どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

猫は、黙って、枕元に座っていた。

夜中、居間で、ふー、と猫が怒っているのが聞こえた。うんこをしたんだな、と、布団から出て、居間に行くと、うんこをしていた。うんこのキレが悪くて、怒っているようだった。

 

一度、起きると、なかなか寝つけず、布団の中で、うだうだやっていると、一時間が経ち、こんなことなら本を読めば良かったと思った。

 

朝。私は、猫の気配を感じて、目を開けると、黙って枕元に座っていた。言いたいことは何も声に出さなくても伝わる。猫の名前を呼び、一緒に、ごはんを食べるところまで行って、猫にご飯の準備をする。そして、私は、再び、二度寝をする。時間は5時半だっただろうか。

 

再び、猫が寝室に来るのは、6時半くらい。次は、鳴く。鳴いて私を起こす。この時の鳴くのは、おしっこをしたから片付けて、という場合と、そろそろ起きた方が良いんじゃないの?という2パターンがあり、私は、再び、猫と一緒に歩いて、居間に行く。トイレを確認してもおしっこをしていないようだったので、そろそろ起きた方が良いんじゃないの?ということだったとわかる。猫は、私の膝の上に寝そべる。私は、猫を撫でる。

 

猫は、水を飲みに、すぐに膝から降りた。私は、立ち上がり、洗面所から歯ブラシを持ってきて、パソコンを眺めながら、しゃかしゃかと歯を磨く。猫は、水を飲み終わり、私のところに来て、尻尾を擦り付ける。ここで、膝に座られると、歯磨き粉で口がいっぱいになり困るので、私は立ち上がり、口をすすぎ、髭をそり、顔を洗って、居間に戻る。猫は、私の膝に乗り、リラックスして座る。7時。着替えをしたいところだが、猫がリラックしているので、キーボードを打つ手を止めて、読みかけのベン・ラナー『10:04』を開いた。

 

10:04 (エクス・リブリス)

10:04 (エクス・リブリス)

 

 

今日も1日、働いた。職場では数年前に一緒に働いていた仲間を集めて飲み会をしようと思って日程調整をしている。心に棘が刺さっている者、元気がない者が一時的に、馬鹿騒ぎができれば良いな、と思って。数日経ったら、また元に戻るのかもしれないけれど、そんな一時的な時間が必要なんじゃないか、と思って。そうやってやり過ごしていくことが、生活していると、ほとんどじゃないかと思って。

 

猫は、遅いよ、とないている。

自宅に帰ってきて、ドアを開けて、ただいま、と言うと、暗闇の中から、猫がないた。今日のなき方は、遅いよ、だった。

 

インスタントラーメンを2袋茹で、テレビをつけると、巨人対広島をやっていて、解説が、松井と高橋という豪華な顔ぶれだった。そもそも松井が日本にいることが珍しいので、松井がいるだけで豪華になるような気もした。

 

野球中継は、時間になって、終わったので、私はテレビを消し、読みかけのベン・ラナー『10:04』を読むことにした。

 

10:04 (エクス・リブリス)

10:04 (エクス・リブリス)

 

いつものように眠くなった時点で、本を閉じ、電気を消す日もあれば、電気をつけたまま眠ることもある。

 

朝は、猫のなき声で起きる。ごはんちょうだい、と鳴いている。食欲は旺盛だけど、ここのところ便秘気味で心配だ。

 

朝のルーティンをこなし、今日の研修に使うエプロンを買いに24時間営業しているスーパーに行くと、スーパーの隣の古本屋が12周年で、半額セールをしていた。12周年で半額ということは、13周年も半額をするということで、それは毎年、この時期に、半額セールをしているのでないかとか考えながら、日曜日の午前中に来てみようかな、と思った。 

 

猫が、おかえり、とないた。

仕事を終え、自宅に入ると、猫が、にゃあ、優しくとないて、おかえりと言ってくれているようだった。

 

先日、猫の健康診断に行き、血液検査をした。検査結果から、尿検査もした方が良いと言われ、尿検査をすると、結石があるかもしれないから、超音波検査をした方が良いと言われ、超音波検査をすると、腫瘍がある可能性があると言われた。

 

いつも通っている病院では、これ以上の検査が難しそうなので、紹介状を書いてもらい、近日中に、大学病院に行こうと思っている。

 

猫は、いたって、いつものように過ごしている。

 

そういえば、先日、Twitter内田百間ノラや』の紹介をしている方がいて、猫文学というので、断然、読みたくなった。

ノラや (中公文庫)

ノラや (中公文庫)

 

内田百間は、私の知り合いが好きな作家で、私も読んでみたいと思い、集めていたんだけど、一冊も読んでいなくて、先日、『ノラや』のつぶやきを見て、うちの本棚にあるか探したら、あったので、『ノラや』から読もうと思っている。

