北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

おもてなし

 館内を案内してくれた仲居さんは、とても緊張しているようで、その緊張が、空気を伝い、私の心まで伝わってきた。仲居さんは、焦れば、焦るほど、言葉がみつからないようだった。館内の案内をしたあとに、自分で自分を責めるのだろうか。

 流暢に館内を案内する仲居さんよりも、印象に残り、大浴場に行く途中で会った時も、親近感と共に、会釈をした。また訪れることができるかわからないが、仮に五年後、十年後、再び訪れることができれば、その仲居さんを私は思い出すだろう。

 食事の前に入った大浴場は、いつしか夢でみた景色のようだった。池と湯船が繋がっているような露天風呂で、高台には滝が流れていた。

 貧乏性の私は、入浴が可能なお風呂に全て入った。朝は、部屋にある檜風呂に入った。貧乏性でも、お湯を出しっぱなしにしたり、テレビをつけっぱなしにするような人にはなりたくないと思った。誰も見ていないところで、どう行動するかで、その人の本質が見える。それを陰徳を積むという言葉で表現されると知るのは、また後日の話。

 チェックアウトギリギリまで、旅館にいた。朝食前と後には、庭にあるハンモックに揺られながら、永井宏『愉快のしるし』を読んだ。永井宏が、合う、と思った。

 

 太陽が輝いて、風が吹いて、雲が少し動き出すと、その下で、大きなあくびをして、背中をちょっと掻く。新しい自然に出会ったような気持ち。永井宏『愉快のしるし』p1

 

 おもてなしという言葉は、旅館から生まれた言葉なのではなかろうか。