温かい。温かいというより暑いに近い。若林正恭『ナナメの夕暮れ』を読んでいる。読みながら、昨日、頭に浮かんできたことが、もう一度、頭に、ぷかぷかと浮上する。何歳になっても、成長を続けなければならないのだろうか。というか、成長できないでしょと思う。いや、何歳になっても成長できる部分はあるかもしれないが、ただ、どうしようもなく苦手なまま残ることもあるでしょとも思う。昔、苦手だったことが、今は、そんなに苦手ではないということも、もちろんある。苦手のまま残ることもある。何でもできるようになることなんて無理じゃない?苦手な部分をどうやり過ごすかというか、どう他のもので、乗り切るか考えれば良い。それが経験というものなのではないか。
私は、高校生を卒業する頃、成長という言葉がキーワードになっていて、成長したいなんだ、という欲求が強かった。欲求が強かったから、就職するのも、自分が成長するためだった。今、私が面接社として、そんな人が来たら、おそらく落とすことになるだろう。なんだ、自分ばっかだな、という印象を受けかねない。人間的に成長したいとは思っているし、あの人みたいになりたいとも思うし、その感情は今も持っているし、そこに近づけたと思うことも、たまあにある。それは成長か。ただ、成長しなければならない、というか、成長しなければ価値がないというのは苦しい。そうだ、成長しなければ価値がないというのが苦しいんだ。
季々に花を買いに行った。いつもよりも種類が多くて、いつもよりも種類が多いですね、と言うと、夏に近づいてきたから、と教えてもらった。この稲みたいなの何ですか?と訊くと、粟だと教えてもらった。このもりもりとした花もください、これはなんて花ですか?と訊くと、芍薬だと言う。帰りの車の中で、花屋さんはよく花の名前を覚えることができるな、と思った。花屋さんだから、当然なのかもしれないが、私は、ここのところ、人の名前を覚えることもままならず、花屋さんに、花の名前を訊くことがあるのだが、訊いたそばから忘れることもある。さすがに今日の粟と芍薬は忘れていない。粟は玄関に飾り、芍薬は、猫の仏壇に飾った。
広告ページの作成をしてくれているコータさんとやり取りしていて、ノドの部分の広さって、この広さじゃ足りなくない?と、なぜか思って、ネットで調べると、300ページの本のノドは25mmが良いというようなことが書かれていて、ノドが何ミリ必要かと言うのは、一度、調べたことがあり、その時に14.5mmで大丈夫、と言うことになったのだが、改めて調べると、明らかに足りない気がして、自宅にある300ページくらいの本をメジャーで測り、定規あればなあと思いながら、メジャーで測り、25mmもない気もするのだが、いくつかのページで25mmを推奨していたので、できる限り25mmに近づけるようにしていたら、1ページ16行だったのが、15行となり、15行となると言うことは、ページ数がさらに増えることになるな、それは避けたいなと思って、一行の文字数を増やした。前向きに考えれば、入稿する前に気づいて良かったと言うことであり、前向きに考えれば、初めての本づくりだから、いろいろ無駄なことをしちゃうのは仕方がないよね、と言うことになる。
その作業をしていたら、インターフォンがなり、イベントに参加する時に、本立てがあった方が良いな、と思って、BIBLIO RHILICで買ったのが届いた。数時間後に、BOOKNERDの通販で買った『本屋さんになりたいんだけど日記』も届いて、自宅にいる時で良かった、と思った。
妻の仕事が終わり、夕食の準備を一緒にして、冷たいうどんを美味しく食べて、食べながら、あのソーメンを久しぶりに食べたい、と妻に言ったけど、しばらく食べていなかったから、どんなソーメンだったか忘れていた。その様子を見た妻が、タコが入っているやつでしょ、タコが安くなったら買ってくる、と言った。テレビでは、巨人対西武の試合が流れていて、巨人は小林の活躍もあり、リードしている。試合の途中で、ソファで眠り、試合結果がどうなったかはわからない。
