どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

手紙

 職場の部下と食事をした次の日に、お礼の手紙をもらったのは初めてのことだった。自宅に帰ってきて、手紙を読み、私は、泣いた。何度も何度も手紙を読んだ。

 半年前、私の所属する部署とは別の部署の募集を見て、採用試験に応募した。しかし、その部署ではすでに採用が決まっており、その旨を人事担当者が伝えると、見学だけでもさせて欲しいと言ったらしい。人事担当者は、希望する部署ではないが、募集している部署があるが、試験を受けるか希望を聞いてくれた。そこが私が担当する部署であった。私は、そのたまたまを大切にする。

 この半年間、前向きに、ひたむきに働いていた姿を見て、会社の代表と食事をする場をセッティングすることにした。初めてのことだった。会社の代表からの話を聞くのを想像したら、喜ぶだろうなと思った。私の想像していた通りだった。想像を超えたのは、会社の代表と私に、食事をした次の日に手紙を書いてくれたこと。

 私は、そんな若者に出会うと、私も真剣に向き合わないと行けないと思う。そこが若者と一緒に働いている私の喜びだったりする。

昼寝

 昼寝をして、起きたら、たつっ、たつっ、と雨が打ちつける音がしていた。

お金や仕事に縁のない人にとって昼寝が最高の贅沢だよねと言っていた友人がいる。こっちが昼寝の後に電話したら、向こうはまだ寝ていて、そんなことでお互い納得してたってことだけど。永井宏『愉快のしるし』p159

 永井宏『愉快のしるし』を読みながら、誰かから聞いた悲しい出来事を思い出した。あの人は、深刻な顔で話していなかったけれど、悲しい出来事に変わりはなく、聞き流してはいけない話だよな、と思った。

 

 

 

シーズン2

 ”アイスコーヒーたっぷりとモーニング(トーストにバターとおぐらあん)を注文した。私の休日は、コメダ珈琲店の開店から始まる。一週間に一度、それは週刊少年ジャンプが発売される頻度で、私が働く職場の仲間にあてたワードの資料を作成し、送る。今年、私が変えたことの一つが、このワードの資料である。パワーポイントで説明することはやめた。可能な限り言語化する。あとで職場の仲間が読み返せるように。その作成した資料にネーミングをつけたいのだが、かれこれ2ヶ月経つのに定まっていない。”

 ”パソコンを開き、メモ帳を開くと、昨日、メモしていた「人間らしい関わりがないと、人間らしくいられない」という言葉が目に飛び込んできた。”

 コメダ珈琲店で、3月末に退職した職員にメッセージを書いていた。ポストカードに2枚。

 数日前、部下の一人から、3月末に退職した職員に手紙を送るので、一緒に送りたい人は金曜日までにください、とスラックにメッセージが来た。

 別れ方に良いも悪いもないのかもしれないけれど、良い別れ方をしたのだと思う。辛くて、嫌になって、辞めたのではないのだと、4月から何度か、その退職した職員から連絡があって、わかった。

 その退職した職員とは三年間、同じ拠点で、私の右腕のような活躍をした。Netflixで例えると、その職員が退職した時点で、シーズン1が終了し、今年度の4月からは、シーズン2の開始。そんな感じなのだが、そのことは、職場の皆には、言っていない。

 ポストカードにメッセージを書き終わり、メモ帳に書き溜めておいたキーワードを見ながら、パソコンのキーボードを打つ。

 「経営における私の考え」というタイトルの資料を今日は作成していた。

 先日、部下の一人から、私の経営の考えを訊きたいと聞かれて、内部研修をすることにしたので、こうして資料を作成している。せっかくだから、作成した資料は、その他の人たちにも読めるようにスラックに送ろうと思っている。

 資料は、いつも以上に長くなり、これは、今日、全てを書き切るのは難しいと手を置いたのが、11時くらいで、もはや仕事をしていると言っても過言ではないと思った。

おもてなし

 館内を案内してくれた仲居さんは、とても緊張しているようで、その緊張が、空気を伝い、私の心まで伝わってきた。仲居さんは、焦れば、焦るほど、言葉がみつからないようだった。館内の案内をしたあとに、自分で自分を責めるのだろうか。

 流暢に館内を案内する仲居さんよりも、印象に残り、大浴場に行く途中で会った時も、親近感と共に、会釈をした。また訪れることができるかわからないが、仮に五年後、十年後、再び訪れることができれば、その仲居さんを私は思い出すだろう。

