どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

よりによって

 妻と二人、自宅を出てバス停に向かい、程なくして、財布を忘れた、と私は言って、自宅に戻った。8時23分発は諦めて、8時46分発のバスに乗ろう、と妻は言った。私たちは急いでいなかった。10時開場の葛西由香さんの個展に行く前に、ド・ドールで朝食を摂ることにしていて、その朝食を摂る時間が短くなるだけだった。何ら問題なかった。

 8時46分発のバスに間に合うように、私たちはバス停に向かい、バス停に到着した頃合いに、妻が、鍵閉めたっけ?と言って、私は、わからない、と応えた。

 自宅には戻らず、バスに乗車して、私はマンスーン『まだ夜な気がしている(略)』を読み、時計台前でバスを降車して、歩き、ド・ドールで、ホットドッグとアイスコーヒーを注文し、アイスコーヒーを注文する私を見て、妻は、寒くないの?と訊いてきたので、アイスコーヒーを注文することに決めている、と答えた。ただアイスコーヒーが好きなので、年柄年中、アイスコーヒーを飲んでいるだけだけど。妻は、私が言った言葉を流し、アイスコーヒーとホットコーヒーを席まで運び、私は、妻が注文したスモークチキン&トマトと私が注文したホットドッグを待った。席に着き、こうして日記を書いている。妻は、鷺沢萌『ウェルカムホーム』を読んでいる。

 10時を少し過ぎ、ド・トールを後にして、らいらっく・ぎゃらりがある、ほくほく札幌ビルに入ってすぐに、葛西由香さんがギャラリーにいるのが見えた。作品展に行くのは二度目で、妻が先日、感想を言っていた絵画とタイトルを両方見るとほっこりすると言った言葉を私も体感したいのと、文学フリマ東京で買ったお土産を渡したかったからだった。

 私は封筒に入れておいた小沼理『漢江で自転車を漕ぎながらさみしさを感じていたとき』を取り出して、これ、サイン本です、と手渡した。なぜ、小沼理さんのZINEをお土産にしたかというと、葛西由香さんの前回の個展で小沼理さんの『共感と距離感の練習』を置いていたからで、私は、小沼理『共感と距離感の練習』を読みたいと思って、文学フリマ東京で、小沼理さんのブースを訪れたのだが、『共感と距離感の練習』はなかったので買えなかったけれど、『漢江で自転車を漕ぎながらさみしさを感じていたとき』は、ここでしか買えないのではないか、と思って、色違いがあったので、全種類ください、と言って、全種類を買い、その一部だけサインを書いてもらったのだった。

 文学フリマ東京が終わり、ホテルで読むと、表紙が色違いなだけで、全て同じ内容で、やっちまったと思ったが、このZINEは、ガザのQasemさんへの寄付ということだったので、やっちまったにはやっちまったが、別にそこまでやっちまったわけではなく、同時に、葛西由香さん喜ぶかな、と思ったのだった。内容が同じだったから、葛西さんにプレゼントすると言うのもなんなんだから、サイン本を葛西由香さんにプレゼントすることにした。

 妻は、葛西さんにこのシャツが挟まっている絵が好きです、と言っていて、私は、そのシャツの両側の絵が好きです、と心の中で呟いた。確かに、絵画とタイトルを見ると、さらに笑みが増えた。その一つが、「よりによって」だった。確かに、よりによってだよ、と思った。

 私たちは、札幌駅に向かう地下街を歩きながら、「よりによって」の話をした。葛西由香さんの絵は、その瞬間に、これ、絵になるとつぶさにメモを取らないと忘れてしまう、たわいもない日常の一部を切り取っている。私は、テーブルからパンが落ち、しかもよりによって、ジャムを塗った側が床に落ちたら、ああ、と凹むけど、凹むと同時に、あっ、これ絵になる、と思い直したら、それは、ネガティブな感情がポジティブな感情に転換されるのではないか、と思ったのだった。