どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

2021年特におすすめしたい本

 鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満はどのように中日を変えたのか』も残すところエピローグのみとなった。このまま読了したいところだけど、日付が変わろうとしていることもあり、こうして、ブログを書くことにした。読み終わろうとしている、今、思うのは、落合すげえということと、もう一度、どこかのチームで監督をしてくれないかなあということ。

 

「なんで、みんな若い奴を使え、使えって言うんだろうな?与えられた選手ってのは弱いんだよ。何かにぶつかれば、すぐに潰れる。ボジションってのは自分でつかみとるもんだ」鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満はどのように中日を変えたのか』p260

与えられた選手ってのは弱いんだよ。そうだよなあ。もう少し、考えて、自分の仕事にも活かそうと思った言葉。

 

「・・・今のあいつらにそれを言ったところで理解できないんだ。物事には言えばわかる段階と、言ってもわからない段階があるんだよ」鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満はどのように中日を変えたのか』p328

この前、社会人1〜2年目に研修をして欲しいと言われ、話をしたんだけど、その時に、落合が言った物事には言えばわかる段階と、言ってもわからない段階があるということを思った。私は、今わからなくても、何年か後に、ふと思い出してくれれば良いなと思いながら話す。そういう話ができる大人になりたいとも思う。

 

「俺は、たまにとんでもなく大きな仕事をする選手より、こっちが想定した範囲のことを毎日できる選手を使う。それがレギュラーってもんだろう」鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満はどのように中日を変えたのか』p438

この言葉のようなことを私も部下に言ってるなあ、と思った。100点の日もあれば、10点の日もあるような働き方だと困る。それなら、100点はなくても良いけど、毎回70点付近を出して欲しいというような。何か調子悪いなあ、という日ももちろんあると思うんだけど、調子悪いなりのベストを尽くすのが、プロとして必要だろう、と。

 

twitter本の雑誌が選ぶ2021年度ベストテンの輝く第一位に、鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満はどのように中日を変えたのか』が選ばれていて、野球の読み物が、第一位って、すごいと思ったけど、私も、2021年読んだ本で特におすすめしたい本の一冊としてノミネートされた。

 

で、私は、毎年のように今年読んだ本の数々から、特におすすめしたい本をこのブログに書いて、今年も紹介したいと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

プルーストを読む生活

プルーストを読む生活

Amazon

 

 

 

嫌われた監督

 鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』が、猛烈におもしろくて、気づけば、もう半分を読んだ。タイトルのとおり、落合が監督をしていた頃、どのように中日を強くしていったかという内容なわけだけど、ここまで読ませるのは、選手だったり、コーチだったり、記者たちとの関係性から、落合博満という人物が浮かび上がるところにあるのではないだろうか。

 本著の前半部分で、私が特に印象深い物語は、森野将彦の章である。森野が良いバッターだったという朧げな記憶はあるのだが、森野が立浪から三塁手のレギュラーを奪ったことも、その経緯も、本著を読んで初めて知った。森野の物語ではあるけれど、立浪がどれほど中日にとって、大きな存在かも知った。来季、立浪が監督をするのも頷ける。今日、たまたまtwitterで、来季の中日の打撃コーチが森野だと知った。立浪が監督で、コーチが森野。本著を読んだあとに知ると、感慨深い。来季の中日が楽しみになった。

 その日の夜は、職場の同僚と食事に行った。同僚が選んでくれた韓国料理店の女将さんが韓国人とのことだった。本格的な韓国料理を食べるのは、初めてのことで、普段は、お酒を飲まないのだが、マッコリを注文したくなって、注文した。飲めるかもと思ったが、結局、なめる程度しか飲めず、烏龍茶を注文した。何といっても、サムギョプサルがうまかった。豚肉を焼く台があって、焼く台が傾いていたので、傾いていますと女将さんに伝えると、わざとそうなっているということで、北海道の家庭にはジンギスカン鍋があるように、韓国の家庭には、サムギョプサル用の焼き台があるのがスタンダードなのだろうかと思った。どうなんだろう。女将さんは、サムギョプサル美味しいよ、と私たちに言った。気持ちの良い言葉だった。女将さんに、おいしいと私たちは何度も伝えた。店に入って、目にしたインスタントラーメンを買って帰ることにした。ビビン麺というもので、テレビで紹介されているのをみて、ビビン麺を食べたいと思っていたところだった。女将さんに値段を訊くと、1000円だと言った。高い、とついつい口をついてしまい、女将さんは、悲しそうで申し訳なさそうな顔をしたのを見て、私は、やってしまったと、謝った。女将さんは、900円で良いと言った。運賃もあるから高くなってしまうのだと、つけ加えた。それにしても、良い店だった。

