どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

一生モンのトモダチに年齢なんて関係ない


学生諸君にとっては、卒業式まで残り1ヶ月足らずだね。

それにしても、小学校の卒業式って、
何で同じ言葉を2回繰り返すんだろうね。
「汗を流しまくった運動会」「運動会」
みたいな2回繰り返すスタイル。
結構、好きだけど。

忘れもしない俺の小学校の卒業式。
俺に割り当てられた言葉は「収穫祭」。
いじけた。
収穫祭なんて小学校のイベントからすると大した行事じゃない。
運動会とか学芸会とかが良いなって思っていた。
まあ、気合い入れて、収穫祭の言葉を言ったけどね。


俺は小学校の頃も、中学校の頃も卒業式には泣いた。
男は一人も泣いていなかったにもかかわらず泣いた。
女に負けないくらい泣いた。

中学校の時は、最後の最後に担任の先生の言葉で泣いた。
卒業式の担任の先生の最後の言葉は、先生にとっても一番の見せ場だと思う。


卒業式ではなくても、学生時代に先生から聞いた言葉は、未だに覚えているものもある。
しかし、その中で違ったなと思う言葉がある。
ただ、俺の聞き間違いだったのかもしれないけれど、違ったなと思う。


「中学時代に出会った仲間は一生もんの友達です。私は社会人になってからは、一生もんの友達はできませんでした」


この言葉を聞いた中学生の俺は社会人になったら、一生もんの友達はできないのかと思っていた。
確かに、中学時代に出会った友達は一生もんの友達になっている。

だけれど、社会人になっても、一生もんの友達はできる。
俺がラッキーだったのかは知らないけれど、一生もんの友達ができる。
俺はそいつらと会って、「一生もんのトモダチは年齢に関係ねぇな」ってことになった。


俺はこれからも一生もんのトモダチに出逢えると、根拠がないけど思っている。