どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

谷崎由依『囚われの島』を読み終わった。

 

一言で言えば、読み応えがあっておもしろかった。

 

蚕が一つのキーワードで、蚕って知っているようで知らないなあ、と思って、YouTubeで蚕の動画を見た。

 

成虫になると蛾になるということを知り、ちょっと苦手だなあ、と思った。ウィキペディアを読むと、蛾になっても飛ぶことができないらしい。初めて知ることばかり。

 

養蚕業は、日本の主要産業であったが、世界恐慌以降に海外市場の喪失、代替品の普及で衰退していったとある。谷崎由依『囚われの島』にも、そのような場面があった。

 

明治時代以降に、養蚕業、絹糸が、外貨獲得の産業として重視され、日本の近代化の礎となったとある。そこまでだったとは。

 

明治以降の皇后は、産業奨励のためを養蚕を行い、現代に至る。確かに、この前、テレビで見た。

 

もともとは中国が発祥で、ヨーロッパの交易ルートを、シルクロードという。シルクロードは、世界史だったかで、重要な用語だったはずで、言葉だけは知っているが、ここでも蚕が関係するのか、と40にして、初めて知った。恥ずかしながら。

 

もう一つのキーワードは視覚障害谷崎由依『囚われの島』には、盲目の調律師が登場する。

 

「正しいか、正しくないか。あるいは存在するかしないか。幸か不幸か、こちらかそちらか。思考が二項対立から成っているのは、人間の目が二つあるからです」「まさか」「そう思われますか?ならば試しに、目を閉じたまま暮らしてみればいい」『囚われの島』p275

 

印象深い一節。

 

もう一度、読んだら、もっと理解できるところがあるだろうなあ、と思うのだけど、次なる一冊へとすすむ。

 

 

障害と文学

太宰治の長男がダウン症だったということをつい最近知った。

 

ヴィヨンの妻』、『桜桃』に登場する男の子は、長男の成長過程を元にしているという。

 

ヴィヨンの妻』が1947年。『桜桃』が1948年。1947-1948年は、どんな時代だったのだろうか?

 

ネットで調べていくと、太平洋戦争の終戦が1945年。1946年、日本国憲法公布。戦争孤児が全国で12万人。1947年に、児童福祉法公布。この児童福祉法に、精神薄弱児(知的障害児)施設の設置に関する文言が盛り込まれる。ふむ。

 

太宰治は、太宰治の長男は、どんな生活を送っていたのだろう?

 

www.dinf.ne.jp

 

ネットでさらに調べていくと、大江健三郎近松門左衛門の記事があって読んだ。

 

www.atarimae.jp

 

この記事を読むと、大江健三郎も、近松門左衛門も、障害のある子どもがいたからこそ、できた作品があるというようなことが書かれていた。

 

そういえば、この前、読んだ藤川幸之助も詩人になりたかったけど、詩人では食べていけないから、教師になって、そうこうしていると、母の介護が必要になり、母の介護を通して感じたことなんかを詩に書いたり、本に書いたりして、結果、詩人になれたというようなことが書かれていて、最初は、作者自身にとって、マイナスの経験が、プラスに変換されるってすごいなあ。

 

 

近松門左衛門って、何時代の人なんだろう、と調べると、江戸時代の人で、江戸時代における障害者の生活って、どんな感じだったのだろうか、と想像した。

 

親の気持ちというのは、時代を超えて通ずるものがあって、その経験とどう向き合うということか。

 

近松門左衛門の生涯が書かれている杉本苑子『埋み火』を読んでみたくなった。

 

埋み火〈上・下〉 (1979年) (文春文庫)

埋み火〈上・下〉 (1979年) (文春文庫)

 

 

救いと犠牲

朝7時に居間から猫が何度か鳴いた。ご飯ね、と思いながら、起きて、猫にご飯をあげ、稲葉剛『貧困の現場から社会を変える』を読んだ。

 

8時になり、猫がご飯近くのダンボールをカリカリと爪を立てる。ご飯食べたでしょ、と言いながら、猫にご飯をあげた。

 

そして、カーテンを開けると、外は雪がしんしんと降っていて除雪をした。苫小牧で行われている作品展を見に行こうと思っていたけど、めんどくさくなってやめた。

 

9時になり、猫がご飯近くのダンボールをカリカリと爪を立てる。ご飯を食べたことを忘れているのだろうか、と心配になりながら、猫にご飯をあげた。

 

11時、近くのスーパーに、やきっぺと、ポテトチップスと、コーラを買いに行き、やきっぺを2袋開けて水を300ccフライパンに入れて作り、あっという間に食べた後は、BRUTUS『危険な読書2020』をぺらぺらめくった。

