どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

誰かに起こりうることは、私にも起こりうる

「誰かに起こりうることは、私にも起こりうる」昨日から、私の頭の中で、何度となく木霊している言葉。映画だったか、漫画だったか、小説だったか、エッセイだったか、どの作品でその言葉を知ったのかは忘れた。ブログ内を検索してみたけど、わからなかった。もう一度、その作品に触れたい。

 

昨日、書いたばあちゃんの話もそう。「うちに帰りたい」。当然、誰もが年をとるわけで、施設で過ごすことは大いにありうる。私は、障がいがある方も同じだと思う。いつ私の身に起こってもおかしくないと思ってる。いつ難病になるかもわからないし、年をとれば、足腰が弱り、身体障害者のような状況になるかもしれないし、私ではなくて、私の家族がそのようになるかもしれない。

 

例えば、仕事。管理職の人が、下からの突き上げにあう。合わない人なら、いい気味だと、性格が悪く思うこともあるが、私にも当然、起こりうる。現に、数年前に起こった。仕事なんて、不安定。いつ、辞めたいと思うような出来事が起こるかはわからない。そう考えれば、合わない人でも同情する。自分が何かできないかとまでは考えないけど。

 

私は、今日も1日の仕事を終え、家路につく際に、本棚を整理しようと思った。これまでは、ジャンル分けをして、アイウエオ順に並べていたが、それだと、魅力を失っている棚ができる。そこで、考えたのが、書店別にするというアイディア。そう思いついたら、いてもたってもいられず、夕飯をそっちのけで、本棚の整理をした。整理をしている途中で、めんどくさくなって、途中でやめた。だから、整理する前よりも乱雑になってしまった。

 

本棚は、そのままに今日、自宅に届いた『キングダム』と『宇宙兄弟』の最新刊を読んだ。あいかわらずの安定したおもしろさ。あまりにも集中して読んだから、自分も、その世界に入り込めた。 

キングダム 52 (ヤングジャンプコミックス)

キングダム 52 (ヤングジャンプコミックス)

 

 

宇宙兄弟(34) (モーニング KC)

宇宙兄弟(34) (モーニング KC)

 

 

『読書の日記』の合間に読んでいた『非属の才能』もおもしろくなってきた。学校でひとり孤独を感じている人に読んでもらいたい。中学生や、高校生や、大学生に読んでもらいたい本の特集記事を書こうかと思いついたが、思いついた本が、森達也『世界を信じるためのメソッド』一冊しか思い浮かばず、いずれだな、と思った。『非属の才能』に紹介されていた山本譲司畑村洋太郎が気になってインターネットで調べた。

 

山本譲司。元衆議院議員。秘書給与流用疑惑で実刑判決。刑務所で累犯障害者と出会い、出所後、訪問介護員として働く。著書に、『累犯障害者』、『獄窓記』などがある。

 

畑村洋太郎東京大学名誉教授。「失敗学」なる学問を始める。著書に、『本当に役立つ「失敗学」』など多数。

 

 

うちに帰りたい

パ・リーグクライマックスシリーズの結果をニュースで知った。西武のファンではないけれど、10年ぶりだし、広島対西武が見たかった。だけど、西武が負けた。残念。

 

最近の関心ごとは、25日に開催されるドラフト会議。金足農の吉田と、大阪桐蔭の根尾の行き先。巨人は、根尾の獲得に動くみたいだけど、吉田の方が良いのではないか。じゃあ、根尾は?今、ショートを必要としているチームはどこか?本棚にある選手名鑑を出して来てみたが、その選手名鑑が、今年のものではなく、昨年のものだったので、いまいち、どこのチームが良いかはわからず、そんなことを考えていたら、21時頃に寝ていた。

 

朝、起きて、ばあちゃんちに向かうために、ひさしぶりに高速道路を車で運転した。車の中でも根尾にとってのベストなチームを考えて、中島がいるけど、日ハムが良いな、と思った。日ハムに入ったら、直接、試合を見ることもできるし。直接、球場に足を運んで見たい選手。日ハムは、その年で一番という評価をしている選手を取りに行く方針だと何かで聞いた。たとえ、競合しても。その方針は巨人も取るべきだと思ってる。巨人は、スーパースターを育てるべきだ。松井のような。ここ何年かは、日ハムの試合ばかり見ているので、巨人熱が、完全に冷めているが、巨人が強くなければおもしろくない。

