どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

憂鬱な季節

この時期の季節がそうさせるのか、これから年度末に向かってくるからなのか、この時期、仕事を辞めたいという社会人3年未満によく出会う。かくいう私も、社会人1年目のこの時期は、どん底で、これまで生きてきた中でも、一番、辛かったのではないだろうか、というくらい印象深い一年で、そんな経験をしたもんだから、新社会人や、これから社会人になろうとしている学生には、「この本は、新社会人には助けになるから」とプレゼントをしたことがあるけれど、プレゼントしたその人は会社を辞めたし、他にプレゼントした何人かは、辛そうでもなく、無難にというか、割と辛そうでもなく、働いている。

 

で、そんな辛そうな時期に差し掛かるであろう人を見ていると、私は、こう思う。ポジティブは意識的に行うものだということ。そんな私もポジティブではないのだけど。インに、インに入ると、余計に自分が辛くなる。辛くなる自分に酔っちゃうというか。酔ってはもちろんいないんだけど、自分で自分をどん底に落としていっているように感じてならない。自分が辛くなるだけだというのに。

 

この前も大学生にそんな話をしていたんだけど、話ながら、石の上にも3年という言葉を思い出した。私の母は、石の上にも3年派だし、私の母以外にも、そんな意見を聞いたことはある。だから、私も、やっぱり石の上にも3年なのかなあ、とか迷うことはあるんだけど、いや、辞めたかったら辞めればという方が大きい。3年も我慢することないしょって。我慢したその先に何かあると思えば残れば良いけど。

 

私の場合は、そんな決断もできなかった。やめても、やりたいことがない。やめても金がない。だけど、やめたい、という負のループから抜け出せなかった。今、こうして本を読むようになったのも、その1年があったからなんだけど。本に救いを求めていた。ビジネス書や自己啓発本なんかを読んでいると、ちょっと気持ちが楽になって、休みのたびに本を読んで、足掻いていた。

 

30代になり、40代になっても、やっぱり憂鬱な季節はやってきて、悩みも尽きず、いや20代の頃より、時にはきつい時期もあったけど、あの20代のようないつまで経ってもこのトンネルから抜け出せないんじゃないのか、という長いトンネルはない。

 

保坂和志『試行錯誤に漂う』を読み終わった。著書にタイムマシーンの話があって、私も読みながら、タイムマシーンについて考えていた。誰かが、人が想像しうることは、実現すると言った。確かに、私が考えていた自動車が自動運転になれば良いのに、というのも実現が見えてきた。ただ、タイムマシーンはできるのか?と疑問がよぎる。タイムマシーンができたとして、仮に、過去に遡って、親を殺したら、未来の存在の自分はいなくなるのではないか、とか、どこかで聞いたいくつもの同時並行的に、違う世界があるだとかが頭に浮かぶ。私は、死ぬということは、虫でも動物でも人でも同じで、死んだら無になると思う。じゃあ、幽霊は、どう説明する?とかの話になるけど。そんなことを考えていたら、天動説と地動説を思い出して、今、当たり前だと思われている事象にも、実は、違った、というのもあるんだろうな。であるならば、タイムマシーンが未来にできて、未来から来た人が今、いてもおかしくないのかもしれないな、とか考えたりする。