 

BRUTUS(ブルータス) 2020年1/15号No.907[危険な読書2020]

BRUTUS(ブルータス) 2020年1/15号No.907[危険な読書2020]

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2019/12/16
  • メディア: 雑誌
 

  

綿野恵太『「差別はいけない」とみんな言うけれど』を読みたくなった。BRUTUSを読みながら、気づいたら、寝ていた。昼寝。

 

綿野恵太『「差別はいけない」とみんな言うけれど』は、改めて「軸足」を再確認したかった私にはドンピシャでした。日本でも、気づけば嫌韓・嫌中的思想が氾濫し、商売になっている。こうなると「差別はダメ」と言い続けるだけではもう無理。なぜダメなのか?自分はそれをどう感じ、何を思うのか?そもそも差別はなぜダメなの?と考えた時に、指針を与えてくれるのがこの本でした。BRUTUS『危険な読書2020』p44

 

(休み)最高!、と言いながら、起きると、猫もストーブの前で寝ていた。

 

谷崎由依『囚われの島』を開いた。この本は、先日、京都の誠光社で買ったもので、文学が並ぶ本棚を眺めていると、谷崎由依さんの本が何冊かあり、谷崎由依さんを初めて知ったので、その何冊かの本を眺めながら、その1冊を買ってきた。

 

新品の本は、読んでいても気持ちが良いと思いながら、第1章を読み終えた。新聞記者の女性が主人公で、その女性がバーのような場所で、視覚障害者の調律師の男性と出会う。その調律師の男性は、ある夢を何度となく見る。どんな夢かというと、おまえは醜いからと言われ、ある部屋に閉じ込められているという夢。ただ、鏡もないし、自分が本当に醜いかがわからなくて、救いに来てくれる人か殺しにくる人かを待っているという夢。どんな話になるのかまったく予想だにできないのだが、おもしろい。

 

帯には、「救い」と「犠牲」を現代に問うと書いてあって、私は、その言葉に魅かれて、買ったような気がする。

 

田舎の未来

誠光社に向かう途中、携帯で、誠光社の記事について読んでいると、軸原ヨウスケ・中村裕太『アウト・オブ・民藝』と、福永信『実在の娘達』の2冊が売れ筋と紹介されていて、その1冊、福永信『実在の娘達』を買ってきた。福永信『実在の娘達』は、自費出版なので、なかなか手に入らないかなと思って。

 

絵のない絵本というか、字を読みながら、その場面が、目に浮かぶというか、あたたかい本。毎回、うまく感想を書けず、すみません。時間を空けて、また、読んで読み返してみたい本だった。

 

次に読んだのが、これまた誠光社で購入した、さのかずや『田舎の未来』。

 

仕事文脈に掲載されていた記事が中心というのと、北海道の田舎の話という2点が気になって購入した。どうも「働きかた」や「田舎」というキーワードが私のアンテナにひっかかるらしい。

 

お父さんが失業したというのをきっかけに北海道の田舎で仕事をするということについて考えるのが前半というか、今、私が読んでいる箇所。

 

体験してみないとわからないというか、私も北海道の田舎出身で、父が50代で失業したら、再就職が厳しいというのは容易に想像できる。

 

じゃあ、仕事があるところに引っ越しをすれば良いじゃないかという意見もあるが、もう50年近く住み慣れた土地を離れるのというは、どれほどの勇気がいることだろうか。

 

ああでもない、こうでもないと考えながら、行動しているのが、共感できるといか、リアルというか、これから、どんな展開になっていくんだろうと思いながら読んでいる。

 

初めは田舎で仕事をするとはどういうことかと考えるところから始まって、今は、地元をどう盛り上げるかという話になっている。地元を盛り上げるとか、自分の住んでいる待ちを盛り上げたいとか、あまり興味がないけれども、何かが起きそうな80頁。

 

私設図書館

1月15日といえば、どんと祭で、いくつかのお守りなんかを持って行こうと、自宅から一番近い神社を携帯で調べて向かったら、神社で火が上がっていない。あれ?と思って、再び、携帯で、調べたら、この神社のどんと祭は、1月19日だそう。

 

確かに、今日は、水曜日で、1月19日は、日曜日だから、一般に、皆さん、日曜日の方が都合が良いよなあ、そうだよなあ、とか考えながら、私は、セイコーマートでカレーとポテトチップスなんかを買って、自宅に戻ってきて、パソコンを開いた。

 

猫は、私が出かけたのに、すぐ自宅に戻ってきて、びっくりしたような顔をして、私の胡座座の上に乗っている。なぜか、自宅の居間の扉がしまらなくなる。

 

