どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

 鞄から財布を取り出す際に、カバンが濡れていて、はて、雨で濡れたのだろうか、と思ったら、水筒の蓋が緩んでいて、水が半分ほど漏れていた。今、読んでいる島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』の下の部分も濡れていて、本が波打っていてげんなりした。本が汚れるのは悲しい。

 

 本は考える時間をたくさん与えてくれる。思い出す時間もたくさん与えてくれる。読書というものは、すぐに役に立つものではないし、毎日の仕事を直接助けてくれるものではないかもしれない。でもそれでも、読書という行為には価値がある。

 島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』p108

 

 仕事の核となるのは、あくまでひとりの人間の個性だ。

 こうすればうまくいくというような仕事の型があって、それに無理やり自分を押し込めるのではなく、わたしには何ができ、逆になにができないかを考え続けて、日々の仕事を試行錯誤しながらつくっていく。

 島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』p117

 

 携帯電話に着信履歴が残っていた。間違って発信したのだろうか、と思いながら電話をかけ直した。というのも、その電話をかけてきた女性は、かれこれ20年近く前に、一緒の職場で働いていた女性で、今更、私に電話をかける用事もないと思った。

 相手は電話に出ず、やっぱり間違ったのだろう、と思った。再び、着信があり、今度は留守番電話にメッセージが残されていた。

 片付けをしていたら、あなたの手紙が出てきて、それで電話したのだ、と。

 手紙なんて、書いたっけ、と思った。転勤した時か、その女性が定年退職した時に書いたのだろうか。内容は覚えていない。ただ、手紙を書くくらいだから、感謝の気持ちをしたためたのだろ。

 私は、再び、その女性に電話をした。その女性は、高揚した声で電話に出た。

 時々、私を思い出してくれていたこと、74歳になった今もなお、再就職して働いていること、子どものこと、孫のことなんかを矢継ぎ早に話をした。

 死ぬ前に会いに行きたい、と私が言うと、苦笑いのような返答の後、電話を切った。

 なぜか、今年に入って新潟で働いていた人たちから連絡が来る。それも十数年ぶりに。新潟が、私を呼んでいると思った。 

 翌日、新潟の友人に久しぶりにメールをすることにした。清水さんから15年ぶりくらいに電話が来たよ、と。

 何度となく、メールのやり取りをしていたら、時間も0時近くになり、なんか、布団に入りながら、話しているようで、どちらかが眠りについて話が終わる流れだな、と思ったら、私が眠りに落ちていた。

 次の日もメールは続いた。

 友人から、どんな変わり方をしても、芯は変わらないといいなぁと思う。願望、と送られてきた。よくよく考えると、私の芯ってなんだろうって思ったけれど、その言葉は、存在自体の肯定だった。ありがたい、ありがたい、言葉だった。