北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

砂漠

伊坂幸太郎の『砂漠』を読めと言われた意味がわかりました」と会社の後輩が興奮気味に私に声をかけた。「世界を平和にするとか大それたことはできない。僕たちができるのは、身近な人のために何ができるかを考えること、というメッセージを伝えたくて、読めと言ったんですね」と続けた。私は、「何かメッセージを伝えたくて、その本を読めと言ったわけじゃないよ」と笑いながら応えた。「でも、その言葉、良いね」と言いながら、その言葉を、もう一度、砂漠から探したいけど、再読しないと見つけられないだろうな、と話をしながら思った。

 

昨年だったかに、その後輩に伊坂幸太郎の『砂漠』を薦めたことは覚えている。たぶん、その後輩はあまり本を読む習慣がないとのことで、読みやすいのは伊坂幸太郎かな、と。伊坂幸太郎の本の中でも、私が一番、好きなのは『砂漠』だったので薦めた。ただ、それだけ。

 

こうして本を紹介すると、何かその本を通して、伝えたいことがあるのかな、と読むんだな、と思った。確かに、私も、いわた書店の一万円選書で当選した本を読みながら、店主の岩田さんは、私に、この本を通して、どんなことを伝えたいと思っているのだろう、と読んだ。本を紹介するのはおもしろいかもしれない。だけど、読んだそばからどんな内容だったか忘れてしまう。特に小説だったり、エッセイは。だから、おもしろかったなあという記憶というか、ぼわんとした感覚で薦める。もしくは、この人には、あれがおもしろいというかなあ、とか考えながら、はて?どんな内容だったっけ、と悔しい思いをしたりする。

 

なので、このブログには印象深い言葉なんかを書き留めている。『砂漠』もたぶん、何らかの印象深い言葉を残しているだろうな、とブログ内検索をした。12年前に読んでいた。印象深い言葉も書いてあった。残念ながら、後輩が印象に残った言葉とは違ったけれど。「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」という言葉が、私は当時、一番、印象に残ったらしい。今、読んでも、確かに、と思う言葉ではある。12年後の今、再読したら、今度は、どんな言葉がアンテナにひっかかるのだろう。とは思うけど、読みたい本が、まだまだあるので、再読するかはわからない。その後輩に何ページに書いてある言葉か訊くのがてっとり早い気がしてきた。

 

ネットで検索する方が早いかもしれないと思い立ち、検索したら、それらしい言葉があった。

 

目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ。伊坂幸太郎『砂漠』

 

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

 

関係ないけど、汚れた私の車に、「みち」といたずら書きがかかれているのに気づいた。いたずら書きというと語弊があるかもしれないけど、仕事が終わる帰り道でも、「みち」って何だろう。「うんち」が「みち」に見えたのだろうか、いや、2文字だったしなあ、とすぐに迷宮入りした。 

 

アカソラとアオソラ

日米野球第5戦は、1-5という点差だった。今日は負けたかな、と読書をしながらちらちらテレビを観ていると、7回裏にとうとう同点に追いついた。同点に追いついたところでテレビ中継が終わって、続きが見たくて、インターネットで見れないかな、と思ったら、Huluで観れるということだったけど、私は加入していないので、結果だけ確認しようと諦め、寝室に向かった。

 

『読書の日記』を読み終わり、今は、保坂和志『試行錯誤に漂う』とトーマス・ベルンハルト『私のもらった文学賞』を読んでいる。どちらもみすず書房で、みすず書房つながりだな、と思った。

 

読むとはどういうことか。読むとは読むのにかかった時間のあいだに、読者であった自分が進んだりどこかにズレたりすることで、その時間の響が読んだ人に起こらなかったら読んだことにならない。保坂和志『試行錯誤に漂う』

 

そういえば、日米野球の結果はどうなったのだろうか、とインターネットを開くと、日本が8回裏に逆転した。今回の日本は終盤に、猛烈な粘りを見せる。粘りは見せようと思って、見せれるものではないと思うんだけど、この粘りはどこからくるものなのだろうか。こう何試合も続くと、選手たちの中で、点差が開いても、まだまだこれからという雰囲気が出るのだろうか。それにしても頼もしい。

 

本日の第6戦も4-1と終盤ひやりとはしたものの勝利を収めた。これで、5勝1敗。とうとう今シーズンの野球シーズンは幕を閉じた。

 

