どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

年功序列と帰属性

 実家からクールで不在連絡票が入り、7時に荷物が受け取ることができるということで、受け取りに行った。私のように開店と同時に荷物を受け取りに来ている人は何人かいて、私は、二番目で、私の順番になり、不在連絡票を手渡すと、事前に連絡をしていないと受け取ることができない、と告げられ、イラッとしたが、一日の始まりを、苛立ちから始めるのもどうかと思って、堪え、妻を職場に送り、私は、コメダに来て、こうして日記を書き、2作品目の推敲をすることにした。

 

 ここ最近は、能力主義よりも、年功序列のほうが良いのではないだろうか、と考えていた。組織に対する帰属性を考える時には、能力主義よりも年功序説の方が良いのではないだろうか。それとも、能力主義でもない、年功序列でもない方法があるのだろうか、と考えていて、妻に、そんな話をすると、年功序列もねえ、と言っていて、私は答えが見つからないままでいた。2冊目の推敲をしている時に、5年前にも同じようなことを考えていて、日記に、こんな文章を見つけた。

 

 差別や格差というのは、同質性が高いからこそ生まれる。公正で公平な評価は、本当に望ましいことなのか。仮にそれが実現した時に、「あなたは劣っている」と評価される多数の人々は、一体どのようにして自己の存在を肯定的に捉えることができるのか。人事評価制度のことをよく考えるけれど、これまで経験してきた人事評価制度は、どれもあまり効果がない気がする。ただ、同質性が高いからこそ差別や格差が生まれるというのはどうなのだろうか。当たっているのだろうか。

 

 仕事を終え、自宅に帰ってきて、たまたま、ドキュメンタリ72時間を観ていたら、名古屋の新幹ホームにあるきしめん住よしをやっていて、無性に食べたくなった。