どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

はじまりの日

職場に着き、車を降りると、地面に1円玉が落ちているのが目に入った。そのまま職場に歩こうと思ったけれど、お金だぞ、という自分もいて、1円玉を拾い、車に置いた。

 

北海道は、雨が降ったり、小雨が降ったり、そして、今も雨が降っている。

 

仕事を終え、シャワーを浴びている時に、ふと、これから毎日、腹筋をしようか、とか、これから毎日、小説を書くための何かをしようか、とか、これから毎日、ブログを書こうか、と思い立った。それが何になるかなんて、どうでもよくて、何か、そんな気持ちがわいたから、そうしようと思う。一番、続かなそうなのは、腹筋かな。

 

腰が痛くて、マッサージにいこうと思って、電話をしたら、最短で、22時25分です、と言われ、じゃあ22時25分で良いです、と言ったけれど、電話を切ったあと、5分刻みって、すごいな、と思った。

 

それまでの間、ソファに座って、読みかけの角田光代『愛がなんだ』を読んでいる。私の隣には、猫が寝ている。

 

 

登場人物の価値観が私とは合わなく、読むのをやめようかとも思ったんだけど、映画を3回も見た人や、いつか読んだ角田光代の小説はおもしろかったという印象があり、読み続けていると、おもしろくなるかもしれないと、思い始めた154頁。

 

マッサージを終え、自宅に帰ってきて、明日は休みなので、角田光代『愛がなんだ』を読んでしまおうと思いながら、読み終わる。

 

twitterだったかで、解説の島本理生の文章も良いって言っていたので、読んだ。最後の言葉が良かった。

 

かっこわるい姿こそ、生身の人間らしさであり、自分らしさというものなのだから。

猫の体内時計は正確だ。

今のアパートに引っ越してから、毎朝、猫が、私を起こしに来る。にゃっ。今日は、短く可愛らしい声でないた。いつも、寝室の入口に顔をこすりつけ、私を見ている。大抵、早朝5時。今日は、少し遅い7時前。

 

まだ、早いよ〜。寝かせて〜、と一度、言ったことがある。いや、何回かある。猫は、なくのをやめ、1階に降りたのかと思ったら、降りずに階段のところで、ずっと待っていて、その姿を見ると、申し訳ない気持ちになって、それ以来、私は、なるべく起きるようにしている。

 

猫の名前を呼び、一緒に階段を降りて、冷蔵庫から缶詰のご飯を透明なプラスチックスプーンでよそい、下剤を3滴かける。ご飯を置いたと同時に、猫は食べ始める。そのあと、カリカリと呼んでいる噛むと、カリカリと音がする固形のご飯もあげる。水を取り替える。

 

今日は、いつもより仕事が遅く、玄関を開けると、暗闇の居間から、にゃあと声が聞こえた。電気をつけたら、テーブルの上に乗っていた。テーブルの上に乗っていることは珍しい。なんで乗っていたんだろう?

 

自宅に帰ってきてからも少し仕事をしなければならず、パソコンを開いたら、パソコンの前に座ろうとする。

 

しばらくすると、猫は満足して、私の隣に座る。というか寝に入る。

 

今も1階のソファで寝ている。今まで寝室で一緒に寝ていたのに、ソファを買ったら、ソファで寝るようになって、少し、残念な気持ちだ。

変化する

体の変調を来している。昨日は、少しだけ気持ち悪かったし、今日は、中耳炎のように耳が痛い。だけど、大丈夫。すぐに治る。

 

カレーのルーを温め、グツグツ、膨らんでは弾けるカレーのルーを眺めながら、男女間の想いのバランスが崩れるのは、悲しいな、と思った。

 

もうどれくらいぶりくらいかってくらい久しぶりに恋愛小説を読んでいる。

 

角田光代の『愛がなんだ』って、本。

 

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

 

 

映画になっている本で、映画館で3回見たという人がいて、私は、映画よりも本の方が合うかもと思って、買った。

 

主人公の女性は、マモという男性のことが好きで、マモ中心の生活を送る。ただ、マモが、クソみたいな男でって話。正直、今のところ、共感できない。

 

