北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

人から本を借りるのは何十年ぶりだろう。

なんとはなしにつけたテレビで、世界各国のケンタッキーの違いを比べたり、年末年始の過ごし方の違いを比べていた。テレビを見ながら、外国に行きたいなあ、と思った。どこに国に行きたいとかはない。

 

鞄の中から一冊の本を取り出す。今日、仕事に行ったら、私の机の上に一冊の本が置いてあった。

 

奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民』。

 

数日前、昼休みに職場の人から声をかけられた。「本読むの好きですか?読んで欲しい本があるので、今度、持ってきます」と言って、今日に至る。職場で本の話をしているところを聞いていたのかなあ、と思いながら、そこまで言うのなら借りてみようかな。借りるというか、おもしろかったら買って、借りた本はすぐ返そうと思ったが、そこは、感想をメモ書きにして、返したほうが喜ぶのだろうかとか考えてる。人から本を借りるのなんて、何年ぶりだろう。人と本の話はするが、人から本は借りない。汚したら困るし。私は、人に本を貸さない。汚されたら嫌だし、返ってこない可能性もあるから。

 

本には、メモ書きが入っていた。

 

言っていた本です。ほかに渡辺一史さんの「こんな夜更にバナナかよ」と「なぜ人と人は支え合うのか」もおすすめです。未読ならぜひお読みください。と書かれていた。

 

なぜ人と人は支え合うのかを読みたいと思っていたっけ、と思い出した。

 

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

  • 作者:奥野 克巳
  • 発売日: 2018/05/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

暇と退屈の倫理学

車を買うため、ディーラーに向かうことにした。携帯電話の地図で住所を調べようとした時、営業時間外と知る。私の次の休みも営業していない。ますます、ディーラーに行くのがめんどくさくなる。

 

夜は、國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を開く。

 

ある社会的な不正をただそうと人が立ち上がるのは、その社会をよりよいものに、より豊かなものにするためだ。ならば、社会が実際にそうなったのなら、人は喜ばねばならないはずだ。なのに、ラッセルによればそうではないのだ。人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になるというのだ。國分功一郎『暇と退屈の倫理学』p15

 

子どもの頃、祖母に、「昔と今はどっちが良い?」と訊いたことがある。祖母は、「今かねえ」と応えた。嬉しかった気がする。その頃、世の中は、どんどん良い方向に向かうものだと思っていた。トライアンドエラー。失敗は成功のもと。子どもから大人となった今、どうも、世界は、良い方向ばかりに向いているとは限らないことはわかった。長い目で見ると、やっぱり、世界は、良い方向に向かっている気もする。コロナの影響で祖母がいる老人ホームには行けない。祖母の自宅でゆっくりとできるようになるのはいつのことなのだろうか。

 

なぜ暇は搾取されるのだろうか?それは人が退屈することを嫌うからである。人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのかわからない。このままでは暇のなかで退屈してしまう。だから、与えられた楽しみ、準備・用意された快楽に身を委ね、安心を得る。では、どうすればよいのだろうか?なぜ人は暇のなかで退屈してしまうのだろうか?そもそも退屈とは何か?國分功一郎『暇と退屈の倫理学』p23

 

昔、早期退職した伯父に、「働いていた頃と今はどっちが良い?」と訊いた。当然、今の方が良いと思った。仕事もせずに、自由にやりたいことをやっている今の方が良いだろう、と思った。伯父は迷って「どっちも、どっちだなあ」と応えた。どちらにも良い面と悪い面があるということか。以外だった。

 

休みは何日あっても良いと思う。それは仕事をしているから、そう思うのだろうか。仕事を辞めれば、暇を持て余すのだろうか。

 

話はそれるが、伯父と叔父は、父方か母方の違いだとばかり思っていた。今、ネットで調べたら、父方、母方は関係なく、父の兄だと伯父で弟だと叔父。母の兄だと伯父で、弟だと叔父。なぜに、そんな区別が必要だったのだろう。分けて便利だったから、分けたのだろうか。ネットで調べると、儒教による影響らしい。兄弟間の上下関係をはっきりさせるためとのこと。なるほど。

 

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

  • 作者:國分 功一郎
  • 発売日: 2011/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

心理的安全性と緊張感は共存することが可能か?