 

猫が登場する小説で、私が好きなのは、保坂和志や岸信彦で、お二人の書く小説からは、猫への愛情が伝わってくる。そもそもお二人が猫好きというのを知っているからかもしれないが、私もいつか猫が登場する小説を書きたい。

書くことを「仕事」にする

仕事が終わりに差しかかる時間帯から、偏頭痛がして、慌てるように自宅に帰ってきて、頭痛薬を2錠飲み、猫を膝の上に乗せて、撫で、キーボードを叩いている。

 

キーボードを叩きながら、図書館で借りてきた文學界2018年12月号を読んでいる。

文學界 2018年12月号

文學界 2018年12月号

 

書くことを「仕事」にするという特集記事を読みたくて。

 

文學界2018年12月号にたどり着く前は、文學界2019年9月号を読んだ。読んだというか、今村夏子の特別エッセイ「むらさきのスカートの女と、私」を読んだ。

文學界 9月号

文學界 9月号

 

むらさきのスカートの女を書くきっかけの話が書かれているエッセイで、物語ができあがる瞬間を垣間見れたというか、そんなエッセイを読んだのはたぶん初めてで、作家がどんなきっかけで物語を書き始めるかというのがおもしろいと思った。 

 

で、私は、文學界2018年12月号を読んでいる。その中に、アウトプットとインプットの話題が載っていて、そういえば、職場で、この前、「〇〇からの推薦図書」という付箋が貼られている本が置いてあるのを思い出した。 

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

 

 

理念と経営上の合理的判断とのあいだに衝突が起こるとすれば、原因は会社を大きくしすぎていることにあるんじゃないでしょうか。だとすれば、理念を維持しうる適正規模に会社を戻せばいいのだと思います。文學界2018年12月号p20

 

社会に生きる大多数の人は、どの時点をとってもその瞬間では健康な人々ですから、危機に陥ったときに読むものとしての哲学や批評が、リアルタイムの消費において大衆文化に負けてしまうのは当然のことです。文學界2018年12月号p20

 

こちらは、いずれも批評家である東浩紀のインタビュー記事で、なるほどなあ、と書くということと関係ない箇所に、妙に、覚えておきたい言葉があった。それにしても批評ってなんだろう?批評家ってなんんだろう?いつものことながら、言葉からなんとなくイメージはつくが、改めて、ネットで調べてみると、評論を仕事にしている者とあり、じゃあ、評論は?となるのだが、評論=批評らしく、ある事象を判断することである。批判とも、とある。

 

次に気になった記事は、芥川賞作家を輩出する小説講座で、辻本力さんが開催している小説講座のことが書かれている記事。辻本力さんの小説講座から芥川賞作家になった若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』は、読んでみたくて、先日、買った。

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

 

 

その若竹千佐子さんとのやりとりを語るAさんのことが書かれている記事が、なるほど、と思った。

小説の主人公と、実際の自分との間の距離が近すぎると、作品を客観的に見られなくなってしまう上に、それが批評の対象となった時、つまりここでは講座の合評で取り上げられる時に、大きな問題をうむとAさんは話す。「合評では、当然批判されたりすることもあります。それは作品が批判されているわけですけれど、そこで『作者=主人公』になりすぎると、自分が批判されたように感じて感情的になってしまうんです」文學界2018年12月号p32

となると、三人称で書く小説が書きやすいな、とか考えながら。このことは、今後、小説を書く際に、頭の片隅に置いておこうと思った。

 

武田砂鉄『15日のbeatleg』という記事も良かった。武田砂鉄といえば、『芸能人寛容論』が自宅にあったなあ、と思いながら、まだ読んでいなくて、そんなこともあり、どんな記事を書く人なんだろうか、と『15日のbeatleg』を読んだ。

芸能人寛容論: テレビの中のわだかまり

芸能人寛容論: テレビの中のわだかまり

 

 

洋楽ロック専門誌『beatleg magazine』に関する記事で、私は、洋楽ロック雑誌に興味がないのだけど、何か、beatleg magazine』に対する愛というか何というか、感じるものがあり、その記事に登場する『紋切型社会』という本も、読んでみたくなった。

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

 

 

そういえば、Twitterで、田中泰延『読みたいことを、書けばいい』を薦めている人がいて、確かに、書きたいことを書くのはしているけれど、自分が読みたいものを書くという視点に立つと、微妙に書くことが変わるような気もしないでもないなあとか思った。

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

 

 

あと、人に言えないことというか、言いたくないことを書くのは、小説を書く上では、何か大事なことがあるような気がするなあ、わからないけど、と思った。

スケッチのような作品

美容室で髪の毛を切ってもらいながら、店名の話になり、店名を決めるのは、難しいですよね、と私は言った。この店の名前はどうやって決めたのですか、と私は続けた。立花の花からつけました、と美容師さんが教えてくれた。

 

髪の毛を切ってもらった後に、車の定期点検にディーラーに持って行き、辻山良雄『ことばの生まれる景色』の続きを読んだ。

 

そこ橙書店の店名の由来を訊く記述があり、たまたまオレンジ色に塗られた扉が目に入ったので・・・。特に意味はないです、というようなことを店主の田尻久子さんが言っていて、私は、その話で、橙書店に行ってみたくなった。 店名が、特に意味がないって、何?

