どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

私設図書館

1月15日といえば、どんと祭で、いくつかのお守りなんかを持って行こうと、自宅から一番近い神社を携帯で調べて向かったら、神社で火が上がっていない。あれ?と思って、再び、携帯で、調べたら、この神社のどんと祭は、1月19日だそう。

 

確かに、今日は、水曜日で、1月19日は、日曜日だから、一般に、皆さん、日曜日の方が都合が良いよなあ、そうだよなあ、とか考えながら、私は、セイコーマートでカレーとポテトチップスなんかを買って、自宅に戻ってきて、パソコンを開いた。

 

猫は、私が出かけたのに、すぐ自宅に戻ってきて、びっくりしたような顔をして、私の胡座座の上に乗っている。なぜか、自宅の居間の扉がしまらなくなる。

 

今日は、美容室に行く以外、用事は入れていなくて、先日、購入した本を読んで、だらだら過ごすことにしている。

 

その一冊、青木真兵・海青子『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち』を、読み終わった。

 

ホホホ座で見つけた本で、私設図書館で、生活していけるのだろうかという疑問と、もともと、私設図書館を運営している人たちに興味があって、購入した本。

 

読んでいてわかったのだが、そもそも、ご本人さんたちは、私設図書館で食べて行こうと思っていなかった。役に立つ・立たない。儲かる、儲からないという価値とは一線を画して運営している。よって、生活のために必要なお金は、別な仕事をして稼いでいる。他に、古代地中海史を研究していたり、オムライスラヂオをしていたりする。

 

やりたいことは、すべてお金に直結していなくて良い。そのお金とは関係しないところから始めた活動が、その人の魅力につながっていたり、人が集まってきたりする。そうだった。ここ数十年来、思っていること。

 

オムライスラヂオで話した内容なんかを一冊にまとめた本が、この本で、なぜ東吉野村に引っ越したのかとか、なぜ、私設図書館を始めたのかなんかもわかるんだけど、対談を通して、働くとは、生き方とは、と、私設図書館以外の話にもおよぶ。というか、そういう話の方が多いような気がする。

 

興味深かった話はいくつかあるんだけど、その一つに、建築家の光嶋裕介さんとの対談があって、『対話』に関することだった。私も、昨年から、この対話を意識して、仕事をしていて、今年度、うまくいっているのは、この対話がキーワードだったのではないか、と思っている。

 

「対話」を成立させるためには、常に「他者への想像力」を働かさなければならない。他者への想像力への鍵は「正解」がないということです。他者のことは、自分の想像力をもってしか想像できないので、決して「わかり合うことはできない」という謙虚な気持ちが土台にあるわけです。青木真兵・海青子『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち』p196

 

ホホホ座で会計をしようとしている私に、店員さんが、この『りぶろ・れびゅう』という本は、この方達が自費出版したものですと紹介してくれて、あっ、じゃあ、これも買います、と買って帰ってきた。

 

 

プレッシャーに打ち勝つ方法

インプットをしたためか、心の中で、言葉が溢れている。

 

心を鍛えるために、何か、していますか?と訊かれた。

 

何もしていないです、と即答する。心を鍛えるために、何か、特別なことをするものなのか、と思った。

 

スポーツ選手のようにメンタルトレーニングをするものなのか。

 

そういえば、江川卓が、「プレッシャーに打ち勝つ方法は、何でも良いので、これは人に負けないくらい頑張ったものを持つことです」と言っていた。なるほどな、と思った。

本屋

移動に一日がかり。17時すぎに目的地に到着し、最近、私が仕事において力を入れたいいくつかのことを情報収集。気づけば夜中の2時。

 

朝7時に何とか起きて、本日は、本屋巡り。いくつかの行きたい本屋をあらかじめ調べていたが、11時開店するところが多く、11時開店は遅くない?とは思ったが、その中で、10時開店の京都、誠光社に向かう。ここで買わなければ、今後、出会わないであろう本を数冊。気づけば1万円を超える。久しぶりのけちるところじゃない買い物。

 

誠光社をあとにし、ホホホ座へ向かう。バス乗り場がわからないと、ぐるぐると同じような場所を回り、人に教えてもらって、何とかたどり着く。ホホホ座でも、ここで買わなければ、今後、出会わないであろう本を中心に買う。