先日、オークションで落札したYAMANE『アカソラ』が届いた。早速、何度も何度も聴いている。今も、このブログを書きながら、『アカソラ』を聴いている。この『アカソラ』と『アオソラ』は本当、素晴らしい。『アカソラ』を聴くと『アオソラ』を聴きたくなる。『アオソラ』を聴いていると、『アカソラ』を聴きたくなる。特に、『アカソラ』のFirst Loveと眩暈が良い。宇多田ヒカルのFirst Loveと、鬼束ちひろの眩暈のカバーなんだけど、これがカバーか、というくらいの曲になっていて、かっこいい。特に、眩暈。眩暈の終わりの波の音と、アオソラの1曲目のoneの波の音と重なる。ちなみにYAMANEのoneを聴いて、YAMANEのファンになった。アカソラとアオソラは対になっている。眩暈は特別な曲。

 

何度も何度も聴いていたらカーステレオが熱くなって、カラカラと音を立て、CDが傷つくのではないか、という感じがして、これはまずい、と先ほどまでUSBに移す作業をしていた。『アカソラ』だけでなく、『アオソラ』もUSBにうつし、これまでshabby sic ポエトリーで購入したCDを眺めながら、これも入れとこ、これも入れとこ、と気づけば、23時43分。アカソラをもう一回、聴いたら眠りにつこう。

不在連絡票

『読書の日記』の続きを読み、たばこを吸いに外に出て、想いを馳せていると、ふと、小説の言葉が浮かんで、急いで、自宅に入り、メモに言葉を記した。言葉は、ふと、浮かんで、それを掴まないと、すぐに忘れてしまう。

  

夏の甲子園で出会った松田さんから、明治神宮大会には来ますか?とショートメールが来たのが、明治神宮大会前だったかで、それから明治神宮大会の結果が気になって、チェックしていたんだけど、札幌大谷が優勝してたまげた。来春か、夏の予選か、直接、試合を見たいと思っている。

 

今日は、休みだった。昼、食堂のカウンターで、豚ばら肉つけそばを食べていると、私から1席か2席離れた席に、60代頃の夫婦が座った。何を注文したかは聞いていなかったが、料金前払いのこの店のカウンターに、妻は千円札を置いた。置いて、席から離れた。150円足りなかったらしく、夫が残りを払っていた。戻ってきた妻は、水を2つ持ってきて、夫が座る席に、そっと置いた。何か、この一連の妻の動きが素敵だな、と思った。

 

家に帰ったら、YAMANEの『アカソラ』は届いているだろうか、と楽しみに家路に着いた。

 

前日、自宅に届いた不在連絡票を手にして、ヤマト運輸で荷物を取りに行き、自宅に着くと、またポストには不在連絡票が入っていた。また?と手にとった不在連絡票は、先ほど、取りに行った荷物ではなく、楽天で買い物したものだった。運転手に電話をし、「これからずっと家にいるのでいつでも良いです」と言って、『読書の日記』を読んだ。

 

読んでいたら、眠っていて、起きたら外が暗くなっていた。『読書の日記』の続きを読んで、外に煙草を吸いに行こうかと、ポストを見たら、また不在連絡票が入っていた。熟睡していて、インターフォンの音が聞こえなかったのか、申し訳ないことをしたなあと思った。

 

『読書の日記』が読み終わった。日記の楽しみを教えてくれた本。twitterで、読書の日記2を書いているというようなことを見たので、続編が出ても買おうと思っている。

 

『読書の日記』を読み終わったら、ご飯にしようと思ったけど、あまりお腹が空いていない。昨日、一昨日と晩御飯を23時近くに食べていたから、体が、そうなっているのか、現在、20時。テレビをつけ、日米野球を見ている。岡本がバックスクリーンにホームランを打った。

 

読書の日記

読書の日記

 

 

人は、人を憎むことが好きだけれど、人に憎まれることは嫌い。

昨日のこの時間、私は、『二千七百の夏と冬』の下巻を読みながら、これは、読みきらないと次の日に続きが気になって、気になって、支障が出てしまうと思い、一気に読みきった。深夜1時50分読了。この本は、ある本屋さんのフェアで知り、購入したものだけど、その本屋さんのフェアを知らなければ、手にとらなかったであろう物語。縄文時代の物語。全く興味ない。興味ないのに、惹きつける荻原浩がすごい。

 

 