 

定期点検が終わり、夏タイヤを交換した方が良いとアドバイスを受けた。冬タイヤも交換した方が良いと以前に言われたので、タイヤを8本買わなければならず、どうせ買うなら、消費税増税前だな、と思った。

 

芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見えるようにすることにある。辻山良雄『ことばの生まれる景色』

 

この文章を読んだ時、なるほどな、と思った。だから抽象画があるのか、と思った。小説は、どうなのだろうか、あてはまるのだろうか。

 

 永井宏『夏の仕事』

夏の仕事

夏の仕事

 

 

 永井宏『雲ができるまで』

雲ができるまで

雲ができるまで

 

 辻山良雄『ことばの生まれる景色』を読んで、永井宏を初めて知った。

小説ともエッセイともつかないスケッチのような作品であった。自分の周りにもいそうな登場人物と、特別なことは何一つ起こらないストーリー・・・。 辻山良雄『ことばの生まれる景色』

永井宏の文章では、日々の生活のなかでうれしいと感じる瞬間が、きわめて素朴に綴られる。例えば・・・。そのような日常が永井の筆にかかると、大切でかけがえのない瞬間のように感じられるから不思議である。「表現は特別な何かにのみ、ひそむものではない」。辻山良雄『ことばの生まれる景色』

「とにかく気持ちに正直になって、何か作ってみろ」と、いつもけしかけていたという。その態度は、多少美術の心得がある人だけに限らず、何も作ったことのない人に対しても常に同じであった。「そのときあなたは、どう感じたのか。」。そうした個人の実感を永井は何より大切にしたのだろう。辻山良雄『ことばの生まれる景色』

大切なのは、誰かのことばをありがたがることではなく、ぎこちなくても自分のことばで話し、そのそばにいることなのだ。辻山良雄『ことばの生まれる景色』

すぐにでも読んでみたくなった。

 

 高橋源一郎『さよなら、ギャングたち』

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

 

高橋源一郎は読んでみたい作家で、この前、『ジョン・レノン対火星人』を買って、本棚に並んでいる。辻山良雄『ことばの生まれる景色』には、高橋源一郎の書く文章は、平易であるからこそ子どもも大人も区別なく、そこから同じ深みを受けることができると、書いてあって、『さよなら、ギャングたち』の紹介では、この作品から受ける感動は、ストーリーを追いかけることにはなく、ストーリーのなかに巧みに仕組まれた、ことばの不意打ちの出合いにある。どんな感じなんだろう。読んでみたい。

いまとなっては想像がつかないが、デビューする前の高橋源一郎は、小説家になろうとする意志を持ちながらも書くことができず、十年間肉体労働に従事していた。その間、書くことや読むことが思うままにならないという失語症に陥り、単純な文章を書き続けるリハビリテーションの日々を送ったという。辻山良雄『ことばの生まれる景色』

辻山良雄『ことばの生まれる景色』では、所々で、作者の人となりが書いてあるので、そこも興味深い。

 

夏目漱石『門』

門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

 

瀬石は、人生の暗がりにいるときに、読むのがいい。調子がよいときには見えてこない人の世の情景があり、後ろむきになりながらも前に進む遠回りの諧謔がある。辻山良雄『ことばの生まれる景色』

三四郎』『それから』に見られた若さ、明るさとは決別し、うす暗い淋しさに分け入っていく『門』辻山良雄『ことばの生まれる景色』

夏目漱石の『こころ』が好きで、一時期、夏目漱石の著書を集めた。その時、『門』も買ったかなあ、と思って、本棚を探してみたらあった。人生の暗がりにいる時に、思い出したら読んでみたい。

 

ミヒャエル・エンデ『モモ』

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

好きな本屋さんが何店舗かあって、Twitterだったり、Instagramで、オススメの本の紹介をしてくれるので、私は、喜んで見ている。2店舗くらいで、同時に、同じ本を紹介することもあるので、そんな時は、たいてい、購入する。この『モモ』もそう。いつか読んでみたい。

 

