研修は、札幌で、10時から開始だったのだが、早めに札幌に行き、執筆活動をしてくる、と妻に言って、自宅を出たのが7時前だった。春を全く感じない、肌寒いなか、バス停まで向かい、向かっているまでの間、借金をして、事業を立ち上げた若者のことを思い出して、行動することが尊いと思ったけれど、同時に何か始めることは、割と簡単で、続けることが難しく、5年続けたら、本物だな、と思った。バスを待ち、待っているまでの間も、バスに乗っている間も萩原魚雷『本と怠け者』を読んだ。面白い。尾崎一雄の本を読んでみたくなった。
わたしは尾崎一雄から「才能が無いくせに中途離脱せず」にすむ方法を学びたかった。窮地に陥ったときに気持ちを立て直す方法、日常における心の平安の持ち方を知りたかった。私の知りたいことはそれに尽きた。そのためなら、全財産(そんなに貯金はなかったけど)を注ぎ込んでもいいとおもった。
尾崎一雄は志賀直哉を心の支えにしていた。何かあったら、志賀直哉の本を読むことで気持ちを立て直した。荻原魚雷『本と怠け者』p235
<降参しない、というより、出来ないと云った方がいゝかも知れない。それ以上退いたら、崖から落ちて了うに決まっているのだから>
お金がなくても病をわずらっても降参しない。自分の書く小説が時代と合わなくなっても降参しない。
この小説には、二十九歳のわたしが知りたかったことがつまっていた。
ちょうど「玉樟」を読んだとき、自分の中に「尾崎君」というべき人物が住みついたような気がした。
この「尾崎君」は何かとうるさい。「尾崎君」はわたしが疲れてくるとすぐ休めという。そして適当な文章を書くとものすごく怒る。わたしは「尾崎君」に謝ってばかりいる。
読書というのは、こんな感覚も味わえるのかとおどろいた。
本を読み続けてきてよかったとおもった。
ではまた5年後に。荻原魚雷『本と怠け者』p241-242
私は読みながら、こうして読書をすることになったきっかけを思い出した。社会人一年目の私は、仕事を辞めたい、辞めたいけどやりたいこともないし、金もない、だけど、辞めたいという繰り返す日々のなかにおり、母や彼女、友人なんかに相談することも嫌になって、本に救いを求めた。週末によく本屋に行き、できそう、という気持ちになるのだが、月曜日になると、同じように、辞めたいと憂鬱な気持ちになっていた。
のちに、三浦しをん『三四郎はそれから門を出た』を読んでいて、「読書が悩める人を救うのではない。静かに本を読み、自分を見つめた者自身が、自分を救うしかないのだ」という言葉を読んで、本当に、そうだよな、と思った。今もその気持ちに変わりはないが、荻原魚雷『本と怠け者』を読みながら、尾崎一雄が志賀直哉を心の支えにしていたように、荻原魚雷さんが、尾崎一雄さんを心の支えにしたように、当時の私も、本に限らず、ブログを読んだり、その人の存在そのものが心の支えになっていたし、今も、そうだ、ということを思って、もちろん自分自身が、自分を救うしかないけれど、確実に、心の支えになっているんだな、と思った。
バスの運転手は、お客さん一人ひとりにお気をつけて、と声をかけているのを聞いて、気持ちが良い朝を迎えるのは、こんなちょっとしたことかも知れないな、とバスを降りた。

![([み]1-1)三四郎はそれから門を出た (ポプラ文庫 み 1-1) ([み]1-1)三四郎はそれから門を出た (ポプラ文庫 み 1-1)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Yv7klNFWL._SL500_.jpg)