ブルータスを時々、読みたくなる。先日も、コンビニに行った時に、ブルータス「ことば、の答え」というのが目に入って、その時は、急いでいたから、また、今度、ゆっくり読もうと思ったけど、あれからこのブルータスに出会っていない。
言葉つながりだな、と若松英輔『言葉の贈り物』という本を手に取った。
書くこと、読むこと、生きることを集めたエッセイで、この本は、ゆっくり、丁寧に読みたいと思いながら、読み終わった。手元に置いて、ふとした時に、また読みたい。
朝、起きて、昨日の鍼は、だるさを取ると言っていたけど、全然、だるいじゃないか、と仕事に向かった。
こんな時は、コツコツと、黙々と、粛々と、おとなしく、仕事をしようと言い聞かせる。
自分が発する言葉は、自分では気づいていないけど、実は、本音ではなく、理想の自分像というか、こうあるべき姿というかで、語っていることがあるな、とふと思った。
理想を語ることで、自然と理想の自分に近づくという良い点もあると思うが、自分の本音、心の声が掠れてしまうこともあるのではないか。
自分の本音は?本当は?と、問うと、別な答えというか、心の声が聞こえてくる。ただ、先日の全裸監督のキャッチフレーズではないけれど、人間まるだし、だとうまくいかないというか、人を傷つけることもあり、人を傷つけてまですることなのか、と自分との対話をし、自分の行動を決める。
と、いうようなことを考えていたら、疲れた。