辻山良雄『ことばの生まれる景色』を読みながら、読みたい本が増えたばかりではなく、新しい小説の構想だったりが頭の中に浮かんだ。頭の中に浮かんで、忘れないように携帯のメモ機能に綴った。

怒りが教えてくれたこと

自分が、どういったことに怒りを覚えるのだろうと、考えていると、不公平なことに怒っていることに気づいた。多数派の当たり前が、少数派の当たり前になっていないと不公平だろ、と怒っていた。

 

怒りが自分のやるべき道しるべになることもあるんだな。

 

自分がどんなことに怒りを感じるのかをあらかじめ理解していれば、怒ることもないのではないか、これで穏やかな生活が続くと思っていたが、やっぱり、怒りは感じた。

 

なんか、棘が心に刺さっているようで、久しぶりに苛々していた。

 

この前、やる気がでないから、おとなしくしていようと思ったばかりだったので、冷静に、と言い聞かせていた。

 

そんな夜。職場で、後輩達が、パンが入った袋を下げて、職場に戻ってきて、おいしそうにケーキを食べている姿が、楽しそうで、平和だな、と眺めていたら、心の棘の何本かが抜けた。

 

職場から自宅まで帰るのに30分くらいかかるのだが、考えようとしていないのに、勝手に、考えごとをしていることがあって、その時は、心の棘が刺さっている別の部署の職員のことを考えていた。

 

その職員とは、昨年まで一緒の部署で働いていた人で、その人の心の棘をどう抜けば良いかを考えていて、久しぶりにご飯を食べようかと思った。当時、同じ部署にいた仲間を集めて。ただ、飲み会の場を設定するのがめんどくさいからなあ、と、頭によぎったので、実現できるかは怪しく、実現したから、その職員の心の棘が抜けるのかはわからないが、良いことのような気もするから、明日、動いてみよう。

 

高校日本代表対大学日本代表の試合を楽しみしていたのに、放送がBSでしかやらず、BSがアパートで見れないので、諦めていたんだけど、いざ、当日になると、やっぱり見たくて、ネットで、「高校日本代表対大学日本代表 放送」と、検索したら、AmebaTVで、放送していた。

 

放送することは知っていたんだけど、料金がかかると思っていたので、AmebaTVの選択肢はなかったんだけど、開いてみたら、無料で見ることができた。こんなことなら、1回から見たかったなあ、と思いながら、6回から試合を見た。

 

高校生が大学生と互角に戦っていて、びっくりした。最終回のスクイズもすごかったし、抑えで投げていた飯塚投手は、最後、追いつかれたけど、大学生にも向かって言ってたし、押していた。抑え向きの投手のように感じた。

 

世界戦もAmebaTVで見よう。本当、良い時代だ。

 

www.japan-baseball.jp

 

そういえば、今年は、第2回WBSCプレミアム12が開催される年で、11月11日からは日本で試合をするので、チケットを取って、見に行きたいと思っているけど、チケットを取れるのだろうか。

 

 

福祉の仕事を志す人に読んでもらいたい4冊

昨年のちょうど今頃にも書いた『福祉の仕事を志す人に読んでもらいたい本』。1年が経ち、また数冊、オススメしたい本が増えたので、2019年版を更新することにしました。

 

今回、4冊中3冊が、医学書院の『シリーズケアをひらく』 であり、このシリーズケアをひらくは、読み物としてもおもしろいので、福祉の仕事を志さない人でも、読んでおもしろいと思います。たぶん。

 

 

平井威、「ぶ〜け」共同研究プロジェクト『ブ〜ケを手わたす知的障害者の恋愛・結婚・子育て』 

ブ~ケを手わたす 知的障害者の恋愛・結婚・子育て

ブ~ケを手わたす 知的障害者の恋愛・結婚・子育て

 

今、もっとも興味があるのが、障害者の恋愛・結婚・子育てであり、社会福祉法人南高愛隣会の 実践は、かなり刺激的だった。その実践を知ることができる一冊。

 

関連記事:福祉がもっとも必要な支援とは? - 北の凡

 

 

ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく)

ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく)

 

有用性の軸で、人が生きることを語ることの弊害についてや、粋の話が良かった。

 

関連記事:年功序列は良いかもしれない。 - 北の凡

 

 

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

 

その人がどんなふうに生きてきたかを知ることの重要性を知った1冊。

 

関連記事:その人が、どんなふうに生きてきたかを知ることの重要性 - 北の凡

 

 

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
 

依存労働の重要性について考えるきっかけをもらえた1冊。 福祉専門職が一度は考えるであろう専門性について。考える一助になります。

 

関連記事:居るのはつらいよ - 北の凡

 

 

2018年版福祉のしごとを志す人に読んでもらいたい4冊

rakuunanzyuku.hatenablog.com