 

そんなことをつらつら考えながら運転していたら、10時にばあちゃんちについた。私の両親、親戚のおじさん、おばさんが会いに来てくれた。近況を訊いて、ばあちゃんがいる特別養護老人ホームに行った。ばあちゃんは、食堂のような広い場所のテレビの前で座っていた。開口一番、「うちに帰りたい」と言った。「うちにいる猫と一緒に暮らす」と。ばあちゃんちには猫はいない。私が小学生の時に、ばあちゃんちの物置に勝手に住み込んだ野良猫がいたのは覚えているけど、ばあちゃんちで猫を飼っていた記憶はない。「帰りたいよね」とばあちゃんに返した。親戚のおじさん、おばさんたちは、施設の職員と会話を交わし、私とばあちゃんがいるところに来た。ばあちゃんは、親戚のおじさん、おばさん、私の母に向かって、うちに何度も帰りたいと言った。ここには大勢の人がいるが、知らない人ばかりだと言った。とことこ一人で歩いて帰ると言った。ばあちゃんは、9月に96歳になった。私からみると、96歳なのに、元気だと思うけど、親戚のおじさん、おばさんたちは、ばあちゃんが「うちに帰りたい」と言うたびに困った顔をしていた。私は、「今度、ゆっくり来れた時に、おれがうちに連れてくよ」とばあちゃんに言った。ばあちゃんは、「おまえはいつ来るかわからない」と言った。そのとおりだと思った。

 

ばあちゃんに、「また来るよ」と言って、親戚のおじさん、おばさん、両親とラーメンを食べに行った。親戚のおじさん、おばさんたちは、テレビを見ながら、昨日の駅伝の話をしていた。ラーメンを食べ終わり、ここはおれの出世払いで、と私が言うと、親戚のおじさんが、「もっと出世してからで良い」と言った。私は、「これ以上の出世は見込めないから、今日、払うと言ったけれど、お金を受け取らなかった。今後も、私の出世払いは訪れないな、と思った。

 

ラーメンを食べた後は、昔、住んでいた町の整体師に体を診てもらったり、よく行っていた神社に詣でたり、ブックオフに行ったりしながら家路についた。そして、また、ばあちゃんが言っていた「うちに帰りたい」と言う言葉を反芻した。早く死んでしまいたいくらいのことを言っていた。私は、周りの人も、長生きしたくないと言っていたのを思い出した。体も自分の思うように動かなくなり、いろんなことが自分でできなくなっても、自分の望むような生活を送り、最期を迎えることができるようするためにはどうしたら良いか。親戚のおじさん、おばさんも長いこと自分たちの生活がある。ましてや、おじさん、おばさんも70代で、すぐにでも介護が必要な年齢だ。私は、AIの介護ロボットが一番、良いと思うけど、仮に実現しても、それは、自宅を買うくらいのお金だろう。実用的になるのは、もっと、もっと先。私ができることは限られている。私ができることは身近な大切にしているのために動くこと。家族もそうだし、友達も。だけど、ばあちゃんのために力になれることも限られている。主にばあちゃんをみているのは、一番、近くに住む親戚のおじさん。私が、ばあちゃんを家につれて帰ってこれるとしたら、年末年始だな、と思った。

つぼ

朝、起きて『読書の日記』を読んだ。あいかわらず、読みながら、新たな読書のつぼが押される。まだ読んでいない角田光代の『対岸の彼女』を読もうとか、前から欲しかった保坂和志の『試行錯誤に漂う』を買おうと思って、ネットで買った。

 

つぼといえば、あいかわらず、体が痛い。座っていると腰が特に辛い。月曜日に、ばあちゃんちに行く予定で、その時に、昔、お気に入りだった整体師に連絡しようかなとも思ってる。

 

