どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

欲望年表

千葉雅也『勉強の哲学』にEvernoteアウトライナーを使用したノート術が紹介されていて、これ、使えそうだなと思って、それから、Evernoteアウトライナーを使用している。確かに、使い勝手が良い。

 

私のEvernoteの使い方は、読書をしていて、この言葉良いなと思ったものを写真を撮ったり、研修なんかに出席した時のプリントを写真をとって保存したり、手書きのノートを写真に撮って保存したりする。

 

アウトライナーは、仕事のアイディアやブログのアイディア、小説のアイディアなんかを書き留めておく。

 

Evernoteアウトライナーとは関係ないんだけど、出勤に30分要するようになったのも良い効果を及ぼしている。考えようとしていないんだけど、頭に浮かんできたことが良いアイディアだったりすることは、結構あって、車の運転中だから、自宅に着いた時には、忘れちゃっうこともあるんだけど、覚えていれば、アウトライナーにメモする。

 

このノート術を自分のものにできたことだけでも、千葉雅也『勉強の哲学』を読んでよかったんだけど、『メイク・オブ・勉強の哲学』を読んで、『勉強の哲学』の復習のような感じになり、欲望年表もつけてみようかな、と思い立ち、再読。

 

最終的に、勉強を有限化するためには、信頼できる情報を比較するなかで、自分の享楽的こだわりによって足場を定めることが必要であり、しかもそれを絶対化しないことが必要です。千葉雅也『勉強の哲学』p155

 

欲望年表の作り方

(1)自分のいまの仕事や興味につながる重要なポイントを、思いのままに書き込んでいく。

(2)その背景になっていると自分で思う出来事、商品、作品、人物などの名前とその年を書き込んでいく。

(3)関連することを歴史的にさかのぼって、20世紀からさらに前にまで広げ、自分の位置を、大きな歴史の流れに接続する。

千葉雅也『勉強の哲学』p156

 

ここからメインの欲望年表とサブ欲望年表をつくり、云々かんぬんとなる。今、膝から、猫がおりたので、今日は、このへんで、風呂に入り、風呂から上がったら、アウトライナーにでも書いていこうと思う。 

ナポリタン

パチンコ屋をなんとはなしに見上げながら、美容師さんが言っていたパチンコ屋の1階にあるラーメン屋に行きたくなった。パチンコ屋の名前は覚えているけれど、どこにあるパチンコ屋か忘れてしまったし、ましてや、ラーメン屋の名前は、美容師さんが忘れたと言っていたので、わからない。あれは、ラーメンというより、新しい食べ物です。そんな風に紹介されたら一度は食べてみたい。

 

そんなことを考えながら、その日は、ラーメンではなく、ナポリタンを食べるために、喫茶店を目指した。喫茶店の名は、マミーナ。入口には18時まで営業と書いてあって、閉まるの早いな、と思った。チリン、チリンという音とともに店内に入った。店内には誰もいなく私だけだった。昭和の時代から変わらぬ佇まい。こんな店が落ち着くんだよな、と中央のテーブルに座り、壁にかかっているメニュー表を眺めた。すみません。ナポリタンお願いします。マスターがナポリタンを作っている間も、店内を眺めながら、あっ、ミルクセーキあると思って、すみません。ミルクセーキもお願いします、と注文した。出てきたミルクセーキは、これまで飲んできたミルクセーキよりも、濃厚だった。

 

高校くらいまでの間、私にとって、スパゲティといえばナポリタンだった。母が作るケチャップで作るナポリタン。そんなケチャップで作ったナポリタンが出て来た。うん。うまい。ナポリタン選手権と銘打って、ここ何回か喫茶店に行くと、ナポリタンを食べていたが、どこのナポリタンもおいしい。あれか?味のわからない男なのか。

 

自宅に帰ってきて、千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』を開いた。

 

千葉雅也『勉強の哲学 来るべきバカのために』がおもしろくて、『メイキング・オブ・勉強の哲学』も買った。

 

講演だったり、対談だったりが収録されていて、『勉強の哲学』を復習しているようで、さらに理解が深まった。

 

メイキング・オブ・勉強の哲学

メイキング・オブ・勉強の哲学

 

 

たまたまつけていたテレビで直木賞受賞作、川越宗一『熱源』について放送していた。おもしろかった。できれば、最初からじっくり見たくて、再放送を調べたら、私が見たのが再放送で、今後、また再放送するかはわからない。

 

差別はなぜ起こるのか?

 

異質なものへの恐怖と排除?征服欲?

 

欲。欲は生きる力の源みたいなことを言っている人を思い出した。欲は他に何があるのだろうか?

