新潟市古町にGALLERY N7という場所があった。
私がGALLERY N7と出会ったのが2007年のことで、今から13年前のこと。
GALLERY N7では、定期的にというか、不定期に、作品展やイベントが行われていて、絵を描いている人や音楽をしている人、キャンドルを作っている人や写真を撮っている人、表現手段は様々だけど、表現をしている人や表現を見るのが好きな人が集まっていた。
現在の私があるのも、そのGALLERY N7やGALLERY N7で出会った人のおかげだ。
私は、鹿子裕文『ブードゥラウンジ』を読みながら、GALLERY N7を思い出していた。
GALLERY N7は、2010年に閉店した。
閉店すると知って、GALLERY N7の物語を書かずにはいられない気持ちになって、長い手紙を書くように小説を書いた。
鹿子さんの本を読むと、あの時の自分と重なるところがあって、ブードゥーラウンジやブードゥラウンジで出会った人たちへの感謝と敬意が、びしびしと伝わってきて、ここまで本から著者の感情が伝わってくるのも、珍しいことだなと思った。本当、良い本だった。
どんなジャンルの音楽でも本気でやり続けよる人の音楽はすごいし、たとえ世間的には無名でも、そういう人の音楽には必ず人が集まってくるんです。だってその本気には、間違ったことがひとつもないから。鹿子裕文『ブードゥーラウンジ』p84
本気というキーワードが、私のアンテナにひっかかった。
緩と急。静と動。光と影。その振り幅の中に多様性というものが存在し、世界の豊かさも隠れている。鹿子裕文『ブードゥーラウンジ』p139
人の魅力は、振り幅にある。世界の魅力も、振り幅が大事なんだなと思った。
目標と目的は違うと思った。いったい何のために音楽やっとるか。確かにメジャーでデビューすることは目標やったけど、それが目的になってしまったら、その一番大事なところがおかしくなるんすよ。鹿子裕文『ブードゥーラウンジ』p199
ボギーさんの言葉は、的を得ていて、奥行きがある。そんな言葉の数々が、この本に散りばめられていて、兄のボギーさんと弟のオクムラユウスケさんが魅力的に書かれていて、2人の物語として読んでもおもしろい。ネットで、ブログや、ツイッターや、YouTubeで2人の活動を追って、1日が終わった。
ミチさんにどれだけの数のバンドが支えられ、また救われているかは、おそらく数値化できない。鹿子裕文『ブードゥーラウンジ』p216
ブードゥーラウンジに観客として訪れているミチさんのことが綴られている言葉を読みながら、大事なことって数値化できないし、見えにくいものなのかもしれないな、と思った。
携帯ゲームを一回も開くことなく、『ブードゥーラウンジ』を夢中になって読んだ。
2020年、おすすめにしたい本の1冊にノミネートされた。