仕事終わりには、久々に、会社の同僚と食事をした。つぼ繋がりで、つぼ八に行った。なぜにそんなにモチベーションを維持できるのかを同僚に訊くと、自分がモチベーションが高い時と低い時は、どういう時かを考えて、低い時の項目を減らすように努力すれば、自ずから高くなります、と言っていた。感心した。私は、ここのところモチベーションが高いとか低いとか意識しないで働いて、ほぼ一定だけど、やっぱりなんとなく、調子が出ないというときもあって、自分がどんな状況で、どう反応するかを理解するのは良いかもしれないと思った。

 

仕事といえば、先日、私は想像力が足りないなと反省した。本を読んでるのに、こういう時に、人の気持ちを想像できないなんて、本を読んでいるのが活きていないなと思った。人の気持ちを想像できるようになるために本を読んでいるわけではないが、人の気持ちを想像できるようにはなりたい。昔のことを思い出した。ばあちゃんは、私に、あれを食べろ、これを食べろと、喜んでもらうためかはわからないが、食べ物を通して、愛情を表現していたのか、そこまでは考えていなかったかもしれないが、兎に角、この方は、晩ご飯を用意していた可能性があって、私は、そんな簡単なことに想いを馳せることができなかったと、謝りたい気持ちになった。もっと人の気持ちに想いを馳せる習慣を身につけたいと思った。

 

仕事を終え、自宅に帰って来て、外で煙草を吸っていると、森の中から獣、おそらくは鹿であろう呻き声のような、悲痛な鳴き声が闇夜に響いた。 

 

読書の日記

読書の日記

 

 

 

だめで、もともと

『だめで、もともと』とは、誰が最初に言った言葉だろうか。勇気が出る言葉だ。当たって砕けろも、同じような意であるが、当たって砕けろはよりも、『だめで、もともと』の方が、私は好きだなあ。

 

久しぶりに、『だめで、もともと』と思いながら、ある書店にメールをした。その書店でしか実施していないフェアの本が買いたくて。

 

その書店のホームページを見ると、本の通販はしていないようだった。直接、行こうかとも考えて、飛行機を調べたけど、思いのほか高い。万事休す。どんな本を売っているのかは、直接、店頭に行かないとわからない。ネットにすら漏れていない。そのフェアは10月末まで。やるならいましかねえ、と心の中の田中邦衛が私の背中を押した。

 

次の日、その書店からメールが来て、北海道にお住まいで来られない理由もわかります、つきましては・・・ということで、本を買えることになって、いくつかのメールのやりとりをして、本日、商品の発送が終了したとメールが来た。ありがたい。

 

得てして、だめで、もともとと思いながら、とった行動で、うまくいくことが結構ある。そもそも、だめで、もともとと行動を起こしたのが、今回で2回目のような気もしないでもないが。

 

読みたい本が、積み重なって行く。

登山でいうところの2合目あたり

あいかわらず『読書の日記』を読んでいる。読んでいたら、ストーブのガード(銀色の網)を触った音が聞こえて振り返った。猫が触ったのだろう。ここのところ、ストーブのつきはじめに猫がとる行動。何を意味しているのだろうか。早く温かくなってとでも言いたいのだろうか。ともかく猫はストーブが好き。大好き。

 

私は再び、『読書の日記』を読んだ。今、230項。ふと振り返って、猫を見たら、ストーブから離れ、私に近づき、近づくといっても、ある程度の距離感を保ち、姿勢を正して座っていた、いや、あれは猫でいう立っているになるのか。心の中で、だるまさんが転んだか、と思った。

『読書の日記』を読みながら、本棚にある植本一子『かなわない』にもう一度、挑戦してみようと思った。私は、心の琴線にひかかった本をとりあえず買う。買ったはいいものの、そのまま本棚に並べている本もあれば、ちょっと読んで、まだ、読む時期じゃなかったと、本棚に戻す本もある。『かなわない』もそんな本。そんな本の何冊かが、今回の『読書の日記』を読んだことで、読みたい気持ちが再燃するなんておもしろい。

 

『読書の日記』は、タイトルのとおり、読書に関する記載が半分かそれ以上を占めているのだが、私は、読書以外の日常の記録にこそ、この本の魅力があるのではないかと思っている。

 

ライフをうまく積み上げられない。阿久津隆『読書の日々』

 

僕は自分ひとりを食べさせ養うだけでもギリギリなのに、と思うとなんか頭がくらくらしてくる。阿久津隆『読書の日々』

 

