どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

私が住んでいたアパートには、今、どんな人が住んでいるのだろう。

川の名前は忘れた。その川は、アパートの近くに流れていて、私は河川敷に座って、コンビニ弁当を食べながら、悩んでいた。20代の頃である。アパートの室内で悩んでいると、鬱々と、堂々巡りを繰り返すので、外で考え事するほうが、まだ、ましかな、と始めた。

 

金も仕事も所属も、実績も経験も、未来も何もないまま、ゆっくりと淀川の河川敷を西日に向かって走っていた。岸政彦・柴崎友香『大阪』p51

 

岸政彦・柴崎友香『大阪』を読みながら、その頃を思い出した。川と言えば、名前を忘れたその川だった。

 

その街を出て何年になるのだろう。12,3年といったところか。あのアパートは、まだあるのだろうか。誰か住んでいるのだろうか。何人の人が入れ替わっているのだろうか。

 

そういえば、大学の頃に住んでいたアパートに10数年振りに行ったことがあって、私が住んだ頃は、割と新しかったんだけど、10数年振りに訪れたアパートは、ぼろぼろというか、こんなみすぼらしい感じになるんだと思った。あれから、私は、何度となく、引越しを繰り返しているけれど、私が住んだ部屋に誰かが住んでいると思うと、何か不思議な感じで、どちらかというと、あまり見たくない気持ちになる。

 

 

社会全体が自由である、ということは、おそらくほとんどないのではないか、と思っている。たぶん、誰かが自由にしている傍で、誰かが辛い思いをしてその自由を支えているのだろう。そういうことをすべて理解したいと思う。岸政彦・柴崎友香『大阪』p61

 

この本を読んでいると、故郷を思い出す。この前も、久しぶりに、北の国から'95秘密を観たくなっていたところだった。なぜ、'95秘密なのかというと、内容が一番、好きだからというのもあるのだが、私が高校生だった頃、ちょうど撮影をしていたというのも大きいのかもしれない。高校の近くに、りょーゆーというスーパーがあって、そこでも撮影していた。宮沢りえを、初めて観た時は、これが芸能人かと、ほれぼれしたというか、私の周りには、こんなスタイルの人は見たことがなかった。宮沢りえの役が良いのだけれど、『大阪』に登場する岸さんが書く人物も、訳ありで、どこか物悲しい物語がありそうで、私は、そんな人物に惹かれる。

 

友人たち、特に女子は、家族からも学校の人たちからも受け入れられる子どもでなければならないという抑圧がとても強かったのだと、20年を経てようやく痛切にわかってきた。わたしは、うまくやっていけないつらさを抱えていたが、わたしから見て「うまくやっていけてる」ように見えた同級生たちは、「うまくやっていかなければならない」つらさの中で生きていたのだと、今さら思う。岸政彦・柴崎友香『大阪』p140

 

私は、18歳で生まれ育った北海道を出て、転々とした。実家が嫌いとか、地元の友達が嫌いというわけではないけれど、地元に戻りたいと思わない。どこを終の住処にするかは決めかねているけれど、地元には戻りたくないというのだけはわかっている。