 こうして、中日と韓国のことを書いていると、そういえば、昔、中日に韓国人のショートがいたなあ、名前なんだっけなあと思って、ネット調べてみると、李鍾範だった。そういえば、ソン・ドンヨルもいたし、サムソン・リーも韓国人だったのか。懐かしい。

 

 

日記

 雪かきしては、柿内正午『町でいちばんの素人』を読み、雪かきしては、『町でいちばんの素人』を読んだ。日記は、どうしてこうも、おもしろいのだろうか。人の私生活を垣間見たいわけではない。『街でいちばんの素人』でいえば、読書日記でもあり、読みたい本と出会うところが魅力の一つではある。読書と関係ない日記で、おもしろかった日記ってあっただろうか。滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』を思い出した。ああでもない、こうでもないと生活している人の思考を読むのがおもしろいような気がしてきた。逆に、私生活を赤裸々に語る日記というか、暴露本というかは、苦手なことが多い。全部が全部と言うわけではないのだけど。まだ読んでいないおもしろい日記を読みたいのだけど、何せ、日記というジャンルは、なかなか話題になることも少なく、読みたいと思う日記に出会うことができない。というか、教えて欲しい。

 夜になっても雪は降り続け、アパートの前の道路では、トラックがスリップして立ち往生してしまうほど、道が悪くなっていた。ここのところ無性に読みたくなっていた鈴木忠平『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を買いに行った。町の至る所が、渋滞していた。

 

 

 

熱狂

 アパートの玄関ドアが開きづらいほどに、雪が積もっていた。ゴミ袋を抱えて外に出ると、長靴を超えて雪がズボンにまとわりついた。雪はいつから降り続いているのか、今もなお、深々と降り続けている。

 休みだし、雪はねは後にしようと、佐渡島康平『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.』の続きを読んだ。一言で言えば、コミュニティに関する本だ。人と人のつながりに興味があるし、会社というコミュニティを思い起こしながら読んだ。

 教育の呪いを解くのは、頭で理解するよりもずっと難しい。細部にまで習慣として入り込んでしまっている。佐渡島康平『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.』p38

 学生までの勉強と社会人になってからの勉強は、頭の使い方が違うのではないかと思う。社会人になってからの勉強とは、勉強ではなく、学びが必要である。学びとは、自分で課題やテーマを見つけ、掘り下げていくということ。学生の頃までの暗記は、社会人においては必要がない。知りたい情報へのアクセスが必要であるから。

 熱狂→拡大→熱狂を繰り返すと、どこかで破綻する。そうではなくて、安全・安心の確保→熱狂→拡大→安全・安心の確保を繰り返すのが重要だ。大事なのが、内容よりも順番だと気づいたとき、コミュニティマネージャーの仕事は、かぎりなく編集の仕事に似ていて、編集者ができることだと思った。編集とはどんな仕事か?究極的にシンプルにいうと「集めて・削って・並べ替えて・補足する」、この4つの作業を延々と繰り返して、情報を伝えやすくする行為だ。コミュニティに対しても、この4つを繰り返すことが重要だ。佐渡島康平『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.』p165-166

 安心・安全というキーワードが登場したときに、以前、読んだ岡壇『生き心地の良い町』を思い出した。自殺率が低い町の研究が、本になったもので、安心・安全がキーワードになっていたよなあ、と以前に書いたブログを読み直した。読み直して、自殺予防因子と考えられるのは五つあり、①いろんな人がいてもよい。いろんな人がいたほうが良い、②人物本位主義を貫く、③どうせ人なんて、と考えない、④「病」は市に出せ、⑤ゆるやかにつながるだった。人物本位主義って何だったんだろう?と、人物本意主義と検索してみると、学歴、容姿、財産、血筋などは問わないこととあり、そう考えると、人を見る時って、学歴も、容姿は、その人を見る上で無意識に見ているよなあ、と思った。私は、町だとか、ファンコミュニティとかよりも、会社の一つの部署で考えるのがわかりやすいので、そうしているのだが、①のいろんな人がいても良い。いろんな人がいたほうが良い、という考えは、普段から所属部署で、私が話していることであり、もしかしたら、この本を読んでから、発信する言葉になったような気もしないでもないなあ、と思っている。

