北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

部下を育てようとは思っていない。

窓の外が、光ったと思った数秒後に、これまで聞いたことのない大きな、大きな雷の音が聞こえた。どこかに落ちたのだろうか。読んでいた本を閉じて、パソコンを開いた。

 

井野朋也『新宿駅最後の小さなお店ベルク』を読み終わった。あとがきは、たまあにしか読まないのだが、この本が出版される経緯というのが、ベルクに来ていたお客さんで出版社の方がいて、ベルクが立ち退きを迫られているというのを知った出版社の人が、ベルクを本にしてみませんか?と名乗り出たとのことだった。素敵な話だな、と思った。

 

教育といっても、人を育てるのではなく、人が育ったり、ときには化けたりするのを見守るという感じです。ここぞというところで手を差し伸べてあげる必要はありますが。井野朋也『新宿駅最後の小さなお店ベルク』p212

 

部下を育てる、という言葉が嫌いだ。なぜ、嫌いになったかというと、転職した私の会社は若い職員が多いく、転職してすぐの頃は、年下が上司というスタートだったわけで、その上司から育ててると思われているとしたら癪だなと思った。それから、部下を育てるという言葉が嫌いになった。だから、自分も、部下を育てるというのはやめよう。勝手に育つのだから、と言い聞かせ、部下にもそう伝えている。

 

育てるという視点よりも大切にしているのは、わかってくれているという安心感を部下に感じてもらえるかということ。部下が見て欲しいところを見ているというか。私にとっては、それが業務日誌になっている。業務日誌を読んで、業務日誌の内容について話をすることもある。これまで1ヶ月に1回の振り返りとかしていたけれど、1ヶ月に1回の頻度は、きめが細かいと思いきや、業務日誌で毎日、確認するほうがきめが細かい。上司は部下をわかっているようでわかっていない。というか、思い違いをよくする。だから、業務日誌くらい毎日の頻度がちょうど良い。

 

30代前半、初めて組織を任されるようになり、組織運営は、ここまで難しいのか、と思い知った。想像していたよりも、ずっと難しかった。これまでと見える景色が違うと思った。転職したきっかけも、その組織から逃げたかったというのが大きい。

 

その時と今で違うのは、部下をいかに輝かせるかを意識していることだろう。雇われていれば皆、駒であるが、将棋の駒と違うのは、意思のある駒であるということ。どのように輝かせるか。私は、部下のエンパワメントを高めるという言葉を使っている。本来の持っている力をいかに引き出すことができるか。引き出すためにどのような環境を用意すれば良いか。

 

部下の内発的動機づけに火をつけるのが大切だとも思っていて、どのように火をつけるかというと、そこは部下の身近な言葉の中にある。その言葉をヒントに環境を用意する。火がつけば、あとは勝手に良い仕事をするし、モチベーションが落ちない。

 

時々、褒めるには褒めるが、意識して褒めてはいない。部下には褒めないから、褒めるのを求めるな、ただ、やっていることは見るようにがんばると伝えている。