信用とか、信頼を得るためには、どんなことをが必要?と友人に訊くと、時間、と即答した。私は、そんなふうに考えたことがなかったから、時間かあ、とそれからも思い出し、時間が必要なことって、信用とか、信頼以外にもあるような気がした。そういえば、あの人も、早く年を取りたかったと言っていた気がする。なぜなんだろう?そこから私は、なぜ若かりし頃、あんなにモテたい、モテたい、と思っていたのだろう、と思った。今なら、千人にモテるよりも、私が好きだと思う人に、モテたいと思った。モテたいというのも人の目を気にするということなのだろうか。年を取って、良かったと思うのは、人の目を気にしないようになったことだった。年を取りたいと思っていたという人は、どんな理由なのか知りたくなった。
今日は、曇りだった。このまま曇りが続けば、月は見えそうにもないな、と思った。休日だからなのか、朝からコメダは、長蛇の列で、長蛇の列というか、テーブルの片付けが追いつかないようだった。私は、コメダで、戌井昭人『おにたろかっぱ』を読み終わった。タロという名前の三歳児が、父親の友人から、カメラをプレゼントしてもらうのだが、タロは、食事の食べる前ではなく、食べ終わった後の皿を写真に撮っていた。母に、なぜ?食べる前じゃなくて、食べた後を写真に撮るのかと訊かれれる場面があり、母は、その理由を訊き、タロは余韻を撮っているんだね、余韻を撮ろうとしているなんて、タロはアーティストみたいで格好いいよ、と母が言った。私は、読みながら、余韻と思った。最近、余白だったり、余地だったり、余韻という言葉もあるな、と思った。
誰かを思い出すことは、その人と過ごした時間の余韻なのかもしれないな、と思った。