 自己紹介とは、ある意味、自分の物語を相手に聞かせることだ。自分のことなど、相手が興味を持たないはずというのは、一見謙虚なようで、実はコミュニティにおいては自分勝手な行動だ。自分がどんな人間かを紹介するのは、自己アピールではなく、その場にいるメンバーの安心のためだからだ。・・・略。コルクラボのメンバーに面白い自己紹介の仕方を教えてもらった。Doの肩書ではなく、Beの肩書で自己紹介をするのだ。就職活動のときの履歴書は、何をできるのか、Doを書く。そうではなく、何が好きなのか?何をしたいのか?を語る。・・・略。他の人が自分を理解できるように、自分の物語を繰り返し語る。それは、安全・安心を生み出すきっかけを作り、コミュニティに貢献する行為だ。それだけでなく、自分で自分を深く知ることは、自分をモチベートする唯一の手段でもある。佐渡島康平『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.』p198-200

 価値観レベルの会話が大事というのを、ピョートル・フェリクス・グチパチ『世界最高のチーム グーグル流「最小の人数」で「最大の成果」を生み出す方法』を知り、今年度が始まって、すぐに所属部署で導入した。なぜ、就職したか?どんな人でありたいか?など。来年度は、Beの自己紹介ができる場を考えよう。人事異動があればだが。いや、現メンバーでももっと知る必要があるか。こう振り返っていくと、やはり、今年度、どうでも良い会話というか、たわいもない会話が不足していたということに気づく。コロナのせいではあるけれど、どうでも良い会話やたわいもない会話が大切だと思っていたならば、何か、方策を考えられたはずだ。

 ・・・「とにかくうごけ。動かないやつは来るな」というメッセージから「本業が忙しい人は無理のない範囲で活動すればいいよ」というメッセージに変えたりした、すると、かえってメンバーが自走して、「これやってもいいですか?」と提案がどんどん挙がってくるようになった。佐渡島康平『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.』p232

 安心・安全を確保するとコミュニティは自走するという例で書かれたところで、部下に自立して欲しいと思っているなら、まずは安心・安全を確保することということかもしれないと思ったり、安心・安全が大切だということはわかっていて、意識していたけれど、具体的にどのようにすれば良いかという自分の手札が少ないような気もした。

 熱狂とは「成長することか、成長を見守ること」で生じます。佐渡島康平『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.』p230

 私たちの部署は、ここ数年で、一気に成長をした。そして、今、緩やかになった感がある。これは本書でもあるこれは静かなる熱狂になるのか、はたまた部下たちは熱狂から覚めた状態になるのか。安心・安全はずっと大切にしてきたけれど、今後、熱狂についても考えていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

新宝島

 ポストに手を入れると、不在連絡票が3枚入っていた。遅めの出勤日だったので、早めに郵便局に荷物を取りに行った。一つは、実家から届いたもので、みかんや蕎麦などの食べ物が入っていて、あとの二つは、どちらもネットで購入したジャケットだった。私は、早速、先日、購入したハイネックを合わせる。今年は、ジャケットとハイネックの組み合わせを多用しようと思っているのだが、この前、ふと、このスタイルは、いつしかYouTubeで観たサカナクション新宝島』のセンターの人の影響だと気がついた。

 三連休の影響なのか、体が本調子ではなく、失速したかのように集中力も途切れ、早々と退社。夕飯や入浴を済ませ、布団の上で、柿内正午『町でいちばんの素人』の続きを読んだ。

プロとして

 ひさしぶりの三連休だったためか、調子がいまいちだなあと思いながら、メールやLINEやSlackなんかを確認していった。その一つに、今日、食事どうですか?というメッセージがあり、通常、急な申し出は断るのだが、そもそも、私が、忘年会しようと言ったということもあり、空いている日にちも限られていることから、今日、行こうかなと思った。あとで返信しようと、LINEはそのままにし、部下の業務日誌に手を伸ばした。業務日誌には、こう書かれていた。

