北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

仕事における美意識

かっこお、とどこからか鳥の鳴き声が聞こえ、草が風に揺られているのを見ながら、気持ちが良いな、と思う。

 

見て欲しいところを見ることが大切だよな、と思う。部下との関係において。部下が何をがんばり、何が大変で、何を大切にしているのかに注視し、何らかの言葉でわかってくれているという安心感を与える。

 

読書をしてきたことや、これまで経験してきたことが、仕事に活きている実感というか、実を結んできたな、と感じる。仕事に有益だから読書をしているわけではないのに。

 

読書や、映画や、演劇や、芸術鑑賞などが、魅力的な仕事に繋がるのではないか、と思っていたけれど、うまく言語化できなくて、山口周『世界のエリートはなぜ、「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」』を読んでいる。

 

論理的で科学的な根拠に基づく仕事の仕方は、私が社会人になって20年間くらいの間、よく聞いてきたし、疑う余地がなかったのだけれど、この本を読みながら、論理的で科学的な根拠に基づく仕事に偏重すると、時に不正につながることがあり、周りもコピー可能なもので、魅力的なものを生まない。だから、美意識だったり、直感で仕事をすることも大事なのではないか、と問う。

 

美意識は、ビジョン。ありたい姿。あるべき姿。自分の生き方を、働き方を一つの作品と考える。組織を一つの作品と考える。この前、自分の存在自体をアートにしたいというようなことを言っている人がいて、ピンとこなかったけれど、目指している自分に近きたいということに近いのかもしれない。最近、仕事をしていく上での課題を、ありたい姿、あるべき姿から意思決定するのを想像すると、クリアになる。

 

最近、かっこいいか、かっこ悪いかの判断基準は、自分にとって、これまで結構、重要な判断基準だったことを振り返っていたんだけど、もっと意識してみようかと本を読みながら思った。かっこいいか、かっこ悪いか、好きか、嫌いか、美しいか、美しくないか。自分のものさしで。私が思うかっこいいことも、美しいと思うことも、他人が思うものとは違う。その自分自身のものさしを作り上げていく作業も必要なのではないだろうか。