殺し合いは、猿人や原人の時代からあったことらしいけれど、もしそれが、人間の本来持っている本能なのだとしたら、逆にそれを認めて、原因を突き止めて、抑制する方法を考えるという手立てもあるはずだ。だって、人は、人を憎むことが好きだけれど、人に憎まれることは嫌いなんだから。『二千七百の夏と冬』荻原浩

 

今日というか、すでに0時をまわっているから、昨日になるけど、行動変容について考えていた。どういう時に人は変わるか?自分のことを振り返っても、微妙に変化してきている。それは、上司の言葉がきっかけだった時もあるし、友達の言葉がきっかけだった時もある。いや、言葉だけではなく、誰かの働く姿を見て変わった時もあるかもしれない。響く人であるかというのも大事なんだろうとは思った。そもそもセンスみたいなものがあり、人は変わらないのではないのかとも思ったりする。

 

今日は頭がまわらない。深夜1時50分の読書は、結局、次の日に支障が出た。

 

 

 

アカソラ

かれこれ10年近く欲しかったYAMANEの『アカソラ』というCDがオークションに出ていないかと思って検索してみたら、ヤフオクで出品されていた。残り1日。これもまた縁。今日が、その締切日。あと1時間で落札できる。入札しているのは私だけ。

 

今日も日米野球を見ながら、本を読んでいる。日米野球は、1-7で負けている。本は、『二千七百の夏と冬』を読んでいる。もうおもしろくて読むのをやめられない。

 

残り34分11秒。本を読みながら、ヤフオクの残り時間を確認する。オークションをするのは久々。

 

残り13分13秒。日米野球は3-7で日本が負けた。『二千七百の夏と冬』は138貢に達した。読めば、読むほど、読むのをやめられない。

 

そして落札。とうとう手に入ったYAMANEの『アカソラ』。早く聴きたい。ブログを書き終え、私は、『二千七百の夏と冬』の続きを読む。

ねこの爪

雨上がりの空に、虹がかかった。見事な虹で、写真を撮っている人もいた。私は、その虹を眺めながら、縄文時代の人たちは、虹をどんなふうに捉えていたのだろう?カラフルだから、神が喜んでいるとか、なんとか言っていたのだろうか?と考えているのは、『二千七百の夏と冬』を読んでいるから。

 

昨日は、上巻を読み終えたところで力尽き、そのまま眠りについた。縄文時代なんて、全く興味なかったのに、おもしろいと思わせる荻原浩はすごい。手作りの弓や槍で熊と戦うなんてすごい。生きることは食べること。そんな言葉が何度となく頭をよぎり、これって、縄文時代に関係なく、現代にも通ずることなのではないか、と思ったりする。そもそも、生きる上で、大事なことなんて、そんなに多くはないのではないか。食べること。寝ること。愛すること。

 

1週間に1日休みが続くと体がきついなあ、と思いながら自宅の玄関を開ける。すぐにテレビをつけ、日米野球を見る。昨日は、あのあと、柳田のホームランで逆転勝ちをした。日米野球を見ながら、ご飯を食べ、『読書の日記』を読みながら、日米野球を見ている。7回裏で12-1と日本が勝っている。松井秀喜MLBのコーチとして帯同しているんだけど、松井を見れるのは嬉しい。

 

今日の月は、ねこの爪のようだ。

ピンク

朝、shabby sic ポエトリーの店主タケアキさんからのメールを確認した。仕事が早い。やはり1日休みはきついなあ、と思いながら、職場に行く前に、セイコーマートに寄り、車から、ピンクのズボンに、オレンジ色の上着を着たおばさんが目に入った。おしゃれだな、と思った。

 

仕事中には、ピンクと紫の間の色のハットを被ったおばさんがセブンイレブンに買い物をしていた。今日、2人目だな、ピンク。それにしてもおしゃれだと思った。

 

仕事を終え、自宅に帰る途中に、私の家の小さな郵便局の灯りがついていて、こんな遅い時間まで仕事してるんだなあ、郵便局員さんにもやることがたくさんあるのかなあ、と自宅に帰ってきて、そうだ、日米野球だった、とテレビをつけた。

 

MLBと巨人が戦っていた。日本代表戦は、明日か。よくわからない。これで、野球シーズンは終了だなあとか思いながら、『二千七百の夏と冬』の続きを読む。200貢すぎたあたりから、さらにおもしろくなり、読むのをやめられなくなってきた。

 

というわけで、今日は、この辺で。私は『二千七百の夏と冬』の続きを読みながら、眠くなったら寝ます。おやすみ〜。