 ”これまでプロとして弱音を自制していましたが、昨日の会議に出席して、気持ちが楽になりました。”

 気持ちが楽になったという文章を読んで、臨時で会議をして良かったと思った。確かに、私は、前向きさを大切にしろだとか、自分の発する言葉に意識的になれというようなメッセージを発信しているので、弱さを出しづらかったのかもしれない。それでは心理的安全性は担保されていないことになり、私の意に反することになる。上司の役割として環境を整えることは大切にしていたけれど、今回の件で、部下の心を整えることも大切なことだと肝に銘じておく。それと、今後、プロとしてという言葉を機会があれば使いたい。ザ・ファブルの佐藤がよく使っていた言葉。

 その日は、ここ数週間、見当たらなかった水筒とカーディガンが立て続けに見つかった日でもあった。今日、水筒が見つからなければ、新しい水筒を買おうと思っていた矢先のことで、カーディガンは、今回が初めてではなく、少し暑いなという時は、よく脱ぐので、よく無くすという側面があり、そういえば、会社の後輩の家に遊びに行った時もカーディガンを忘れて帰ってきてしまい、後日、後輩に連絡したら、無くしてしまったと言われたことがあり、無くしたのではなく、売ったんだと思う。と、忘年会という名の食事会の席で、後輩と笑った。

 その後輩とは、よく組織運営についてやONE PIECEの考察について語り合うのだけど、その日も、そんな話になり、後輩の話を訊きながら、そういえば、最近、やりたいボードゲームがあるんだよね、と私は思い出し、なんていうボードゲームだっけなあっと携帯で調べ、そうそう「どっちぼーい」っていうんだよ。やりたいけど、一緒にやる人がいなくてできないんだよおと、書きながら、なぜ、ボードゲームの話になったのか覚えていないので、今度、会ったときに聞いてみよう。

 

 

 

カツスパゲティ

 コンビニで豚まんとアイスコーヒーを買って食べ、美容室に向かった。向かう道中に、紙の本を出したいよなあ、と、ふと思って、出すのならブログを書いて20年という節目の年が良いのではないかとか、表紙は誰に頼もうかだとか、内容について考えていた。

 美容室のあとは、札幌のギャラリーCAI03で開催されているグループ展「アパートー5人の住人たちー」を観に向かった。CAI03へ向かっている途中で、やっぱりお腹が空いたなあ、と思って、携帯でCAI03近くの喫茶店を探して入り、カウンターに座った。メニューにカツスパゲティがあって、おっ、と思って注文した。カツスパゲティを置いている喫茶店はなかなかない。普通のミートスパゲティが450円という安さにもびっくりした。私の後に注文したお客さんが、中盛で、と言っているのを聞いて、中盛ってあるんだと思って、メニューを見ると、中盛50円、大盛100円となっていたので、店主に中盛で、と伝えた。店内に置いてあるヤングジャンプでキングダムを読み、ファブルThe second contact第1巻を読んだ。この漫画を買ってるのって、店主なのだろうか。ファブルを読んでいそうにない、いでたち。髪の毛は白髪で、うっすらと髪の毛は少なく、どこか背中が前かがみで、笑顔はない。そうこうしていたら、私の元にカツスパゲティが届き、その量の多さに、まずは驚き、大盛にしなくて良かったと安堵した。そして一口。目がかっと開く。このカツスパゲティ、もしかしたら、これまで食べたカツスパゲティで、一番美味しいかもしれない。たまたま入った喫茶店で、こんなおいしいカツスパゲティに出会えるなんて...。この辺には、来ることはないけれど、また、このカツスパゲティを食べたくなった時のために、帰ったら、ブログに書き、CAI03の近くだったということを思い出せるようにしておこう。お客さんが次から次に入ってきて、店内はほぼ満席だった。店内の時計を確かめると15時で、この時間なのに、こんなに人が来るんだ、と思いながら、カツスパゲティをたいらげた。

 駐車場に車を止め、CAI03へ。初めてで、どこから入っていいのかもわからず、うろうろしていたら、スタッフと思しき人がドアを開けてくれた。こうしてギャラリーを訪れるのは、2年ぶりだった。葛西由香さんの作品が目的だった。新しい作品もあって、この作品良いなあ、と思う作品の壁には赤い丸いシールが貼られていた。売れたのだろう。