こんなマイナスのことがそのまま書かれているから、なおのこと私は引き込まれる。今日の締めくくりも『読書の日記』を読みながら、寝るとしよう。

 

読書の日記

読書の日記

 

 

読書の日々

猫がご飯をねだりに寝室に来て、目が覚めた。6時を過ぎたあたりか。そのまま、私も起きて、ランチパックと牛乳で朝食をすませ、『読書の日記』を開いた。100頁を過ぎたあたりで、これで、10分の1だもんな、と高い山を登るような感覚になった。全部で圧巻の1100頁と、帯には書いてある。

 

ホームページで読むより、本で手にする方が頭にすんなり入ってくる。読みやすいけど、分厚くて、持っている手は疲れる。私は、再び、寝室に行き、ごろごろしながら本を読むことにした。

 

程なくして、寝室の寒さが気になって、灯油ストーブから空になった灯油タンクを抜き、灯油を入れるために玄関まで持って行った。電動の灯油ポンプのスイッチを入れても、うんともすんとも言わず、電池を交換する時期なんだな、と居間の引き出しから電池を持ってきて、灯油ポンプの電池を交換したところで、スイッチが『入』のままになっていて、玄関に灯油を撒き散らし、玄関が灯油臭い。ああ、最悪な一日の始まりだ、といつもなら暗澹とした気持ちになるところだけど、今日は、休日だから、気持ちがささっと切り替わって、『読書の日記』の続きを読む。どんまい、どんまい。

 

今年は、厄年で、なんとなく調子も上がらず、やる気もでないから、あまり良い年ではないと思っていたけれど、そんなことはない。良い年だと思い直した。ただ、少しだけ気持ちを立て直す必要があるだけだ。

 

夜は夜で、クライマックスシリーズを観ながら『読書の日記』を読む。読みながら、そういえば、自宅に雨宮まみの本があったから、あとで読もうとか、以前、開いて、読むのをやめた『アウステルリッツ』や『百年の孤独』ももう一度、読んでみようかな、と思った。海外文学のおもしろさがわからない。まだ、私には早いのだろうか。そんなことを思いながら、気づいたら寝ていて、クライマックスシリーズの結果がどうなったかわからない。どうなったんだろうか。上原が、丸にホームランを打たれたあたりで、記憶が曖昧だ。

 

起きて、ブログを更新して、私は、再び、読書の日記を読みながら、眠くなったら寝よう。

 

おやすみなさい。

 

読書の日記

読書の日記

 

本を読める店

ポストに箱が入っていて、はて?何を頼んだっけ?と開けてみると、本だった。想像していたよりも分厚い、辞書のような厚さの本。阿久津隆著『読書の日記』。

 

先日、『本屋読本』を読んだ時に、fuzkueという店が紹介されていて、その店は、本を読める店をコンセプトにした店なんだけど、気になって、fuzkueのホームページを開いて、そのなかのよみものというページを読みながら、この人の書く文章がなんか良いなと思った。調べていくと、阿久津隆さんという方で、本も出版されているのを知って、買ったのが『読書の日記』。

 

fuzkue.com

 

読み始めたばかりの『非属の才能』とどちらを読むか迷ったけど、『読書の日記』は、ちょっと持ち歩くには分厚いので、自宅では『読書の日記』を読み、外出先では、『非属の才能』を読もうと思って、今、ストーブの前、猫の隣で、『読書の日記』を読みながら、ふと、ブログを更新しようと、本を閉じ、ブログを更新している。

 

それにしても、当然のように、行ってみたいな、と思う店は東京に多い。今は、飛行機も高速バス料金くらいなので、ふらっと、1泊2日くらいで、東京に遊びに行こうかとも思っているけど、思っているだけで、飛行機の予約を取るのも億劫。

 

外は猛烈な雨が降っている。雨が降るたびに、北海道は、寒さが増していく。すでに、自宅ではストーブをつけている。そういえば、1週間ほど前に、雪虫を見たという人もいた。この調子だと、10月中に初雪が降るのだろうか。

 

ぬくぬくとストーブの横に寝そべりながら、『読書の日記』の続きでも読もう。