 食事の前に入った大浴場は、いつしか夢でみた景色のようだった。池と湯船が繋がっているような露天風呂で、高台には滝が流れていた。

 貧乏性の私は、入浴が可能なお風呂に全て入った。朝は、部屋にある檜風呂に入った。貧乏性でも、お湯を出しっぱなしにしたり、テレビをつけっぱなしにするような人にはなりたくないと思った。誰も見ていないところで、どう行動するかで、その人の本質が見える。それを陰徳を積むという言葉で表現されると知るのは、また後日の話。

 チェックアウトギリギリまで、旅館にいた。朝食前と後には、庭にあるハンモックに揺られながら、永井宏『愉快のしるし』を読んだ。永井宏が、合う、と思った。

 

 太陽が輝いて、風が吹いて、雲が少し動き出すと、その下で、大きなあくびをして、背中をちょっと掻く。新しい自然に出会ったような気持ち。永井宏『愉快のしるし』p1

 

 おもてなしという言葉は、旅館から生まれた言葉なのではなかろうか。

 

 

 遠出する時は、仕事を終えた夜に出発するのが良い。というか、待ちきれない。

 妻と二人、北海道の南を目指して出発したのが21時。あいも変わらず、私は助手席でうとうとし、妻が何か言葉を発しているなあと、目覚めたら、窓の外は雪が降っていた。いつしか、母が言った、峠を越えるのであれば、ゴールデンウィークまで冬タイヤを履いていた方が良いという言葉を思い出した。中山峠の道の駅だった。

 夏タイヤのままであれば進むことも、戻ることも危険だった。道の駅があって幸運だった。今日は、ここで泊まろう。車中泊するために購入したマットレスに空気を入れ、寝袋を出し、毛布をかけた。気温は0度を下回ったあたりで、寝袋は冬用ではないが、毛布をかければなんとかしのげる気温だと思った。窓は曇っているが、雪が降り続いている。太陽が出た昼くらいには雪も溶けるだろう。雪が溶けたら帰ろう。

 寒さで目覚めたのが朝の4時。ドアを開けると、雪が靴の底が隠れるほど積もっていた。トイレに行って、二度寝。起きたのが7時だったか、定かではないが、峠越えをする車が何台も走っていた。皆、スタッドレスタイヤを履いているのだろうか。帰ろうと思ったけれど、少しだけ進んでみようと、車を走らせた。道路は濡れているものの、凍ってはいない。夜であれば凍っているか目視できなかったが、明るければ、凍っているか、凍っていないかは目視できる。中山峠を越える頃には青空も見えてきて、私たちは、南を目指しことにした。

 森町の道の駅で車を止め休憩をすることにした。案内板を眺め、あの綺麗な山は、駒ヶ岳という名前だと知った。桜がある公園と隣接している道の駅だったため、散歩することにした。

 桜が満開だった。立派な桜の木が何本もあった。桜守という人がいるのかは知らないが、ここの公園の桜は、何年も、何年も、大切にされてきたのだろうなということは、なぜかわかった。

 

 

赤井川村構造改善センター

 余市川沿いの桜並木を妻と歩いた。余市川沿いの桜並木はソメイヨシノが中心で、北海道は、エゾヤマザクラが中心だから、ソメイヨシノを見られるのが嬉しかった。そんなに多くはない人たちが、河川敷を歩き、桜を眺め、写真におさめた。

 桜並木を散歩したあとは、余市町を歩きながら、昼食が食べられる店を探した。歩いていくと、飲み屋街みたいな場所にたどり着き、想いのほか、スナックが多くて、この町の規模で、このスナックの数は多すぎないか。コロナの影響もあるだろうし、何軒のスナックが営業をしているのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、目的に近い定食屋があった。

 たまあに、どこにでもあるような定食屋に行きたくなる時がある。メニューは定番の焼肉定食や生姜焼き定食、ハンバーグ定食何かがあるような店。メニューを見ると、そんな感じで、私はヒレカツ定食にしようか、海の幸を食べたいとも思っていたから、シャケフライ定食にしようか迷って、シャケフライ定食を注文すると、売り切れてない、と店員のおばさんが言った。

 店内には、地元の人たちだと思われる人たちが多くいた。出てきたヒレカツ定食が、想像以上のボリュームで、出てきた瞬間に、これは食べられないな、と思った。やっぱり食べられなかった。

 昼食を食べ終わり、近くの温泉を携帯で探した。赤井川カルデラ温泉・保養センターが良さそうだったから向かうことにした。

 赤井川村を訪れるのは初めてで、赤井川村という村があることも初めて知った。赤井川カルデラ温泉・保養センターと思われる建物には、赤井川村構造改善センターと書かれていて、なぜ、このネーミングにしたのだろうか、と疑問が湧いた。間違える人が多くいるからなのか、途中には、カルデラ温泉は右折というような看板があったし、入口のガラスにも、赤井川カルデラ温泉と書かれていることから、この建物で間違いないということはわかるようになっている。なぜ正式名称は、赤井川村構造改善センターなのか。構造改善とは何か?もし、ご存知のかたがいらっしゃったら、そのネーミングの理由を教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。

