夜に、一通のメールが来て、装画を担当してくれる作家さんからで、ラフ2点と補足資料の3点が添付されていた。嬉しくて、妻に見せようとパソコンを持ったまま、自室を慌てた感じで出ると、妻の寝室の灯が消えていたので、明日の朝にしようと思って、自室に戻り、一人、ラフ画を眺めた。私は、2つのうちの1つを選び、明日の朝、妻に意見を訊いて、妻と意見が一致したら、迷わず、その装画に決めようと思って、眠りについた。
私の朝は早いので、仕事前に妻にLINEを送った。妻からは、スゴいね!素敵です、私はBかな。と返ってきて、私もBだったので、迷わずBにすることにした。なんでBなのか、と妻に訊くと、個展とかで観て、面白い絵だなと惹かれるのはAだけど、飼っていた猫らしさで見ると、B、と返事が来て、私と同意見だった。妻から続けて、作家さんにAの絵は好きです。とお伝えくださいと返ってきたので、作家さんに、お礼とBにすることにしました、と伝え、妻の意見と違うというか、加えれて、ずっと観ていられる絵だということ、私たちの帰りを待っているのだろうか、好きな鳥を見ているのだろうか、とタイムスリップした感覚があったこと、私は、その作家さんのファンで、本を作る時に、装画をお願いできれば、この上なく嬉しいという理由のみで、作家さんに連絡をしたのだが、こうして、ラフを観ていると、その作家さんの絵は、日記には合うなあ、と改めて思ったことを、妻のメッセージと共に送った。一つ、質問なのですが、猫の顔を出さない理由はあるんですか?というメッセージも添えた。
作家さんから、顔を描かない理由は、顔があってタイトルの「にゃあ」が入るとそれだけで情報が完結してしまうといいますか、遊びがなくなってしまうなと感じました。顔を描かず、佇まいと「にゃあ」の文字のみの方が状況や鳴き声に想像の余地を残すことができると考えました、と返信が来て、作家さんは日本画家で、日本画のことはよくわからないが、余白を大切にしているとは、絵を観ていても感じることで、絵自体だけではなく、想像することも含めての余白なのか、と感心したというか、それが日本画家の考え方なんだと発見したというか、新鮮だった。
それからも何回かのLINEでのやり取りがあったのだが、私が打ち合わせの際に送った一枚の写真をもとに描いたことがわかり、私は、その写真を見た時に、こんな写真あった?と初めて知ったくらいで、私が忘れていたような写真を使うのか、とさらに感心し、なんか、その猫が、この写真を使ってと言っているようでもあった。
本画ができあがるまでの間、これから装丁を考える。装画を邪魔しないように、装画が活きるように、と考えてはいるが、できるだろうか。頑張る。