今日は、美容室に行く以外、用事は入れていなくて、先日、購入した本を読んで、だらだら過ごすことにしている。

 

その一冊、青木真兵・海青子『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち』を、読み終わった。

 

ホホホ座で見つけた本で、私設図書館で、生活していけるのだろうかという疑問と、もともと、私設図書館を運営している人たちに興味があって、購入した本。

 

読んでいてわかったのだが、そもそも、ご本人さんたちは、私設図書館で食べて行こうと思っていなかった。役に立つ・立たない。儲かる、儲からないという価値とは一線を画して運営している。よって、生活のために必要なお金は、別な仕事をして稼いでいる。他に、古代地中海史を研究していたり、オムライスラヂオをしていたりする。

 

やりたいことは、すべてお金に直結していなくて良い。そのお金とは関係しないところから始めた活動が、その人の魅力につながっていたり、人が集まってきたりする。そうだった。ここ数十年来、思っていること。

 

オムライスラヂオで話した内容なんかを一冊にまとめた本が、この本で、なぜ東吉野村に引っ越したのかとか、なぜ、私設図書館を始めたのかなんかもわかるんだけど、対談を通して、働くとは、生き方とは、と、私設図書館以外の話にもおよぶ。というか、そういう話の方が多いような気がする。

 

興味深かった話はいくつかあるんだけど、その一つに、建築家の光嶋裕介さんとの対談があって、『対話』に関することだった。私も、昨年から、この対話を意識して、仕事をしていて、今年度、うまくいっているのは、この対話がキーワードだったのではないか、と思っている。

 

「対話」を成立させるためには、常に「他者への想像力」を働かさなければならない。他者への想像力への鍵は「正解」がないということです。他者のことは、自分の想像力をもってしか想像できないので、決して「わかり合うことはできない」という謙虚な気持ちが土台にあるわけです。青木真兵・海青子『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち』p196

 

ホホホ座で会計をしようとしている私に、店員さんが、この『りぶろ・れびゅう』という本は、この方達が自費出版したものですと紹介してくれて、あっ、じゃあ、これも買います、と買って帰ってきた。

 

 

本屋

移動に一日がかり。17時すぎに目的地に到着し、最近、私が仕事において力を入れたいいくつかのことを情報収集。気づけば夜中の2時。

 

朝7時に何とか起きて、本日は、本屋巡り。いくつかの行きたい本屋をあらかじめ調べていたが、11時開店するところが多く、11時開店は遅くない?とは思ったが、その中で、10時開店の京都、誠光社に向かう。ここで買わなければ、今後、出会わないであろう本を数冊。気づけば1万円を超える。久しぶりのけちるところじゃない買い物。

 

誠光社をあとにし、ホホホ座へ向かう。バス乗り場がわからないと、ぐるぐると同じような場所を回り、人に教えてもらって、何とかたどり着く。ホホホ座でも、ここで買わなければ、今後、出会わないであろう本を中心に買う。

 

ゆっくりできると思いきや、16時発だとあっという間に関西国際空港へ向かうバスの時間。昼は、コンビニ。

 

今、関西国際空港で、ホホホ座で購入した青木真兵・海青子『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち』を読んで飛行機を待っている。

 

トランクケースは、本でパンパンだ。

 

 

関空

peachMM104便、11:35発関西国際空港行きの飛行機に乗る。機内アナウンスで大阪の気温が10℃と知る。10℃がどれくらいの気温か想像つかない。

 

機内で千葉雅也『デッドライン』を読む。ゲイで、大学院生が修士論文を書くという内容。現代思想を学ぶのもゲイであるためか。

 

どう生きるか。という素朴な問いがのしかかる。それまでの僕に生き方の悩みがなかったわけではない。大学に入って一人暮らしを始め、実際に同性愛を生きるようになって、不安を感じるときに現代思想は助けになってくれた。世の中の「道徳」とは結局はマジョリティの価値観であり、マジョリティの支配を維持するための装置である。マイノリティは道徳に抵抗する存在だ。抵抗してよいのだ、いや、すべきなのだ。千葉雅也『デッドライン』p107

 

関西国際空港に着いたのが、15:00で、そういえば、昼食を食べていなかった、ラーメンを食べたいと、携帯で探す。第一ターミナルにラーメン屋があって、食べ終わったのが、15:30。千葉雅也『デッドライン』も読み終わる。

 

そして、今、南海境駅でバスを待っている。

 

デッドライン

デッドライン

  • 作者:千葉 雅也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/27
  • メディア: 単行本