どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

八月

 気づけば夏が終わっていた。というか、夏本番にコロナの対応をしていた。休みという休みはなく、ひと段落したのが今日で、朝のみ仕事をし、自宅に帰ってきて、布団の上に寝そべりながら、パソコンを開き、甲子園を横目で観ながら、滝口悠生『水平線』を開いた。

 甲子園は、準々決勝だった。高松商と近江の試合が開始されるところだった。高松商の一番打者が、レフト前にヒットを放ち、ファーストを回る姿を見ながら一番打者なんだ、と思った。四番打者の体格であり、風格だった。セカンドベース上で、ガッツボーズをした。私の記憶は、そこで途絶える。試合が始まって、まもなく眠りについたことになる。起きた時には、近江が勝利していた。私の体は、休むことを求めている。

 今年は、あまり本を読めていない。体が活字を求めていないのか。読みたい本はあるから、購入し、読まずに置いてある。久しぶりに、読み続けているのが、滝口悠生『水平線』。この季節にはぴったりの本だ。というのも、毎年、八月になると、戦争関連の本を読むことにしているからで、『水平線』は、戦争関連の小説ではないのかもしれないが、戦時下の父島や硫黄島での出来事が綴られているので、否が応でも戦時下に、タイムスリップすることになる。

 私はコロナの対応をしながら、緊張状態は、どれくらいまで続けることができるのだろうか、と考えていた。というのも、コロナの対応は、おおよそ、10日間続いた。緊張の糸を緩めないように、緩めないように、と言い聞かせてはいたが、10日目が近くづくにつれ、どうしても緩んだ。これが、戦時下であるならば、とウクライナの人々のことを想った。

 104回という文字をなんとはなしに観ながら、もう4年も経つのか、と思った。前回、私が甲子園に足を運んだのが、100回大会。月日が流れるのが本当に早い。私は、いつしかの祖母のように、雪の心配を一年中している。これまで雪捨て場にしていた空き地は住宅が建つようで、雪が捨てられないという理由で引っ越しも考えている。

 甲子園は、大阪桐蔭と下関国際の試合だった。私が観ていたバーチャル高校野球の解説は、智弁和歌山元監督の高嶋さんで、高嶋さんは、しきりに下関国際に対して、向かっていかないと勝てないということを言っていた。それは、智弁和歌山監督時代に体感した言葉だったのだろう。私は、『TOIN』と黒字で胸に書かれたユニフォームを眺めながら、完全に飲まれるよな、と思ったけれど、そこは、下関国際も甲子園常連校で、高嶋さんがいうように食い下がっていた。とはいっても、大阪桐蔭の強さというのは、安定していて、負けることがイメージできない。多分、大阪桐蔭の選手も同じで、ましてや、秋、春と優勝しているチームでは、負けるイメージなんてないのだろう。だから、観ているほうも、負けたのが信じがたい。泣いている大阪桐蔭の選手を観ながら、いつしか横尾忠則が言っていた、手に入れたくて仕方ないものが、手に入らないことが重要という言葉を思い出した。

 

水平線

水平線

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