どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

共存

内部研修を連日している。コロナウィルス感染防止のため、ほぼマンツーマンでの研修。その内部研修で、価値観を広げる必要性について話をする場面があり、先日、好きな服屋さんに行った時に聞いた話をした。

 

その服屋さんは、週末しか営業しておらず、ダブルワークというか、収入源となる仕事を平日にし、週末に服屋を開いているのかと思いきや、どうも違うらしい。

 

そのビルのオーナーの意向で、週末営業にしているとのこと。毎日のように服を売るよりも、休みをしっかりとり、休みの日に、本を読んだり、映画をみたり、美術館に行ったりすることで、魅力的な店舗を経営できるという考え方で、その考え方は、私の仕事にも当てはまるのではないか、と思って、価値観を広げる、一つの手段として、本を読んだり、映画を見たり、美術館に行ったりすることが必要ではないか、と話をしているのだが、自宅に帰ってきて、そのような過ごし方は、価値観を広げることに、果たして繋がるのだろうか、と改めて考えた。

 

阿久津隆『読書の日記』を読みながら、そういえば、阿久津さんも、演劇や野球や音楽や映画、本のことが日記にかかれていて、阿久津さんも同じだなあ、と思って、やはり魅力的な店舗を経営する方は、そんな一見、仕事とは関係のないものに触れることが必要なのだろうか、と思った。

 

確かに今まで考えたことがない考え方に出会う瞬間は、映画や本だったりするし、全く仕事と関係のないはずなのに、これって、仕事のことに当てはまるなあと思いながら、見たり、良い言葉はメモしたりなんかする。やはり、価値観を広げる一つの手段になり得るのではないか。

 

そんなにしょっちゅう外出をしているわけでもないが、コロナウィルスの影響で、外出したい時に外出できないというのがストレスというか、連日、仕事も対応を検討しなおさないといけないのがストレスなのかわからないが、鍼治療を受けている時に、ストレスが溜まっていますね、と言われた。自覚はあり、こんな世の中じゃポイズンという言葉がなぜか頭の中で何度か浮かび上がり、知らず知らずのうちに心に余裕がなくなり、笑いも失われ、みたいなことが想像でき、これはいかん、何か行動におこなさないとならない、と思うに至り、この状況下でも楽しめることはないだろうか、普段やりたかったけど、なかなかできていない家でもできることがあるのではないか、とあれこれ考えている。

 

部屋掃除、小説を書く、観たかった映画を観る、料理をする、ランニングをする、自分ひとりだけではなく、周りの人に優しさを配る必要もあるなとか考えながら、普段、連絡していない友達に連絡するのはどうかとも頭に浮かぶ。

 

ニュースを見ながら、コロナウィルスに勝つ!みたいな発言を耳にするが、勝つという言葉に違和感を感じる。どう共存するか、どう共に生きるかのほうがしっくりくる。