どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

障害と文学

太宰治の長男がダウン症だったということをつい最近知った。

 

ヴィヨンの妻』、『桜桃』に登場する男の子は、長男の成長過程を元にしているという。

 

ヴィヨンの妻』が1947年。『桜桃』が1948年。1947-1948年は、どんな時代だったのだろうか?

 

ネットで調べていくと、太平洋戦争の終戦が1945年。1946年、日本国憲法公布。戦争孤児が全国で12万人。1947年に、児童福祉法公布。この児童福祉法に、精神薄弱児(知的障害児)施設の設置に関する文言が盛り込まれる。ふむ。

 

太宰治は、太宰治の長男は、どんな生活を送っていたのだろう?

 

www.dinf.ne.jp

 

ネットでさらに調べていくと、大江健三郎近松門左衛門の記事があって読んだ。

 

www.atarimae.jp

 

この記事を読むと、大江健三郎も、近松門左衛門も、障害のある子どもがいたからこそ、できた作品があるというようなことが書かれていた。

 

そういえば、この前、読んだ藤川幸之助も詩人になりたかったけど、詩人では食べていけないから、教師になって、そうこうしていると、母の介護が必要になり、母の介護を通して感じたことなんかを詩に書いたり、本に書いたりして、結果、詩人になれたというようなことが書かれていて、最初は、作者自身にとって、マイナスの経験が、プラスに変換されるってすごいなあ。

 

 

近松門左衛門って、何時代の人なんだろう、と調べると、江戸時代の人で、江戸時代における障害者の生活って、どんな感じだったのだろうか、と想像した。

 

親の気持ちというのは、時代を超えて通ずるものがあって、その経験とどう向き合うということか。

 

近松門左衛門の生涯が書かれている杉本苑子『埋み火』を読んでみたくなった。

 

埋み火〈上・下〉 (1979年) (文春文庫)

埋み火〈上・下〉 (1979年) (文春文庫)

 

 

救いと犠牲

朝7時に居間から猫が何度か鳴いた。ご飯ね、と思いながら、起きて、猫にご飯をあげ、稲葉剛『貧困の現場から社会を変える』を読んだ。

 

8時になり、猫がご飯近くのダンボールをカリカリと爪を立てる。ご飯食べたでしょ、と言いながら、猫にご飯をあげた。

 

そして、カーテンを開けると、外は雪がしんしんと降っていて除雪をした。苫小牧で行われている作品展を見に行こうと思っていたけど、めんどくさくなってやめた。

 

9時になり、猫がご飯近くのダンボールをカリカリと爪を立てる。ご飯を食べたことを忘れているのだろうか、と心配になりながら、猫にご飯をあげた。

 

11時、近くのスーパーに、やきっぺと、ポテトチップスと、コーラを買いに行き、やきっぺを2袋開けて水を300ccフライパンに入れて作り、あっという間に食べた後は、BRUTUS『危険な読書2020』をぺらぺらめくった。

 

BRUTUS(ブルータス) 2020年1/15号No.907[危険な読書2020]

BRUTUS(ブルータス) 2020年1/15号No.907[危険な読書2020]

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2019/12/16
  • メディア: 雑誌
 

  

綿野恵太『「差別はいけない」とみんな言うけれど』を読みたくなった。BRUTUSを読みながら、気づいたら、寝ていた。昼寝。

 

綿野恵太『「差別はいけない」とみんな言うけれど』は、改めて「軸足」を再確認したかった私にはドンピシャでした。日本でも、気づけば嫌韓・嫌中的思想が氾濫し、商売になっている。こうなると「差別はダメ」と言い続けるだけではもう無理。なぜダメなのか?自分はそれをどう感じ、何を思うのか?そもそも差別はなぜダメなの?と考えた時に、指針を与えてくれるのがこの本でした。BRUTUS『危険な読書2020』p44

 

(休み)最高!、と言いながら、起きると、猫もストーブの前で寝ていた。

 

谷崎由依『囚われの島』を開いた。この本は、先日、京都の誠光社で買ったもので、文学が並ぶ本棚を眺めていると、谷崎由依さんの本が何冊かあり、谷崎由依さんを初めて知ったので、その何冊かの本を眺めながら、その1冊を買ってきた。

 

新品の本は、読んでいても気持ちが良いと思いながら、第1章を読み終えた。新聞記者の女性が主人公で、その女性がバーのような場所で、視覚障害者の調律師の男性と出会う。その調律師の男性は、ある夢を何度となく見る。どんな夢かというと、おまえは醜いからと言われ、ある部屋に閉じ込められているという夢。ただ、鏡もないし、自分が本当に醜いかがわからなくて、救いに来てくれる人か殺しにくる人かを待っているという夢。どんな話になるのかまったく予想だにできないのだが、おもしろい。

 

帯には、「救い」と「犠牲」を現代に問うと書いてあって、私は、その言葉に魅かれて、買ったような気がする。

 

なぜ仕事を辞めたくなるのか?