 

ゆっくりできると思いきや、16時発だとあっという間に関西国際空港へ向かうバスの時間。昼は、コンビニ。

 

今、関西国際空港で、ホホホ座で購入した青木真兵・海青子『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち』を読んで飛行機を待っている。

 

トランクケースは、本でパンパンだ。

 

 

関空

peachMM104便、11:35発関西国際空港行きの飛行機に乗る。機内アナウンスで大阪の気温が10℃と知る。10℃がどれくらいの気温か想像つかない。

 

機内で千葉雅也『デッドライン』を読む。ゲイで、大学院生が修士論文を書くという内容。現代思想を学ぶのもゲイであるためか。

 

どう生きるか。という素朴な問いがのしかかる。それまでの僕に生き方の悩みがなかったわけではない。大学に入って一人暮らしを始め、実際に同性愛を生きるようになって、不安を感じるときに現代思想は助けになってくれた。世の中の「道徳」とは結局はマジョリティの価値観であり、マジョリティの支配を維持するための装置である。マイノリティは道徳に抵抗する存在だ。抵抗してよいのだ、いや、すべきなのだ。千葉雅也『デッドライン』p107

 

関西国際空港に着いたのが、15:00で、そういえば、昼食を食べていなかった、ラーメンを食べたいと、携帯で探す。第一ターミナルにラーメン屋があって、食べ終わったのが、15:30。千葉雅也『デッドライン』も読み終わる。

 

そして、今、南海境駅でバスを待っている。

 

デッドライン

デッドライン

  • 作者:千葉 雅也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: 単行本
 

 

日記

カリカリカリ。猫がご飯ちょうだいというアピールで目が覚める。寝ぼけ眼で、携帯電話で時間を確認すると、5時半。昨日よりは遅くなったけど、5時半は早いでしょ、今、ご飯食べると、後でお腹すくよ、と思いながらだったのか、言いながらだったのか、そのまま寝る。今日は、布団の中に猫は入ってきてくれない。

 

滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読み終わった。

 

日記を読んだのは、これが初めてのような気がする。

 

日記の魅力ってなんなんだろう?小説のように次が気になって読む手が止まらないというわけでもなく、何か為になったという類のものでもない。だけど、日記は、おもしろい。滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読んでいる最後の方で、ノンフィクションの小説のようだな、と思ったのと何か関係しているのだろうか。

 

あとがきに、日記と小説の違いというような話があって、ここは後で読み返そうと思った。

日記を書くということ。ある日の出来事を、その日付のもとに記録すること。そのいいところも、よくないところもあると思う。滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』p283

 

日記のいいところって何だろう?あとで読みかえして、ああ、そうだった、と思い出すことができるところだろうか。人に見られるのを前提にしているのと、人に見られないのを前提にしている日記でも違うような気がする。

 

よくないところ。同じような毎日で書くことがなくなってしまうところだろうか。

 

一日の出来事のなかには、日記にしか書けない事柄がたくさんある。日記に書かなければ書きとめられることはない事柄を、日記は言葉で書き留めておくことができる。一方では、日記には書けない事柄もある。時間が経って、多くの出来事が消え失せたあとで、その日をどうにか取り戻そうと願うように記される言葉は、日記とは別の形で出来事を記録する。そして小説は、そういう言葉で書かれるものだと思う。だからある一日を、ある出来事を、日記に書いてしまったら、もうそのことは小説のように書けないような気がする。・・・日記と小説というのはそんなに違うものではないのかもしれない、というのがこの日記を書きながら思ったことだ。『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』p283

 

この本の中でもとくに、好きだった一節。こうして、作家が、小説をどのように書いているのかを知る機会というのはなかなかない。

 

滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』は、NUMABOOKSから出版されている。他にどんな本を出版しているのか気になって、ブログを書いている手を止めて、NUMABOOKSのホームページを見た。

 

阿久津隆『読書の日記』もNUMABOOKSだった。というか、日記は、滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』が初めてではなかった。阿久津隆『読書の日記』も最高におもしろくて、今度、続編が出るというのをツイッターかだったかで知ったので、今から楽しみで仕方ない。

 