今日も仕事を終え、帰ってきてから、続きを読もうと思ったんだけど、Netflixの『ストレンジャー・シングス』の続きが気になって、Netflixを見る。

 

1日1話って決めていたのに、どんどん話が進むと、先が気になって、昨日は、3話見たし、今日は、残りの2話を立て続けに見た。最新シーズン3を全て見終わって、このブログを書いている。

 

シーズン3が、これまでで、一番、おもしろかったかもしれない。いや、シーズン3の最終話が、すごい良かった。

 

そこに出てきたセリフを、ここに書き写したいところだけど、これから見る人のために、ここでは書かない。

 

泣きそうになった。

 

変化するのが苦手だ。

なぜ小説が必要なのだろうか?

友達から、夏休みあるの?とLINEが来て、ないよ、と返信して、いくつかのやりとりをしていたら、最近、ものを最小限にしたくて、洋服とか買わなくなって金使わなくなったと送られてきて、ミニマリストだね、と私は返した。

 

私が知るミニマリストは、やりすぎでしょってくらいものがなくて、一見、いらないと思うものがあるほうが、豊かなんじゃないだろうか、と思っていたけれど、その友達とのLINEのやりとりから、急に片付けたくなって、仕事を終え、自宅に着いて、本棚を眺めながら、もう読まないであろう本を本棚から抜き取る作業をした。そして、何か収拾がつかなくなって途中でやめた。4月から書斎がまったく片付かない。

 

本棚の整理をしていたからなのか、なぜ、小説はあるのだろうか、と頭をよぎり、特に、フィクションを書くことに意味があるのだろうか、と思考を巡らせた。

 

フィクションで、人の心を動かすってすごいよな、と思ったところで、あっ、映画もか、と思った。絵を描く意味ってと考えながら、一見、生きていく上で、いらないと思うことは、実は、大切だったりするのかな、と結論に近づいたところで、考えることをやめた。

 

そういえば、自宅に、『作家はどうやって小説をかくのか、じっくり聞いてみよう!』という本があったっけ、と思い出し、その本を読んだら、別な視点で、小説を見れるのかなとか思ったけれど、まずは、角田光代『愛がなんだ』を先に読もうと思っている。

 

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

 

 

いかに想像を超えたものを見せてくれるか

仕事を終え、休み前日ということで、小躍りし、眠くなるまで、NETFLIXハンドレッドシーズン6』を観ることにした。観始めたのが22時。シーズン5がどんな話だったかも、うる覚えで、登場人物の名前も危うく、なんで、この人とこの人は憎しみあっているのだろうかとかピンとこないところもあったけれど、さほど問題ない。どんどん引き込まれる。観るのを止めれなくなって、現在、配信されているエピソードを全て観終わったのが、午前3時。ハンドレッドは、危険だ。明日、午前中が無駄になってしまうと、頭を掠めたと同時に、眠りに落ちる。

 

遅めに起きて、遅めといっても9時くらいだけど、北海道近代美術館に向かうことにした。北海道近代美術館に向かう前に、気になっていた書類を職場に取りに行こうと思って、車を運転して、数分で、白バイに捕まる。スピード超過。一気に、生気が奪われ、北海道近代美術館に行くこともなく、このまま帰って、ひきこもろうかと思ったけれど、なんとか、気怠い体を引きずり、北海道近代美術館にたどり着いた。

 

想像以上に、人が多くて、びっくり。東山魁夷唐招提寺御影堂障壁画展』。日本画が好きで、好きと言っても、全然わからないんだけど、どれくらいわからないかというと、東山魁夷が、江戸時代とかの画家だと思っていたら、明治生まれで、亡くなったのが平成というのを、初めて知った。

 

あっ、この絵は原田マハ『生きるぼくら』に登場した絵だとか、この緑というか、青というかの絵のシリーズが良いなとか思いながら、観終わった。もっと日本画を観たい。

 

自宅に帰ってきて、録画していた『マツコの現代アートの世界』をもう一度、観たくなって、観た。

 

特に、番組で、マツコデラックスが言っていた言葉をもう一度、聴きたくて。「現代アートは新しいものの方がおもしろい。魔力を色濃く感じる人に魅力を感じる。いかに凡人ではないか。いかに想像を超えたものを見せてくれるか。非凡であることに対してお金を払う」

