どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

嫉妬という感情は何のために人間に備わっているのだろう。

 我が家の季節行事といえば、ウニ祭しかないと思っていたが、よくよく考えれば、この時期に、よく桜を観に行っていると思って、花見も我が家の季節行事にしようと思った。ゴールデンウィーク3連休ということもあり、どこの桜が満開かを、数日前から調べ、今年は小樽にすることにした。小樽は何度か訪れている町ではあるが、宿泊するのは、これで2回目で、妻がホテルを探している時に、旧岡川薬局はどうか、という話になり、私も、ネットで確認すると、良い感じのホテルで、桜というよりも、旧岡川薬局に宿泊することを楽しみしていた感がある。

 ホームページには、こう書かれている。1930年建造の市指定歴史的建造物。小樽の町を歩いていると、歴史的建造物をいたるところで見かける。旧岡川薬局の1階が、Cafe Whiteというカフェがあり、1階奥に、宿泊客だけが利用できるCafe Brownがある。レンタルスペースとしても貸し出しているとのこと。そのCafe Brown内にある階段を上がり、2階に上がると、3室部屋があり、私たちは、その1室である和室に宿泊したのだが、その和室も、10人は泊まれるのではないかというほど広く、二部屋あり、今、日記を書いているスペースが、居間のようなスペースで、テレビが置いてあり、椅子に座るタイプのテーブルがあって、妻と2人でパソコンを開き、執筆活動をしている。黙々と。隣は布団を敷いているスペースで、座敷に座るタイプのテーブルが置いてある。部屋は、障子で囲われていて、全て鍵がかかるようになっている。トイレ、風呂は共同で、家庭用の風呂が1階にあり、風呂は、日帰り温泉に行こうか迷ったのだが、結局、1階の風呂を利用することにした。素泊まりで、夕食は、妻が、ネットで検索した、都寿司に行った。本格的な、カウンターの席で食べる寿司は、ひさびさで、美味しい、美味しい、と何度も呟き、満足して旧岡川薬局に戻ってきた。

 日中帯は、旧岡川薬局の駐車場に車を停め、徒歩で小樽を散策した。桜が咲く季節になり、桜にカメラを向ける人をよく見かけるのだが、これまでも見てきた光景なのに、今年は、その光景が良いな、と眺めている。南小樽駅の桜を眺め、住吉神社まで歩いた。妻の担当美容師が、住吉神社良いですよ、と言っていたのを妻が思い出して、私に話した。住吉神社の桜を眺め、住吉神社にほど近い、くるみやという蕎麦屋で、昼食を食べることにした。妻は、もりそばで、私は、とりごぼうせいろを食べた。ゴールデンウィークだからなのか、外に待つほどの人が並んでいた。くるみやの店内で、お足るさくらまっぷを、お互い眺めて、天上寺は距離があるから、明日、車で向かおうということになり、水天宮に向かうことにした。それにしても、小樽は坂が多く、疲れた、喫茶店で休みたいと、ぼやきながら歩き、喫茶店は2軒行った。喫茶店で、小休憩しながら、持参した又吉直樹『劇場』を読んだ。

 

 嫉妬という感情は何のために人間に備わっているのだろう。なにかしらの自己防衛として機能することがあるのだろうか。嫉妬によって焦燥に駆られた人間の活発な行動を促すためだろうか、それなら人生のほとんどのことはもっと有意義なものになるのではないか。自分の持っていないものを欲しがったり、自分よりも能力の高い人間を妬む精神の対処に追われて、似たような境遇の者で集まり、嫉妬する対象をこき下ろし世間の評価がまるでそうであるように錯覚させようと試みたり、自分に嘘をついて感覚を麻痺させたところで、本人の成長というものは期待できない。他人の失敗や不幸を願う、その癖、そいつが本当にダメになりそうだったら同類として迎え入れる。その時は自分が優しい人間に何だと信じ込もうとしたりする。この汚い感情は何のためにあるのだ。人生に期待するのはいい加減やめたらどうだ。自分の行いによってのみ前向きな変化の可能性があるという健やかさで生きていけないものか。この嫉妬という機能を外してもらえないだろうか。と考えて、すぐに無理だと思う。又吉直樹『劇場』p140-141

 

 紗希ちゃんのその後の物語を知りたい、と思って、又吉直樹さんの他の著書を読んでみようかと思った。他の著書といっても、後、読んでいない小説は、『人間』くらいで、紗希ちゃんが登場しない確率のほうが圧倒的に高い。『劇場』を読みながら、切なくて、苦くて、ただ、人を好きになるって、こういうことかもしれないとか思いながら読み終わった。それにしても、紗希ちゃんは、素敵な女性だった。