わずかな可能性にかけ、私は、2日連続で、電気屋に行き、ケーブルを買い、自宅に戻ってきて、パソコンと外付けHDDを接続した。しかし、しかしというと、予想していたとおり、パソコンは認識しなかった。外付けHDDは電源はついているのだが、中で、キュッ、キュッ、キュッ、というような音を立てていた。ネットで、修復するにはいくらかかるか確認すると、1万円から3万円ほどだった。
仕事を終え、自宅に帰ってきて、妻と夕食を食べ、食べ終わってからは、テレビで、プロ野球を観ることにした。日ハム対ソフトバンクを放送していた。先発は伊藤大海だった。3対1で日ハムが負けていた。1点差になればわからないと思って観ていたのだが、柳田のホームランで4対1となり、今宮のホームランで5対1になった。妻がニュースにして良い?と訊いてきたので、良いと、と応えた。
私は、待川匙『光のそこで白くねむる』を開いた。程なくして、睡魔が襲ってきたので、布団に横になった。扉越しに、妻が、私が飲んだオロナミンCの瓶が、居間のテーブルにそのままになってる、と不満の声が聞こえた。
何時だったのだろう、トイレで目が覚めて、布団に入ったのだが、昨日のようにキュイーンと頭が回転し始めて、仕事のことを考えていた。考えながら、こんな日が続くと、疲れちゃうから、止めたいな、と思った。止めたいけど、勝手に頭がキュイーンと回転し始める。眠れそうにもないので、携帯で時計を確認すると、4時半になっており、待川匙『光のそこで白くねむる』を開いた。字を目で追っているという感じで、全然、頭の中に入ってこなかった。
出勤前に、妻と、こうも後ろ向きな発言をしていると、マイナスを呼び込むような気がするから、控えると、私は自宅を出た。
朝に、中学校の同級生からLINEが来ていて、気づいたのは昼にラーメン屋に行った時だった。4月18日に会う約束をしているのだが、和奉が、店を予約してくれたのとのことだった。私は、醤油ラーメンネギマヨチャーシュを食べ終わると、再び、その友人からLINEが来て、田浦は夕方に着くように来るってとのことだった。田浦は、道外で、今は、どこに住んでいるのかわからないが、わざわざ北海道に帰省するとのことだった。こんな年度初めに。田浦も来るのすげーな、と私は、返した。返した後、なんで、この四人で会うようになったのだろう、と思い出そうとした。思い出したのは、和奉の家で、よく土曜日の昼に行き、やきそば弁当を食べていたことだった。私は、和奉の部屋の窓からやきそば弁当の要らなくなったお湯を捨てていて、春になったら、お前のやきそば弁当の残りかすが自宅の外に散乱していたと言われたことや、田浦と榎本と同じクラスだったのだが、あまりにも教室が汚いので、三人で自主的に教室を掃除し、黒板の横にある黒板に、きれい好き委員会とチョークで記載して、教室を綺麗に使うようにだったか、ロッカーを片付けろだったか、よくわからないが、きれい好き委員会を、自主的に立ち上げたことだった。それからもいくつかのどうでも良いことは思い出すのだが、なぜ、四人で会うようになったかということは覚えていないのだった。何十年ぶりになるのかわからないが、会った時にでも訊いてみようと思う。