 料金が400円という良心的な価格にもかかわらず、とても気持ちの良い温泉だった。地元の人たちがよく通う温泉なのだろう。温泉から上がり、掲示板には、小学生と思われる字で、カルデラ温泉のここがすてき!というものが貼られていて、いつもならスルーするのだが、なぜか一枚一枚を読んだ。その一枚に、「ふくをぬぐ時とかおふろに入っている時にトイレに行けるようにふくをぬぐところにもトイレがあるのがすてきだと思いました」と書かれていた。私は、心の中で、たいていの温泉は、脱衣所にトイレがあるよ、と呟いた。

 そんなゴールデンウィークの初日。私のゴールデンウィークは、ここ何年も、連休がない。

スズキではなくトヨタだった

 イチローが神戸智辯という草野球チームを作ったり、智弁和歌山に野球を教えに行ったことはテレビか何かで知っていたけれど、実際、どんなことをしているのかを、たまたまYouTubeで観て、私は、再びイチロー熱におかされた。

 YouTubeを一通り見終わった私は、Number1049号の表紙がイチローだったことを思い出し、楽天でNumber1049号を注文した。

 本日、不在連絡票を片手に郵便局に小包を取りに行き、昼食のやきっぺを作ると同時に、封を切った。イチローが出てくると思いきや、イチローではなく、トヨタ社長の豊田章男だった。間違ってる...。落胆と憤りが入り混じる。今日のブログのタイトルは、スズキ(イチロー)ではなくトヨタだったにしようと思った。

 違うNumberが届きました、もう待ちきれないため、本屋に買いに行きます。つきましては、返金の手続きをお願いします、と入力する画面までたどり着いたところで、そのNumberには、ゴムがくくりつけられていることに気づき、ゴムを外すと、下からイチローが顔を出した。豊田章男モータースポーツ再創造」は別冊付録という位置づけだったらしい。

 Number1049号には、イチローが訪問した智弁和歌山國學院久我山、千葉明徳、高松商業全ての高校の記事が載っていて、YouTubeで知ったこと以外のことも書かれていて、読みながら、このことを知った状態で、センバツを観たかったなあ、と思った。

 イチローは、指導した高校それぞれにバットを一本ずつプレゼントしていた。ずっと見ているから、と言いながら。それはYouTubeでの何気ない別れのシーンだったけれど、Number1049号を読むと、イチロー國學院久我山センバツで勝利するたびに、関係者を通して宿舎にメッセージを届けていたことを知って、イチローがずっと見ているからと言った言葉は、本当だったんだなあ、と胸が熱くなった。

 イチローは、今もなお、かっこいい。Number1049号で細川凌平選手が語っていたように、イチローのカッコよさはビジュアルだけじゃなくて、内面から染み出してくる人としてのカッコよさにあると私も思う。そのカッコよさは、本気だから。

 女子高校選抜とイチローが所属する神戸智辯の試合のあとのインタビューで、イチローは、ぼくにとっては草野球といえども野球をやっているんでいい加減には出来ないんですよ、と語っていた。本物のイチローでなければ意味がない。だからイチローさんはガチなのです、とナレーションが入る。

 その試合、イチローは投手で出場するのだが、寒さで足がつってしまう。だけど、イチローは降板しない。僕が退くわけには行かないんですよ。ピッチャーを離れることはゲームから退くことなんですよ、あの日のぼくは、とイチローは語る。確かに、イチローが退くわけには行かない。イチローと試合できることに意味があるから。とはいえ、9回まで一人で投げ切るとは。イチローと試合できて、記念になったねというだけではないものが、否が応でも伝わるだろう。 

 Number1049号で女子高校選抜の神野選手は、「黙々とアップする姿を見た時も思ったんですが、イチローさんは相手が女子だからとか思わず、私たちを一野球人として見てくれて真剣勝負をしてくれました。それが嬉しくて。私は小中学生のころ、男子に混じって野球をしていたんですが、”女の子なのにすごいね”と言われることが多くて、”男子と対等に見てほしい、実力で見返したい”と思っていました。そんな思いがあるので、相手がだれでも区別せずに真剣に向き合ってくれるイチローさんと出会えたことが、ものすごく嬉しかったんです」と書かれていた。女子野球は通常7回制で行われるが、イチロー側から9回でと打診があったそうで、イチローは女子23人全員と対戦するには7回だと短いと思ったからだと書いてあった。胸が熱くなって、涙がこぼれ落ちそうになった。

 私にも、若い職員に本気を見せることはできる。