部下への伝え方を間違ったなあ、と鬱々としていたら、心理的安全性と緊張感は共存するのか、と最近、気になっていることが、頭をよぎり、ネットで心理的安全性、緊張感と入れる。心理的安全性は、ぬるま湯の環境ではない、と書いてあった。どうも私がイメージしている心理的安全性は違うのかもしれない。どちらかというと心地よい環境。お風呂であればぬるま湯のイメージではないだろうかと思いながら、心理的安全性について書かれた本はないのだろうか、と調べると、ピョートル・フェリクス・グジパチ『世界最高のチーム グーグル流「最小の人数」で「最大の成果」を生み出す方法』が良さそうだったので、電子書籍版で購入して、早速、読む。

 

私のイメージする心理的安全性は家族のような環境ではないかと思っていた。だが、この本では家族というよりスポーツチームに近い、という。それなら、わかる。というか、これまでもそう思っていた。私の今の役割はサイドバック。基本、守りだが、時々、攻める。この本では日本のプレイングマネージャーは良くないと言う。そこは、どうなんだろう。がっつりプレイングマネージャーは良くないけど、管理職が、ある程度、現場に入っていることが、部下の心理的安全性につながるのではないだろうか。

 

心理的安全性を高める仕組みがいくつか掲載されていた。週1回1時間マネージャーとメンバーが個人面談するという仕組み。私も同じようなことはしている。面談ではないけど、業務日誌を通じて、交換日記かのように。以前は、数ヶ月に1回の振り返りをしていたけれど、業務日誌での振り返りに切り替えて、断然、リアルタイムだし、有効的だな、と思っている。1時間面談しているわけではないけど、気になるコメントだったりが書かれていると、質問という形で、会話を交わす。

 

ピョートル・フェリクス・グジパチ『世界最高のチーム グーグル流「最小の人数」で「最大の成果」を生み出す方法』でも書いてあったけど、日本の文化である飲み会は良いと書いてあった。私は職場の飲み会はめんどくさくて、否定的だったんだけど、心理的安全性が担保されている職場だと、飲み会はそれほどめんどくさくなくなるのではないだろうか。どうだろう。今は、飲み会というか、食事をする機会は大事だと思っている。

 

なぜ、大事かというと、雑談が大事だと思うから。どうでも良い会話がどうでも良くない。雑談が、相談しやすい空気を生む。相談しやすい空気は、心理的安全性が担保された職場になるのではないだろうか。価値観ベースの会話が大事で、肯定的関心を寄せるのが大事と、本には書かれていて、おっ、昨年、訊いたキーワードである肯定的関心がここでも出てきたと思った。

 

これまで会議は無駄だと思っていたが、来年度、定期的に会議を開いたほうが良いのではないかと思うようになってきていて、会議をする上でのルールを設定するのが良いのではないか、と思っている。心理的安全性を高めるための工夫という意味で。

 

 

車選び

景色が氷ついていた。外気温を確認すると、マイナス20度。1時間遅れだ、と思った。今日は、休日だから、学校は休みか。私が通っていた小学校は、マイナス20度になると、1時間遅れで学校が始まり、マイナス30度になると、2時間遅れで学校が始まった。そもそもマイナス30度になったことはあったのだろうか。一度だけあった気もする。今になって、このルールは、ローカルなルールだったのだろうか、と気になった。

 

すれ違う車を見ながら、どんな車にしようか迷う。迷うというか、これと言って欲しい車がない。これと言って欲しい車がないのに、新しい車を買おうと思っているのはどうなのだろうか。ただ、買わなければならない状況になった。

 

そういえば、前の車も、急な別れだった。車検で30万くらいかかると言われ、それなら、買います、となった。前の前も、急な別れだった。高速道路を走っていたら、黒い煙を吹き出して、そのまま廃車になった。

 

車にこだわりがないので、どんな車でも良いと思っていたが、やはりどんな車でも良いというわけではなく、税金の関係から、軽自動車しばり。現在、販売されている軽自動車を眺めたが、これといって欲しいという車がなかった。私が、良いな、という車は、販売終了している古い車。ただ、燃費も悪く、故障をなおして乗るみたいなのはめんどくさい。だから、新車で買おうと思っている。

