北海道は、雪景色となり、ゆっくり、ゆっくり走っているにもかかわらず、滑る、滑る。何度か、ハンドル操作が効かなくなったり、追突しそうになって、怖い、怖い。
昨夜、なんか嫌な予感がすると思って、そんなことは珍しいので、ひさしぶりに実家の母に電話をすることにした。私が電話することなんてないので、母は少し驚いていたというか警戒した声音になっていた。若かりし頃、母に電話する時は、お金がないだの、仕事を辞めたいだの、ネガティブな内容の電話しかしていなかったので、そりゃそうか。
母は、お父さんに代わろうか、と言って、父に携帯電話を渡した。いつものことだが、話したいことなんてないので、代わっても、とは思うが、年齢を重ね、何も話すことがないと言うのも酷いということは理解しているので、父と話をした。誤解がないように書けば、父との関係が悪いとかでは全くない。私が、道路がツルツルだわ、と言うと、うまく伝わらず、父の頭のように、道路がツルツル、と言い直すと、電話口で笑い声が聞こえ、伝わった。
電話を切った後、父と母と妹家族と私たちで、温泉にでも行きたいな、と思った。家族で温泉に行ったのは、父と母の還暦の時だったと思い出して、長寿の祝いは集まるには良いな、と思って、長寿の祝いを調べた。ただ、父と母が何歳なのか把握していなかった。
妻に、もやしがあるから焼きそばを買って帰るわ、とLINEを送り、スーパーで買い物をして、冷蔵庫を開けると、あれ?もやしないなあ、賞味期限が切れそうと言っていたのになあ、もやしが食卓に出たっけ?と思いながら、冷凍庫を開けると、冷凍されたもやしが保管されていた。冷蔵庫にあるのは、にんじんと玉ねぎだったので、刻み、スーパーで買った豚肉を切って、塩コショウをまぶし、炒め、電子レンジで温めておいた麺を絡めて、はい、出来上がり。妻は、まだ仕事中だったので、私は、先に食べて、文学フリマ東京で買った樽本樹廣『百年の一日二十年目』の続きを読んだ。
『百年の一日』も、『百年の一日二年目』もおもしろい記憶があって、文学フリマ東京で続編となる『百年の一日二十年目』を売っていたので、おっ、新作だと思って買ったのだった。
読み始めて、日記だったっけ、となり、私は日記が好きなので嬉しい気持ちになった。なぜ、日記が好きなのだろう。他人の日記なんて読んでおもしろい?と思う人はいるだろうけど、おもしろい。ノンフィクションだからというわけではない。なぜなら、山口慎太朗『誰かの日記』はフィクションの日記だけど、繰り返し、繰り返し、読んでいる。日記は、どうでも良い、たわいもないことが書かれているからなのだろうか。
でも、2年目があまり売れずに半分以上残っている。つづきが売れないと前作がつまらなかったのかなと不安になる。
ちなみにエゴサはしない。なのでへこまない。へこたれない。いやときどきはへこむのだけど頻度が少ない。これ大事。
樽本樹廣『百年の一日二十年目』p17
そうか、二作目が売れないということは、一作目がつまらなかったのか、と思うことになるるのか、と思ったが、私は、一作目も売れているわけではないから、そんな心配はないのに、これから二作目を作ろうとしているので、そんなことを思ったのだった。一作目を買ってくれた人が、二作目を買いに来てくれたら、かなり嬉しいだろうな。
ちなみに私もエゴサはしない。へこむというのもあるが、めんどくさいというのもある。ただ、イベントに参加したあとに、やっぱり気になって、何回かエゴサをした。ほぼ発信されていなかった。エゴサをする気持ちは理解できたし、誰かが発信してくれることは、応援してくれる人がいるということで、応援したいと思ってもらえるかは大切なことだと思っている。