どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

修羅場について考える


先人は、
「苦労は金を出してでもしろ」
と言った。

ある人は、
「修羅場は若いうちに経験しておいた方が良い」
と言った。

ドラゴンボールに出てくるサイヤ人は、
「死にそうになればなるほど、戦闘力が増えた」


修羅場は勘弁だ。
少しでも笑っていたいと思うし、できれば苦しみたくない。
だけれども、修羅場は突然襲ってくる。

確かに修羅場を経験し、乗り切ると、
また一つ進化しているのも感じる。

修羅場の時は、そんな進化できるなんて考えていない。
というか、考えられない。
考えられないから修羅場。

修羅場を経験している時は、そこから抜け出したくてたまらないのに、
平穏無事に生活し、そのありきたりな生活を長いこと続ければ、
刺激がねぇなとぼやく。
満足という言葉を知らない心。
満足しないから、また進化もしていけるのかもしれないけれども、
それにしても、アホだよ。
と自分自身に言う。

これからも、修羅場をいくつも越えていかなければならないのだろう。
まあ、自分が魅力的だと思う人は、
どこかで、つまづいていたり、修羅場を経験している人が多い。
だから、仕方がねぇなとぼやきながら、
魅力的な人間になれるように乗り越えたい。

修羅場の時は、修羅場だから、
その時は何も考えられないかもしれないけれど、
乗り切ったあとは、あたかも、ロールプレイングゲームかのように、レベルアップをしたい。
レベルアップして、その時の修羅場がもう一度きたら、
二回目だから、前よりも余裕だねと言ってやりたい。
そして、新しい技を身につける。
苦しみを味わったんだから、それ相応のものを会得する。