どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

なんでもできる能力があったら、どんな仕事につきますか?

 自分でも気づかないうちに、私の作風は、変化していて、10年前、20年前の日記を読むと、断層のように、はっきりと変化している。それは、内容にしてもそうだし、文体にしてもそうで、意識的にしろ、無意識的しろ、変化してきた。これからも変化するだろう。他者の作品から影響を受けることもあるし、イベントに参加して来場者と交わす会話から、自分を、こういうふうに見せたほうが良いのではないか、と感じたことからも変化する。

 そういえば、20年前、私の作品を観た感想の手紙が届き、もっと、自分の弱さ、どうしようもなさを作品に反映したほうが良い、反映しなければならない、とはっきり思ったことがあった。ただ、自分の弱さ、どうしようもなさを作品に反映することは、思っているよりも難しかった。

 あれから20年、『にゃあ』を制作して、また別な人から、カッコつけていないところが良い、思考の途中が読めるのが良い、と言っていただいた時、少しは、あの時から変わったのかもしれない、と思った。嬉しかった。

 砂鉄『水路』を読み終わった後、影響を受けたい、と思った。『水路』を読み終わった後、詩的だと感じた。なぜ、詩的だと感じたのだろう、と砂鉄『降り積む』を読んだ。『降り積む』を読むのを楽しみにしていた。雪だったり、雨だったり、虫が登場するからなのかもしれない、と思った。あとは、余白がある。想像する余地があるのが、読後感に影響を与えていた。

 引越しの荷造りも佳境に入り、探していたベルトも見つかり、これは、年末の大掃除だな、と思いながら、粗大ゴミを出しに行くことにした。もう野球をすることもないし、高校の時、両親から買ってもらったグローブも捨てようと思ったが、捨てられなかった。

 粗大ゴミを捨てに行ったあと、美容室に行き、美容師さんから、なんでもできる能力があったら、どんな仕事につきますか?と訊かれた。

 お客さんから質問され、ずっと考えているとのことだった。私は、プロ野球選手ですね、と即答した。私も、一度、同じような質問をされたことがあって、その時の質問は、プロ野球選手になれるから、高校まで戻れと言われたら、戻る?という内容だった。

 私は、高校までは戻るのが条件なら、プロ野球選手にはならなくて良いと答えた。それは、プロ野球選手になる代わりに、高校以降に出会った人たちと出会えなくなるということを意味していた。出会った人たちのおかげで、今の自分がいる。