一軒家の表札が目に入った。

降りた駅で、ふと、一軒家の表札が目に入った。

 

表札の苗字は、友達と同じ苗字だった。仕事で何度も降りている駅なのに、なんで、たまたま今日だったのだろうと思っていたら、その友達が、何か呼んでいる気がしたので、メールした。1年ぶりくらいだろうか。

 

「うん!うん!呼んでる(笑)」と返ってきたけど、(笑)が入っている時点で、呼んでいないとわかり、元気でなにより、と思った。

 

おもしろい本を教えてよ、と聞いたら、「コロボックル物語」と返って来て、これまた、想像だにしないところから、ボールが飛んできたような感じだった。 

 

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1  (講談社青い鳥文庫 18-1)
 

 

ちなみに、私は、おもしろいと言われた本であれば、絵本でも、児童文学でも、なんでも読む。書斎の本棚には、絵本コーナーもあり、最近、ずっと探していた、「せかいでいちばんつよい国」も並んでいる。

 

せかいでいちばんつよい国

せかいでいちばんつよい国

 

 

コロボックル物語。図書館に行かないとないだろうなあって思いながら、そういえば、先日、本屋さんに問い合わせして買うことができなかった片山令子「雪とケーキ」も「夏のかんむり」も図書館に問い合わせて読めばいいんだ、と思った。

 

今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』、マーク・トウェイン『人間とは何か』を読み終わり、今は、村瀬秀信『止めたバットでツーベース』を読んでいる。

 

止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集

止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集

 

 

まもなく、球春が到来するからね。 

 

 

 

上司

午後に上司から、作っている書類をくれないか、と連絡があり、その書類を渡せば、上司の仕事は、かなりの時間が短縮されるな、と思いながら、私は、「計算していましたね」と言いながら、笑い、そこまで堂々と言われれば、愉快になってきて、「わかりました。すぐに送ります」と答えた。やっと爆弾のような仕事が2つ片づいた。

 

上司と言えば、前の会社の上司が、夢に出てきて、なぜか長髪になっていた。久しぶりに連絡してみようかな、と思って、「長髪で夢に出て来ました」とLINEを送った。「だいぶ、薄くなりショートです」と返って来て吹き出した。と、思ったら、立て続けにメッセージが来て、ああ、こんな感じだったと返って来たLINEは、チャットのようになって、私は、ついていけなかった。あのチャットのようなLINEは、携帯から打っているのだろうか。

 

LINEを打つのが早いというので思い出したけど、この前といっても、結構前だけど、札幌駅で列車を待っていたら、前の女子高生の携帯を打つ速さが速すぎて、心の中で、「はえええええ!!!!!!」と驚いた。どんどん時代に取り残されているかもしれない。パソコンはブラインドタッチはできる。

 

今日は、北海道にも、まもなく春が来るな、という天気で、雪解けも進み、車から降りたら、氷の上を歩いているようで、転んで、膝小僧を打ち、皿が割れたと思った。誰にも観られなくて良かった。

謙遜とは

少し前に、サッカー日本代表、堂安律の特集をテレビでやっていて、トレーナーの人が言った言葉が、良くて、今も、ふとした時に、頭の中に浮かんでくる。

 

その言葉は、謙遜に関する話なんだけど、日本代表になると、周りの評価が、実力以上に評価をされる時があるらしい。そのはかされた下駄を脱いだ時の自分の実力を話すのが謙遜だと言っていた。なるほどなあって思った。

 

ただ、こう書いていると、私は、周りの評価が、実力以上に評価をされる機会がないような気がするから、謙遜する機会もないな、と思った。

 

ツイッターで、人の熱意は信じちゃならないというようなことを書いている人がいて、なぜなら、言葉は偽装できるから、見るべきは実績だと言っていた。経営者の熱意ある言葉に流されたらブラック起業の餌食になるって。

 

 

確かになあ、と思った。ただ、私の考えは、少しだけ違う。経営者は、人の心を動かす話術も必要なのではないかとも思う。熱意とでも言おうか。ただ、雇われる人は、盲目的になってはいけない。その経営者が偽物か本物かは、言っていることとやっていることに食い違いがどれだけあるか。そんなことを最近、思う。

 

というわけで、今日も今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』を読みながら寝ることにします。

デストロイ屋ルチャな装い展

久しぶりのブックオフ巡り。1時間ほど、本棚を眺めていると、腰が痛くなり、2軒目の途中で、白いタオルが投げ込まれ、K.O。欲しい本が何冊かあり、今日、ちょうど、今村夏子の新刊『父と私の桜尾通り商店街』も自宅に届き、当分、読書する日々が続きそうだ。

 

その後、『デストロイ屋ルチャな装い展』を観てきた。札幌で注目しているアーティストのひとり、デストロイ屋。今回は、雑貨の販売が多く、Tシャツを買って帰ってきた。

 

美容室に到着後、髪を切ってもらいながら、寝てしまい、どこにいるのか、一瞬わからなくなった。たぶん、夢を見ていた。ここのところ、疲れが取れない。鍼治療に行かないと。

 

自宅に帰ってきて、カレーの上に、キャベツの千切りを載せて食べて、今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』を読んでいる。今回も、今村夏子らしい、今村夏子でしか味わえないな、と思いながら、楽しく読んでいる。