いちばん古い記憶は、風呂だ。
ばあちゃん家で、母と風呂に入っていた記憶。母と風呂に入っていたという記憶だけで、3歳以下の記憶なのではないだろうか、と思っているが、何歳なのかもわからない。私のなかではいちばん古い記憶ということになっている。
ばあちゃん家のお風呂は、シャワーがなくて、湯船から、桶で、湯をすくう。私は、母がそうしているように、桶で湯をすくおうとしたら、桶の重さに負けて、頭から湯船に落ちた。母は慌てて、私の両足を持ち、救ってくれたので、怖かったという記憶はない。その頃を思い出すと、桶の重さに負けて、溺れるって、と微笑ましい記憶になっている。
岸政彦・柴崎友香『大阪』を読みながら、そんないちばん古い記憶を思い出した。
母の話によれば、近所のおばちゃんたちが、わたしを風呂によく連れていってくれたのだという。母はわたしが産まれてからも美容師の仕事を続けていたから、近所の人たちがよく面倒をみてくれたのだ。残念ながら、わたしにはその記憶はない。岸政彦・柴崎友香『大阪』p31
素敵な思い出で、素敵な風景だと思った。私も、昔、銭湯に行っていた記憶がある。父と母と妹と。コーヒー牛乳やカツゲンが、おいしかった記憶だけがほんのりと残っている。
わたしにとっては、大阪を書くことは、自分の生きてきた時間と場所と、関係のある人を書くことに、どうしてもなってしまう。 岸政彦・柴崎友香『大阪』p34
なぜ、大阪という地名にまつわるエッセイを出版するに至ったのだろう。これまで、このような形式で書かれたエッセイを読んだ記憶がない。私が、北海道を書くとしたら、何を書くだろう。北海道らしさを伝えたいと思った時、浮かんだのは冬の景色だった。今が冬だからだろう。やはり柴崎さんと同じく自分の生きてきた時間と場所と、関係のある人を書くことになるだろうな。