どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

見えていないだけ

 今日は、一切の仕事をせず、と宣言し、コメダ珈琲へ。いつもの、アイスコーヒーを注文し、鈴木大介ネット右翼になった父』を読む。

 ・・・父は徹底して「大勢に迎合せず」を信条とした人物だった。要するに、流行り物が大嫌い、流行り物は流行っているという時点で受け入れないという、非常にへそ曲がりで天邪鬼な根性の持ち主が、僕の父だったのだ。鈴木大介ネット右翼になった父』p44

 私も、流行っているという時点で冷めてしまうというところがあり、お父さんと同じだ、と思った。本を読みながら、知らず知らずのうちに、お父さんのようにネット右翼になるのかもしれない。コメダ珈琲を出てからも、そのことを考えていた。自分独自の考えと思っている考えでさえ、誰かかしらの影響を受けている。私に影響を与えたその人も、誰かの影響を受けているということになるのか。であれば、源流はあるのだろうか。周り回っているのだろうか。

 喫茶店の梯子。読書室ポワロに到着。初。民家を改修した喫茶店で、一席一席が離れていて、まさしく読書するに相応しい空間となっており、居心地が良い。私も、こんな空間を持ちたいと思った。ただ、飲食を提供するのがめんどくさいというのもあり、絶対にやりたいとまではいかない。

 読書室ポワロの存在を友人に教えてもらった時に、fuzkueみたいだな、と思った。そういえば、先月、東京に行った際に、fuzkue下北沢店に行った。下北沢店に行ったのは初めてだった。棚に、ずっと読みたいと思っていた山口慎太朗『誰かの日記』があって読んだ。ネット上で探しているが、買うことができない。誰か譲ってくれないだろうか。又、次来た時に、続きを読もうと栞を挟んでおいた(ちなみに2月4日)。

 読書室ポワロでも、『ネット右翼になった父』を夢中になって読む。10時過ぎに着いたと思ったら、まもなく昼になったので、ナポリタンを注文した。

 人はその当事者を目の前にしない限り、その人の抱える困難について想像力を働かせることができなということ。そして社会的困窮者やマイノリティな人々は、多くの一般市民にとって、「リアルにその当事者に会ったことがない人たちだということ。最後に、自身が困難を乗り越えた経験のある者は、その経験を基準に「他者も乗り越えられる」と誤認すること。鈴木大介ネット右翼になった父』p130

 最近、よく考えることがある。何かを伝えようとすると反発を生む時は、どうすれば良いか。教えようとする姿勢になっているのではないか。答えを伝えようとすることになっているのでないか。まさしくロッテの吉井監督のような関わりが必要なのではないか。現時点でたどり着いている私の考えは、『ネット右翼になった父』に書かれていた、見えていないだけ、目の前で見たことがなかっただけ。まさしくこれ。自分で感じ、自分で気づくような環境を整えることが大切なのではないかということ。

 『ネット右翼になった父』というタイトルや新書という印象とは違った読後感を味わえる。2023年、特におもしろかった本にノミネート。