朝の通勤途中に車を運転していると靄が立ち込め、雲の上に家が建っているような景色が広がっていて、綺麗だった。外気温は何度だろうかと確認したら、−10℃。北海道は例年になく雪が少ない。

 

仕事を辞めたくなるのは、自己有用感がなくなるからだと聞いた。仕事を辞めたくなる大半の理由は人間関係だと思っていたので、自己有用感?と思って訊いた。

 

自己有用感とは、ネットで調べると、自分の属する集団の中で、自分がどれだけ大切であるかということを自分自身で認識すること。誰かの役に立ててるという感覚だという。

 

自己有用感が低い=人間関係が良くない=幸福度が低いなんだって。自己有用感と人間関係って関係しているんだ、と思った。確かに、集団の中で、自分がどれだけ必要とされているかと自分自身で認識するとなると、他者があってのことだもんね。

 

で、その人は、自己有用感を高めるのは上司の役割だと言った。そのために、部下の、見るところを見るべしと言っていた。

 

確かに、上司に対して思うこと、ベスト3の中に入るのは、もっと自分のやっている業務を理解してくれないかなあである。

 

ただ、見ているけど、見れてないという状況は起こりうる。では、どうしたらよいだろうか?

 

自己有用感を高める必要性については、理解できているようで理解できていないような気もするが、見るところを見ることの大切さは理解できる。そのための方法を今、考えている。

怒り

どんな時に怒りを感じるだろうか?

 

偉そうな人、威圧的な人、怒っている人に出会った時に無性に腹がたつ。他にもあるだろうか。そうそう、そんな人たちには出会わないから怒る機会もそうそうない。

 

部下に怒る機会もそうそうない。怒らないように、『守って欲しいこと』というオリエンテーションを一年に一度している。『守って欲しいこと』を守れば、基本、怒らない。最たるものは、自分だけ良ければ良いという働き方をしないこと。

 

失敗するのは当たり前とも伝えている。だから、失敗しただけでは、当然、怒らない。失敗した後にどう行動するかが大事。どう行動するかで、逆に信頼を得ることもある。野球でいうところの大量失点だけしなければ良い。大量失点をする要因は、嘘をつくこと。自分を守ろうとして大量失点。自分に言い聞かせないとなかなか難しい。咄嗟に自分を守りたくなるから。

 

動いている人は、当然、失敗の機会が増えるし、批判されることもある。だけど、こう言い聞かせる。批判する側ではなく、批判される側にいろ、と。

 

成長の種

悩みや失敗は、もしかしたら成長の種になりうるのではないかなと思った。

 

私が仕事をしていく上で、うまくいかないと一番、悩んだり、失敗したのは、説明すること。

 

他にはあるかなあ、と考えたが思い浮かばない。たぶん、他にもあるのだろうけど。もっとうまく説明できればなあと何度となく思って、そう思っていると、本屋では、うまく説明できる本がひっかかるし、研修なんかで、うまく説明する方法なんかを聞くと、スポンジのように聞き入る。かといって、今、うまく説明できるようになったかというと、そこまで説明上手でもないのだけど。

 

成長の種は干からびているから、発芽しないのだろうか。

 

悩みの話をもう少しすると、まず、自分でコントロールできる物事なのか、自分ではコントロールできない物事を分ける。で、自分のコントロールできることに集中する。松井秀喜から教わったこと。直接ではないけど。

 

あとは、動きながら悩むということ。じっと、頭の中だけでああでもない、こうでもないと考えていると、どつぼにはまる。負のループに突入する。だから、動きながら悩む。動きながら考えるでも良いか。手を動かし、足を動かす。

決断

20代の頃、アパートの近くの河川敷に座り、川を眺めながら、考えごとをしていた。川のゆっくりとした流れを見ていると、落ち着くような気がして。その頃、思っていたのは、決断する力が欲しいということ。

 

どこからか、そんなことを考えなくなった。何か物事を決める際に、決めかねていることがあれば、それは今、決める時ではないと思うようになった。流れに身を任せながら決断する。決断せざるを得ない状況になった時に、決断する。それを私は、縁という言葉を使う。出会いから、何かを始める。何かを変える。

 

ただ、流れに身を任せて失敗したと思う決断もある。一度だけ。どう決断すべきか。ちなみに、今、決断すべきことは何もない。

田舎の未来

誠光社に向かう途中、携帯で、誠光社の記事について読んでいると、軸原ヨウスケ・中村裕太『アウト・オブ・民藝』と、福永信『実在の娘達』の2冊が売れ筋と紹介されていて、その1冊、福永信『実在の娘達』を買ってきた。福永信『実在の娘達』は、自費出版なので、なかなか手に入らないかなと思って。

 

絵のない絵本というか、字を読みながら、その場面が、目に浮かぶというか、あたたかい本。毎回、うまく感想を書けず、すみません。時間を空けて、また、読んで読み返してみたい本だった。

 

次に読んだのが、これまた誠光社で購入した、さのかずや『田舎の未来』。

 

仕事文脈に掲載されていた記事が中心というのと、北海道の田舎の話という2点が気になって購入した。どうも「働きかた」や「田舎」というキーワードが私のアンテナにひっかかるらしい。

 

お父さんが失業したというのをきっかけに北海道の田舎で仕事をするということについて考えるのが前半というか、今、私が読んでいる箇所。

 

体験してみないとわからないというか、私も北海道の田舎出身で、父が50代で失業したら、再就職が厳しいというのは容易に想像できる。

 

じゃあ、仕事があるところに引っ越しをすれば良いじゃないかという意見もあるが、もう50年近く住み慣れた土地を離れるのというは、どれほどの勇気がいることだろうか。

 

ああでもない、こうでもないと考えながら、行動しているのが、共感できるといか、リアルというか、これから、どんな展開になっていくんだろうと思いながら読んでいる。

 

初めは田舎で仕事をするとはどういうことかと考えるところから始まって、今は、地元をどう盛り上げるかという話になっている。地元を盛り上げるとか、自分の住んでいる待ちを盛り上げたいとか、あまり興味がないけれども、何かが起きそうな80頁。