北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

誰かのせいにした段階で成長が止まる

テレビを見ていて、なんとなく、この人、好きじゃないなあと思う人がいる。見た目は大事だ。なんとなく、この人、チャラいなと思うだけで、あまり好きになれない。ごくたまあにではあるが。

 

先日、好きなテレビ番組に、そのなんとなく、この人、好きじゃないなあという人が出演していて、もしかしたら、私が毛嫌いをしているだけで、おもしろいと思うかもしれないと思って、我慢まではいかないが、見ることにした。

 

そのテレビ番組の構成が良かったのか、この人、好きじゃないなあから、この人、おもしろいかもしれないと思い直した。

 

これが、現実であれば、たぶん、というか、ほぼ確実に私は、その人のことを知ろうとはしなだろう。合わないと思う人とは、極力、会わないようにしている。

 

ただ、直接会わないことの良さと言えば良いのか、本は、直接、会うよりも、素直に、心を開いて、その人の考え方を聞くことができる。聞くことができるというか、読むことができる。おもしろくなければ、本を閉じるだけだし。

 

直接、会ったら、合わないかもしれない人とも、本では合うということがあるような気がする。

 

うらやむ必要はない、また、否定を言葉にする意味もない。自分は、自分の目の前にあるつくりかけの作品を良くすることだけに集中していればいい。いつもこう自分に言い聞かせて、行くべき道を踏み外さないようにしています。うちはうち、よそはよそ。小林賢太郎『僕がコントや演劇のために考えていること』P 48

 

誰かの良くないところを改めさせたい、という気持ちは、思うように結果が出なかったことを人のせいにしているということ。大事なことは「人にどうあってほしいか」よりも「自分がどうありたいか」です。小林賢太郎『僕がコントや演劇のために考えていること』P53

 

録画しておいたSWITCHインタビュー達人達を観た。太田雄貴と谷昇の回だった。

 

太田雄貴は、フェンシングの太田である。その太田が、こんなことを言っていた。

 

「私の周りのオリンピックで金メダルを奪っている人は、人のせいにしない人が多い」と。

 

日本ではめちゃめちゃ強い先輩でも、世界に出ると通用しない先輩を多く見た。審判が悪いと言っていても始まらない。できない理由を探すのではなく、できる理由を探す、と。

 

こう書いていると、昨年、部下を見ていて、この部下2人は伸びるな、と確信めいたものを感じた。その理由は、その2人は、ミスを人のせいにしなかったから。その2人の責任だけではなかったはずなのに、その発言から、微塵も、人のせいにしている感じがなかった。その姿を見て、成長する人は、人のせいにしない人ということになった。

 

SWITCHインタビュー達人達での太田雄貴もこう言っていた。

 

誰かのせいにした段階で成長が止まる、と。

 

私も、誰かのせいにするのは辞めてみようかな、と持った。

 

中年だけど、まだ、成長するのだろうか。