北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

仕事をする上で大切なこと

所属する組織の行動指針というか、仕事をする上でお願いしていることというか、ルールというか、部下によく話していることの中に、自分だけ良ければ良いという仕事の仕方はしないで欲しいと言っている。

 

なぜか。

 

その昔、参加していた会議で、自分が、自分が、と自分の知識や技術をひけらかしている人がいて、何か、自慰行為を見せつけられている感じがして、ああはなってはいけないと思った。一度だけではなく、何度かそういう人に出会ったことがあって、そういう自分は大丈夫か?と戒めるようにしている。

 

あとは、仕事が辞めたくなる理由の上位に「人間関係が悪い」からというのがあって、人間関係をよくする上で大切なことが、自分だけ良ければ良いという仕事をしないというのが大切なのではないかとも思っている。

 

そんなことを佐藤卓『塑する思考』を読みながら思い出した。この自分が、自分が、という仕事がなぜいけないかについて、47頁から書かれている。

 

自分が意識されたとたん、困ったことに自我は我欲と直結してしまう。佐藤卓『塑する思考』p49

 

ごく稀に、個人的な趣味をそのまま仕事として成立させている人がないではありませんが、世の中のほとんどの仕事は不特定多数の人々のための営為であって、自分の「好き」のために世の中が回っているわけではないのです。ところが自分の「好き」を基準にしてしか仕事ができない、つまり「我欲」をコントロールできないまま社会人を続けようとしてうまく行かずに悩んでいる人は少なくない。佐藤卓『塑する思考』p50

 

どんな仕事でも本来、こちらの自我をあちらの他者に押し付ける所行ではなく、多くの人々と共鳴するところを冷静に感じ極める作業だからです。佐藤卓『塑する思考』p51-52

 

主体は自分ではなく、飽くまで相手なのです。この方法が見えてくると、自我が描こうとする世界とはまったく異なった地平が拓かれます。そして「やるべきこと」が、無理なく「やりたいこと」に変換され、「やりたいこと」と「社会」が連動し始めるのです。佐藤卓『塑する思考』p53

 

ここの箇所、すごいわかる。今、そんな心境。仕事としてやるべきことが自分のやりたいことと合致している感覚があって、それは、ここでいう「やるべきこと」が、無理なく「やりたいこと」に変換されたということなのかもしれない、と思った。

 

発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士をつなげる試みであって、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてありません。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為、と言ってもいいでしょう。佐藤卓『塑する思考』p55

 

塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委ねることでも、無闇に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚びて流行を追うでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことなのです。・・・やりたいことを、ではなく、やるべきことをやる、の姿勢です。佐藤卓『塑する思考』p60

 

なんか、20代の頃を思い出した。信念を持ちたいと思っていた。流されたくないというか。今は、自分が、自分が、というのがないから、楽というか、自然体というか、やるべきことがやりたいことになっているんだろうなあ。

 

塑する思考

塑する思考