阿久津隆『読書の日記』の魅力はなんだったんだろう?ノンフィクションのところか。ああ、今日はお客さんが来なかった、とかもそのまま書かれているのが、よりリアルとうか、良いところばかりじゃなくて、そんな光の当たっている部分ばかりじゃないよね、と思ったのが良かったのか。fuzkueという店を営んでいく上での良いことと、大変なことが読めたのが良かったのではないか。

 

と書いていくと、日記の魅力は、その過程にある気がしてきた。良いことも悪いことも含めて。

 

NUMABOOKSは、内沼晋太郎さんが代表を務めていて、振り返ると、fuzkueを知ったのも、内沼晋太郎『これからの本屋読本』だった、と思い出して、今度、東京に行った際には、B&Bも行きたい本屋さんの一つとなった。

 

滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を読み終わり、次は何を読もうか、と本棚を眺めていて、武田百合子富士日記』を読むことにした。ここは日記つながりということで。

 

電話

台所の近くに猫がご飯を食べる場所があり、ご飯を食べたいという主張はいくつかあるのだが、一番、オーソドックスな方法は、ご飯を食べる場所の近くにあるダンボールをカリカリと爪を立てること。カリカリすると、ご飯をちょうだいという意。非常にわかりやすい表現。

 

今日は、カリカリカリという音で目が覚めた。携帯電話で時間を確認すると、3時半。早いよ〜、と猫に言い、そのまま寝る。

 

猫は、諦めて、私の布団の中に入ってくる。もはや、私の布団の中で寝るのが、当たり前になりつつある。嬉しい限り。

 

しばらくして、再び、カリカリカリという音がする。たぶん、4時半。早いよ〜、と猫に言い、そのまま寝る。すると、また諦めて、私の布団の中に入ってくる。

 

そんなことを繰り返して朝を迎えた。携帯電話にLINEが来ていることに気づいた。京都に住む大学の後輩からのものだった。

 

12,13の予定で大阪いらっしゃるんですよね。12日は予定でいっぱいですかね!?・・・12時くらいから何時でも自由に動けます。

 

今週末、私は仕事半分、遊び半分で大阪に行く。 

 

京都に大学時代の後輩がいて、その後輩に会って、話を訊きたいことがあって、大阪行きが決まってすぐに連絡をしたんだけど、後輩は、ちょうど実家に帰る予定ということで、予定が合わず、今回は諦めていたんだけど、12日なら会えるとわざわざ連絡をくれた。ただ、今度は、私の都合が悪い。大阪に着いてすぐに、仕事をしなければならない。

 

こうなったら、電話でも良いな、と思っている。私だけかもしれないけど、最近、仕事以外で電話をめっきりしなくなった。久しぶりに電話で話すと、空回りしちゃうのかな。電話をすることがなぜか緊張する。

肉球

横になって寝ている私の背中に、猫は、おい、おい、と呼ぶように、肉球で触った。私は、猫が布団に入りやすいように寝返りを打った。

 

私の布団に入ってくることは、年に数回のはずなのに、ここ最近は、よく布団の中に入ってくる。私の体にくっつくように、隣で寝た。

 

夢の中でも、猫と一緒に布団で寝ていた。ややこしいが、現実世界でも、猫と一緒に布団で寝ている。

 

で、夢の中で、布団から出ちゃったと、目が覚めたと同時に、現実世界でも、猫が布団からちょうど出ちゃって、ああ、夢だったのか、ああ、現実でも、布団から出ちゃった、と思った。好きな人に二度振られたようなもの。いや、そんなことはない。

 

今日も仕事は早々と切り上げてきた。毎日、3つずつ断捨離をしようだとか、毎日、やらなければならないことを何か一つやろうと思っているのだが、どうも、自宅に帰ってくると、何もする気が起きなくて、お風呂に入って、ご飯を食べたあとは、だらだらと、ゲームをしたり、読書をしたりする。

 

滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』は、現在222頁で、このペースでいくと、明日か、明後日には読み終わる。

 

ここに登場する外国人の作家の本を、いつか手にすることがあったら、感慨深いんだろうな、と思う。それとも気づかずに読んで、あとで、あっ、これ前に『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』で登場した人だ、となるのだろうか。

 

明日も朝が早いので、そろそろ寝ないといけないが、『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』の続きも読みたくて、しばらく、布団に横になりながら読もうと思う。