北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

大人とは?

 休日は、ほぼ昼寝をしている。昼寝をしようと思って、昼寝をしているわけではなく、本を読んでいたら、眠くなる。ちなみに、本は、布団の上で、横になりながら読んでいることが多いから、昼寝も、布団の上で気持ちよく眠れる。つまりには、長い時間の昼寝となる。夜、眠くなれないかもしれない、と不安にはならない。なぜなら眠くならない夜は、年に数回だから。夜は夜で、本を読んでいたら、あっという間に眠くなる。

 で、目が覚めて、起きたら、小学生の頃に戻っていました、という展開を想像した。長い、長い、夢のようには思えない夢。それは嫌だな、と思う。また繰り返さないとならないのお、と思うと思う。仮に、小学生以降から今までの記憶が残っていて、成功間違いなしの人生を歩めるとしても、嫌だな、と思う。そんなことを柴崎友香『千の扉』を読みながら、考えていた。

 柴崎友香『千の扉』は、親しいというわけではなかったのに、結婚した2人が団地に住み、もともと団地に住んでいた祖父から人探しを頼まれるという物語で、なぜ、親しくないのに結婚したのだろうとか、その設定は必要だったのだろうかとか、いや、わざわざ、設定しているくらいだから、これからわかるかもしれないなあと思いながら読んでいて、読みながら、ファンというかなり馴染みのあるカタカナは、外国語なのだろうか、それとも和製英語なのだろうか、と気になって、ウィキペディアで調べた。「熱狂的な」というファナティックの略とあって、へえ、と思った。

 それにしても、ここ最近、カタカナが多くて、気づいたら、一気に増えた感があり、私は、それはあまりよくない傾向なのではないか、というか、少し、イラッとすることがある。何がレガシーだ?誰が使い始めた?と、どうでも良いことに苛立つ。若手職員なんかが使うと、薄っぺらく見えてくるから、私が担当する拠点では、ゆるやかにカタカナの使用を禁じている。

 そういえば、昨日、新人研修には、どんな内容が必要かという話になり、その一つに接遇研修があって、例えば、電話の取り方だったり、名刺の渡し方だったりが、該当するのだけど、参加者の一人が、接遇研修の目的は、社会人として信頼を得るために必要なことを身につけてもらうというようなことを言っていて、その意見は良い意見だと思って、そこが目的ならば、接遇研修では足りないのではないか、と述べた。私が担当する拠点でも、信頼を得るために、どう行動すべきかという話をよくする。もしかしたら、一番、多いかもしれない。つまり、研修で学ぶこともさることながら、実践のなかでも身につけるべき内容であるが、そんな話から、大人って、一言で言うとどんな人だと思う?と、年配の人から訊かれたことがある、という話を始めた参加者がいた。大人とは、大丈夫な人と言っていた、と言った。これまた、なるほどなあ、と思った。安心してまかせられるということなのだろう。私が担当する拠点の安心できる職員の顔が浮かんだ。

 その日の帰り、部下の何人に、最近は、(私が)休みの日に、大丈夫かなあ?と心配になることがなくなったよ、と伝えた。