どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

若い頃の自分に、今の自分がかける言葉は?

 この一年、所属している部署の職員にインタビューをして、インタビューを動画に撮り、職員に共有をしてきた。なぜ、この業種を選び、なぜ、この会社を選んできたか、何を大切にしてきたか、などを訊いているのだが、訊いてみると、案外、新たな発見がある。全員分をまだ視聴していないのだが、職員からは良い企画だと耳にする。そして、今年度、最後のインタビューが自分で、あらかじめ質問が4つ用意されていて、3つまでは、すんなり出るのだが、質問の1つを今も考えあぐねている。

 その質問は、「若い頃の自分に、今の自分がかける言葉は?」というもので、この質問が非常に難しい。なぜ難しいかというと、答えのようなものを、若かりし頃の自分にかけたら、答え合わせみたいで、その後の人生がおもしろくなくなるし、その時は、答えが出なかったけど、時間をかけ、遠回りをして、自分なりの答えを見つけてきたので、今更、かける言葉はないな、というのもある。

 この質問は『他人が幸せに見えたら深夜の松屋で牛丼を食え』を読んだ時にも考えたのだが、パッと思い浮かんだのは、モテたかったら、モテたい、モテたいと考えないことだ、だった。今回は、却下。答えというよりは、問いのような言葉をかけたい。祖母から、賢くなりなさいとかけてもらったように。いまだに賢いって何?と時々、考えてる。問いというか、ヒントみたいな言葉をかけたい。かっこつけた言葉ではなく、肩の力が抜けたような言葉をかけたい。アントニオ猪木の名言が頭の中に浮かぶ。「迷わずいけよ、行けばわかるさ」。いや、迷いながらいけよ、遠回りするくらいがちょうど良いにしようか。若かりし頃といっても、場面、場面でかける言葉が変わるとも思って、では、一度だけ、登場できるとしたら、どの場面に登場したいかを考えると、もう、自分の力では乗り越えられないという場面で、その中でも、社会人1年目じゃないのか、と思った。仕事を辞めたい、辞めたいけど、金もないし、やりたいこともない、だけど辞めたいと思っていた頃。あの当時の自分に、問いのようであり、肩の力が抜けるような言葉をかけるとしたら、何と声をかけるだろう。足を使いながら時々、悩めかなあ。行動を起こす者が何よりも尊いという言葉って、社会人3年目の時に、瑞穂さんにかけてもらった言葉だなあ。結局、自分がかけた言葉というより、誰かにかけてもらった大切な言葉だなあ、とこれだという言葉は思いつかない。とりあえず、旅をしてこいかなあ。旅をしたのをきっかけに、長い、長いトンネルから抜けられたし。