川上未映子『ヘヴン』を読み終えた後、Twitterを開き、なんとなく読んでいるというか見ていると、炎上の文字が目に入った。普段は、そのままスルーするけれど、どういった理由で炎上するのだろうか、と気になったから、さらに読んだ。たくさんの罵詈雑言を浴びると、閉鎖に追い込まれるほどのダメージを受けるだろうなあ、と思った。
シャワーを浴び、歯を磨き、寝る準備をして時計を見ると、2時9分。寝なければいけない。休みだから、寝なくてもかまわないけれど、この感じでいくと、3時は優に超える。3時を超えると、明日というか、今日に支障を来す。眠くなるまで、読書をしようかなあ。『ヘヴン』を読みながら考えたことをブログに書こうかなあ、とか考えながら、こうしてパソコンを開いている。
『ヘヴン』を半分過ぎた頃だったか。この物語は、もしかしたら、いじめている側に何かを伝えたくて書いているかもしれないな、と思った。そんな意図があって書いたわけではないのかもしれないが、いじめという行為を小説を通して客観的に見ることができるのではないだろうか。だったら良いな。いじめている側の考えそうなこと、主張しそうなことが、小説の登場人物から語られる。
自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません。あれはインチキだよ。(川上未映子『ヘヴン』p221)
私は、そう主張する登場人物に対して、どう答えるだろうか、と考えながら読む。私は、20代の頃、言われた言葉で、今も大事にしているいくつかの言葉を思い出した。
自分がされて嬉しいことを他人にするようにしている。
自分がしたくないことを、他人にさせるの?
自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけないは、結局、それは自分のためになる。例えば、学校で、職場で、誰かの悪口を言う。その言った時は、すっきりする。悪口を言う場所を間違えると、その悪口のマイナスの空気というかが、その空間に広がる。そのマイナスの空気は人から人へと伝わる。結局、自分もそんな学校に、職場には行きたくなくなる。だから、自分のためでもある。
ただ、むむむむっと思わされるような言葉もある。
・・・自分がされたらいやなことなんてみんな平気でやっているじゃないか。(川上未映子『ヘヴン』p223)
ネット上の炎上もそうだな。されると嫌だけど、言わずにはいられないというのもあるのだろうな。それがネットだから、問題になるんだろうな。
『ヘヴン』を読み終わったあと、この2人は、その後、どうなったのだろうか?続編はないのだろうか?と検索してみるが、続編は当然のようにというか、ない。