 

私は、ある程度、高い買い物になると、欲しいものが見つかるまで買わない。自宅のカーペットを買おうと思って2年が経つのに、まだ買っていない。途中から、選ぶことすらめんどくさくなる。

昔、読んでいたブログをブックマークから消していない。

昔、読んでいたブログをブックマークから消していない。

 

20代の頃、毎日のように更新されるのを楽しみにしていた。

 

その人のブログには、時々、好きな映画や本のことが書かれていて、かなりの確率で同じ映画を観て、同じ本を読んだ。

 

その一冊が、豊田道倫『たった一行だけの詩を、あのひとにもめられたい』で、どんな紹介のされかたをしていたんだっけと、久しぶりに、昔、読んでいたブログを開いて探したけれど、見つけることができなかった。

 

なぜか、この本は、ずっと覚えていて、いつか読んでみたいと思っていた。

 

読みながら、前野健太『百年後』を思い出した。前野健太も、シンガー・ソングライターで、スタイルが似ていると書く文も同じテイストになるのだろうか、と思った。

 

怪しげというか、陰があるというか、そんな感じで、私は、好きだった。

 

表現をやると何か意識してしまうのかつまらなくなる。評価されたいと思うと、面白くなくなる。豊田道倫『たった一行だけの詩を、あのひとにもめられたい』p105

 

 

流れ

流れを意識する。

 

流れを滞らせるのは怒り。怒っていたわけではないが、ついつい熱くなってしまった。せっかく、1日、まあまあの流れだったのに。1日の終盤の会議で、流れが悪くなり、流れが悪くなったというか、会議のあと、ひとり、反省した。なぜ、あんなことで熱くなってしまったのか。聞き流せば良かったのに。

 

風呂に入る前も、流れが頭を過ぎる。ここ数年、仕事における流れは良かった。この流れの良さは、社会人になって初というくらいの流れの良さだった。良い時に、なぜ、良かったのかを振り返ることも、今後、社会人生活を送るうえで何らかのヒントになるのではなかろうか。

 

シャワーを浴びながら、はたまた、滞っている仕事を思い出し、ああ、滞っている仕事が、流れを悪くしているな、と思った。コロナ禍で余裕のあるうちに、流れをよくしておかないとと思う。

 

坂口恭平『お金の学校』を再読しようと思ったが、違う本も読みたいとも思う。坂口恭平『お金の学校』はまたいつか再読しよう。再読した時に、新たな発見をするような気もするし。

 

お金の学校

お金の学校

  • 作者:坂口恭平
  • 発売日: 2021/02/22
  • メディア: 単行本
 

 

お金の学校

たまたまnoteで、坂口恭平の『お金の学校』という文章を読んだ。

 

とても、長い。とても、長いのに、なぜか、すらすら読める。なんであろう。パソコンの長文だと、読みづらくて、途中で読むのを止めることもしばしばなのに。坂口恭平の『お金の学校』は、次を読みたくなる。

 

でも、できれば、パソコンではなく、本で読みたいと思っていたら、『お金の学校』が本になるというので、買った。

 

私が買ったのは自費出版版で、5000部限定のもの。

 

普及版として晶文社からも出版される。2月に。

 

『お金の学校』で言っていることは、ひとつ。

 

心地の良いこと、やりたいことをやりなさい。そうすれば流れる。

 

この流れるという言葉がキーワードのように、よく使われる。

 

野球でいうところの流れにも近い気がする。 

 

坂口恭平曰く、流れは、心地よいこと、やりたいことをやっている時に流れる。

 

たぶん、坂口恭平だけではなくて、いろんな人が、やりたいことをやりなさい、と言ってきた。

 

 

noteは、課金設定もできるのに、『お金の学校』は無料で読める。

 

坂口恭平曰く、課金をすると、流れないと言う。

 

よくはわからないけど、この考えは、何か大切なことを伝えているのではないかと思って、私も課金する際には、慎重になろうと思った。

 

というか、私が課金しても、誰も読まない。

 

note.com

 

 

お金の学校

お金の学校

  • 作者:坂口恭平
  • 発売日: 2021/02/22
  • メディア: 単行本