北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

なにもないがすべてがある。

新型コロナウィルス感染拡大が気になり、できるかぎりのステイホーム。本を読み、昼寝して、だらだらと、だらだらと過ごしている。この過ごし方は、いつかやりたいと思っていた1年間、本だけを読んで過ごしたいと思っていた過ごし方ではないか、と思ったが、飽きるかもしれないな、とGWの夜に思う。2日目にしてすでに少し飽きているから。

 

そんな休みの今日は、原研哉『デザインのデザイン』を読んでいた。

 

グラディックデザイナーの原研哉氏は「エンプティネス」という概念を提唱する。エンプティネスは、空っぽのなかになにかが宿り満たされる可能性のことを指す。原氏の手がけるデザインはミニマムの極北と言え、一切の装飾を排除し色もスミのみという特徴がある。それは一見シンプルとは異なるという。なぜならシンプルとは装飾との対比、複雑さとの対比であるからだ。・・・一方でエンプティネスは簡潔さ自体を重んじる日本ならではの概念だという。プリミティブな円には自在な意味が宿る。・・・その意味づけは、個人にとってだけでなく、おそらく歴史的・地域的にも変化に富むだろう。原氏のエンプティネスには茶室にも通じる受け手の想像の働きへの呼びかけがある。渡邊康太郎『コンテクストデザイン』p44-45

 

以前、原研哉『デザインのめざめ』を読んだことがあるが、渡邊康太郎『コンテクストデザイン』のエンプティネスの考え方をもっと知りたくて、『デザインのデザイン』を手に取った。

 

あった。

 

コミュニケーションというのは、一方的に情報発信をすることだけではない。一般的には、分かってもらうべきことを明確にし、それを理解しやすいメッセージに仕立て、相応しいメディアを選んで流通させていくのが広告コミュニケーションだと考えられている。しかし全てが一様にその方法に準じる必要はない。メッセージではなく空っぽの器を差し出し、むしろ受け手の側がそこに意味を盛りつけることでコミュニケーションが成立するという場合もある。原研哉『デザインのデザイン』p112

 

なにもないがすべてがある。 

 

どこか日本的で、なぜか、かっこいいと思う。無印良品について書かれたページを読み、無印良品に行きたくなった。

 

もう一つ、行きたい場所を見つけた。べにや無可有。

 

「無可有の郷」とは荘子の言葉で、何もないこと、無為であることを言う。しかしそこには価値観の転倒があり、一見無駄で役に立たないようなものほど実は豊かであるというものの見方を含んでいる。器は空っぽであるからこそものを蔵する可能性を持つわけで、未然の可能性を持つことにおいて豊かなのである。可能性の潜在を「力」と見立てそれを運用しようとする思想は古来より中国にも日本にも共通してある。原研哉『デザインのデザイン』p169 

 

mukayu.com

 

デザインのデザイン

デザインのデザイン

  • 作者:原 研哉
  • 発売日: 2003/10/22
  • メディア: 単行本