うちの猫は、私の胸の上に乗り、撫でられるのを待っていたり、うとうとしたりする。
そうなると、私は、何もすることができないので、仰向けになりながら、本を読んだり、うとうとしたりする。
先日も、そうして、仰向けになりながら、本を読んでいた。
読んでいた本は、保坂和志さんのハレルヤ。
4篇の短編小説からなる。
帯に、「片目の猫、花ちゃんが、18年と8ヶ月かけておしえてくれたこと」と書かれていて、猫の話なのかなあ、と手に取った。
最近、どうも猫が登場する本が読みたくなる。
4篇のうちの2篇が、この片目の猫、花ちゃんとの物語。
あとがきに、こんなことが書かれていた。
感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書く、この本に集めた小説はすべてそういうシンプルなものです。(中略)歌というのは、歌詞の意味がわからなくたって心が揺さぶられたり、元気が出たり、深く内省的な気分になったりする。言葉を意味の伝達から離れて、響き、強さ弱さ、テンポ、心の中にあるときと同じような曖昧さで使うのは詩だけでなく、小説も本来そうだと思うのです。(「ハレルヤ」保坂和志)
本を読みながら、先日、録画したテレビ番組を思い出した。
偶然にも、保坂さんが猫と一緒に登場していた。
ネコメンタリー。猫も、杓子も。「保坂和志とシロちゃん」
私も、いつか、猫が登場する小説を書きたいと思っている。