北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

競争しない社会

美容室と整体もしくは鍼の治療院を探すのは難しい。ネットの口コミは参考になるが、やはり、実際に行ってみないと自分に合うかどうかはわからない。

 

ネットではない口コミを訊き、整体および鍼の治療院を数ヶ月前に代えた。腰を曲げて、治療院に入り、帰りは、しゃんとして帰ってきたという嘘みたいな噂を訊き、私は、大袈裟だとは思ったが、そこまで言われる治療院を体験してみたくて向かった。

 

その治療院は鍼と整体を併用する。20代から整体あるいは鍼に通ってきたが、上位1、2位を争うほど良い。ここ数年で一番、体が楽になっている。

 

このような治療院はだいたい1時間だが、その治療院は、平均1時間半。今日は、2時間半にもなった。後半は、空手の話や護身術の蘊蓄を訊いていたのだが。

 

体の使い方は、体の仕組みを理解することで、そう考えると、整体や鍼と、空手なんかは、どこか繋がっているような気がした。

 

研究熱心というか、たまたま興味の点と点が線になったのか。どのように知識や技術を高めているのだろう、と気になった。最近、もっとも関心があるテーマ。次年度、私たちのチームのビジョンと関係する。帰りに古武術の本を借りてきたが、私は、古武術に興味がない。なんとなく、断りづらくて、借りてきた。

 

奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民』を読みながら、有限である時間の中で、身につけられる知識も技術も限られるよなあ、と思った。ひとつのことを深めるのだけでも時間がかかり、良い師につけば、最短で身につけられる知識や技術もあるだろうが、遠回りして、独学で身につけていくとなると、果たして、どれほどのことを身につけられるのだろうか。

 

・・・より丁寧な言葉で、「今、お金がないので、助けてくれないか」と囁きながら、プナンは私のもとに現れるようになった。この表現には貸し借り原理がまったく組み入れられていなかったことを、私は後になって気づいた。彼らは、「貸してほしい」ではなくて、巧妙に「あったら融通してほしい」と述べていたわけである。・・・人々は、他に使えるものがない場合には、いつの間にか、私の所持金や所有物を勝手に使ったり、使いまわしたりするようになったのである。いったん使いまわされるとそのことは常態化し、時にはエスカレートし、私の手元には戻ってこなかったものもあった。奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民』p115

 

もはや、作者は、騙されているのではないだろうか、と思った。ものなんかを所有しない文化。共有する文化。それは狩猟民族だからだと本著には書いてあった。私にとっては、ストレスを感じる。場合によっては、争い事になるかもしれない。

 

所有欲を捨てよ、とプナンは言う。そこでは欲を認められず、格差の芽がその都度、摘み取られる。そのため、格差は見当たらない。格差がない代わりに、個人の持つ向上心や努力などもない。奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民』p128

 

競争をしない社会。以前、学校の運動会で徒競走の順位をつけないというのを訊き、それはだめでしょ、と思った。なぜなら、勉強ができるやつもいれば、運動のできるやつもいて、運動ができるやつの活躍の場が、体育や運動会であるならば、そこは、順位をつけなければならないし、リレーの選手として、クラス代表として選ばれる必要があるから。どうせ、社会に出たら、競争するわけだし、と思った。

 

思ったが、この日本の自殺率の多さや、ひきこもりや、あれこれの生きづらさは、やはり、今の社会に何らかの問題があり、プナン人は自殺がなかったりというのを考えると、何か、学ぶべきことがあるのではないだろうか、取り入れられる考え方がないか、と思う。競争をしない社会は、ひとつのキーワードで、格差がない社会は魅力的だけど、向上心や努力もないというのは、どうなんだろう、というのもあり、はっきりとした答えが見つからない。

 

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

  • 作者:奥野 克巳
  • 発売日: 2018/05/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)