 

NETFLIXストレンジャーシングス を観はじめたら、また止めることができなくなっちゃいそうだから、読みかけの本を読みながら、寝よう。

1年間、本だけを読んで過ごしたい。

平日の昼間にプールに行った。思いの外、おじいさん、おばあさんがいて、びっくりした。おじいさん、おばあさんというか、おじさん、おばさんの間というか若々しいおじいさん、おばあさんがプールの9割を占めていた。

 

私は、ウォーキングできるコースをぐるぐると水の中を歩いきながら、へえ、こんな過ごし方もあるんだな、とそのおじいさん、おばあさんを眺めながら、自分のばあちゃんはの世代は、畑仕事がメインで、年を重ねても畑いじりが好きだったけれど、これくらいの年代になると、また、いろんな選択肢があった方が良いのだろうな、とか考えながら、3人で世間話をしながら、水の中を歩いているおばあさんを追い越した。

 

私だったら、どうか。毎日のように図書館に行くのだろうか。お金もかからないし。だけど、今、図書館に行ける環境にあるけれど、図書館には行っていない。読書が好きだけど、図書館に行ってじっとしている感じでもない。

 

ネットだったかで、大学を1年休学して、1年間、本を読んでいたという人を思い出し、そんな1年間を送ってみたいと思った。

 

午後、ふと、財布がないことに気づく。10年に1度、財布を落としている。一気に、気分が沈む。ああ、厄年だからだ、と厄年のせいにする。昼ごはんを食べた店に電話をした。私、昼から働いていますが、財布は届いていません。ちなみにどちらに座っていましたか?テーブル席です。長いテーブルですか?いや、4人がけです。手前左です。今、見ていますが、やはり、ないです。大抵、ない。私は、逆の立場を想像する。ご飯を食べに行った席に、財布があったらどうするか?店の人に届けるか?これまでも、みつかったためしはない。中身が抜き取られ、財布だけ戻ってきたことはあるけれど、基本的に財布が見つかる可能性は少ない。財布には、保険証も、カード類も、免許証も入っていたなあ、と止める手続きを考えながら、気が重いなあ、もう、会社に着いたら、すぐに帰ろうと思った。会社の机にあるような気がしたけど、財布を出す機会なんて、これっぽちもなかったし、と思って、会社に戻ったら、机に財布があった。家の鍵も。ほっと胸をなでおろし、疲れたから、すぐ帰ることにした。

 

自宅に着くと、郵便物の不在通知が入っていて、郵便局に取りに行くことにした。私のアパートのポストは、本すらはいらないポストで、一回、一回、郵便局の人は、不在通知を入れてくれる。郵便局に私書箱を借りようか、何か良い方法はないものか、と考えあぐねているけれど、行動に起こすには至っていなく、郵便局で、本2冊を受け取る。

 

ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』と『ONE PIECE93巻』。

ONE PIECE 93 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 93 (ジャンプコミックス)

 

『ONE PIECE93巻』を読みながら、悲しい気持ちになった。早くこの続きが読みたい。

 

ターニングポイント

居酒屋に向かう途中や、一人、居酒屋で待っている時間。私は久しぶりに20代の頃の自分を思い出そうとしていた。

 

頭に浮かんだのは、ターニングポイント。

 

先ほど、ブログを読み直し、そのターニングポイントが訪れた時期を確認すると、2007年だった。

 

今から12年前で、12年前というと、私は、30だったのか。いや、30ではないような気がする、と思ったところで、29歳だったと記憶が蘇ってきた。北海道に引っ越してきた年が30歳だったからターニングポイントは、29歳。ん?28歳だったような気もする。まあ、いいや。なんとなくの記憶では、20中盤から後半だったような気がしていたけど、30手前だったことに少しだけ驚いた。

 

私にとってのターニングポイントは、人との出会いで、人との出会いは縁で、とか考えていたら、居酒屋に本日、会うことになっていた4人が揃って、話をした。

 

時々、目を瞑り、じっと、その人の小さな声を聞いた。

 

この半年が、その人のターニングポイントになればと願いながら。