 

ネットで調べると、仏教でいう五欲とは、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲とある。仏教についてもっと知りたい。

 

 

写真と小説

実家に帰った。日帰りで。実家の猫は、マツコデラックスのようだった。ダンボール箱で作られたベッドで寝ていて、撫でたが、一度も、居間に来なかった。私も気付いたら30分ほど寝ていて、昼の12時になって、そろそろ帰るわって、2時間かけて来たのに、滞在も2時間だった。いつものこと。

 

じろう(シソンヌ)『サムガールズ』を読んだ。

サムガールズ  - あの子が故郷に帰るとき - (ヨシモトブックス)

サムガールズ - あの子が故郷に帰るとき - (ヨシモトブックス)

 

 

女性の写真を見て、その女性の物語を想像して書いた短編小説だということをどこかで知って、おもしろい書き方だなあと思って読んだ。

 

あとがきを読むと、女性の名前、年齢、居住歴と写真を元に書くらしい。私もやってみたいと思った。

はいらないということがあるのだろうか。いや、たぶん、あるのだろう。

眠い。眠すぎる。2日連続、仕事から帰ってきて、お風呂に入り、ご飯を食べて、すぐ眠る。眠るというか睡魔に勝てないといった状況。昨日は21時頃には深い眠りの底。

 

目が覚めたのが3時。21時から寝てたとすると6時間かとか考えながら、まったく眠くないので、布団から出る。カーテンを開けると、雪が積もっていたので、コートを着て、車の中に入れっぱなしにしていた手袋を装着して除雪をすることにした。

 

気持ち私のアパートの前の雪が多い気がする。風で雪が吹き飛ばされ、私の家の前でたまったというか。そんな不満を抱きながらの除雪をして、自宅に入り、最近、なかなか読書がすすんでいなかったので、軽めの感じがよいなと思って開いたのが、こだま『夫のちんぽが入らない』。

 

タイトルがなあ、と思っていたけれど、私が好きな書店でおすすめしていたので買った。

 

物心ついたころから人と関わることが苦痛だった。小学校では誰かと目が合うだけで極度に緊張し、赤面し、どもり、最後には黙り込んだ。こだま『夫のちんぽが入らない』p6

 

読み始めて、最初のページで、この小説、好きかもしれない、と思った。最初のほうで、そう感じる本は、たぶん、最後まで、楽しく読める気がする。

 

陰ながら応援する眼差しで、読んでいたら、まさしく、ちんぽが入らないというタイトルそのままの展開になり、ええ、そんなことがあるのだろうか、と思ったけれど、そんなことが実際に起こったのではないだろうか、と思ったところで、朝7時。

 

まずい。出勤前なのに眠くなってきた。

 

 

 

セルフネグレクト

寝ていると、髪を触られた感覚があって、枕元を見ると、猫がいた。最近、知ったのだが、私は、横向きで寝ていることが多く、横向きで寝ていると、猫は、背中を、トン、トン、と触り、布団に入ってくる。仰向けで寝ていると、髪を触るらしい。猫が入れるように布団を開けると、猫が布団の中に入ってきた。

 

昼に、やきっぺ2袋を食べて、鍼へ。最近、特に腰が痛い。腰いてえ、と自然と口から漏れてしまう。坐骨神経痛もある。別の店にも行ってみたけど、やはり、この店が、良いなと再確認した。体にはテーピング。

 

自宅に戻って読書。石川瞭子『セルフネグレクトと父親』を読む。ネグレクトは育児放棄だけど、セルフネグレクトって何?自己放棄?ひきこもり?

 

ネットで調べると、生活環境や栄養状態が悪化しているのに、それを改善しようという気力を失い、周囲に助けを求めない状態を指すとある。

 

本著のまえがきに、父親のセルフネグレクトに焦点を当て、子どもを守り、母親を守り、父親が加害者になることを防ぐために、社会福祉は何をしなければならないのかを論じる、とある。

 

読んでいくと、具体的なケースが書かれていて、状況を想像しやすい。自然と、その人の気持ちになって考えられるようになってくる。

 

 

夜は、たまたまつけていたSWITCHインタビュー達人達を見る。山下洋輔養老孟司の回だったんだけど、その2人が素敵だった。余裕があるというか、地に足がついているというか、いろいろ経験して、今の言葉があるというか、素敵だなあと思った。たまたまだけど、見て良かった。

 

4番サード原に憧れて

好きなプロ野球選手は誰ですか?と訊かれれば、松井秀喜です。と、即答する。

 

ただ、私がプロ野球選手になりたい、と子どもの頃に憧れたヒーローは、原辰徳だった、と中溝康隆『原辰徳に憧れて』を読みながら思い出した。

 

私の野球人生を振り返ると、4番サード、原に憧れて、4番サードを目指しつづけた野球人生だった、と言っても過言ではない。

 

中学の頃は、原と同じ背番号「8」を獲得したものの、背番号「8」は、センターのポジション番号であり、背番号「8」にこだわりはなく、アナウンスで流れる「4番、サ〜ド〜、はら〜」に憧れていたのだ。

 

結局、中学の頃は、サードのポジションを守ることもなく、サードをやりたいです、と口に出すこともなく、胸に秘め、高校に進学。

 

高校の野球部に入部してすぐの頃は、セカンドでスタートするが、4番サードへの挑戦は最後になると思った私は、猛烈に、サードを希望。いや、熱望。

 

高校2年で、サードのポジションをようやく奪取し、次に目指すは、4番の座。4番サードがセットになっていなければ、目標は達成されない。

 

旭川スタルヒン球場で、バッターボックスに立つ前に流れる「4番、サ〜ド〜」を聞きたい。そんな一心で、野球に打ち込む。

 

3年生たちが引退し、最上級生になった私は、やっとというか、4番の座に君臨し、「4番サ〜ド〜」をアナウンスで聞くことができる。

 

4番へのあまりのこだわりから、試合中、バントのサインを出した監督に、なぜ、4番にバンドなんですか、と、試合後、口走ってしまい、それ以降、4番の座には戻れなかったような気がする。

 

もしかしたら、原がバントをした姿と重なってしまったのかもしれない。