北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

「幸せ」と「辛い」

小学生の頃、「幸せ」という漢字と「辛い」という漢字が似ていて、間違いやすいな、と思った。

 

漢字を考えた人は、どんなことを考えて、幸せという漢字と、辛いという漢字を似せたのだろうか。

 

そんなことが頭の中に浮かんだ。

 

幸せの中に、辛いが含まれているのではないか。セットというか。辛いという感情は避けてはとおれないというか。

 

幸せの字を分解すると、下は辛い。上は土。土の下に辛い。つまり、表面上には出てこない。

 

幸せに見える人も、土の下に辛いがあるように、辛さを抱えているということなのか。いつでも辛さが顔を出すかもしれないということなのだろうか。

 

辛さはあたりまえのように起こる。

 

その辛さの加減が重要で、一人で乗り越えることができる辛さ、生きづらさと、一人では乗り越えることができない、どうしようもない辛さ、生きづらさがある。

 

それは、私もそうで、この40年振り返っても、乗り越えられないかもしれない、と思ったことは、何度かあった。三度ほどあった。

 

だから時に支えが必要になる。誰もが。

 

私は、福祉を仕事にしている。

 

福祉という漢字は、「福」も「祉」も、「幸せ」に関係する漢字だと聞いたことがある。

 

つまりは、人の幸せに携わる仕事で、先に、述べた「幸せ」と「辛い」の漢字ではないが、一人ではどうしようもない、辛い、生き辛い部分をサポートをする。

 

そんな仕事をしているが、時に、私も、人の支えが必要になることがある。

 

つまり、この社会は、持ちつ、持たれつで、支える側にもなれば、いつ人からの支えが必要になるかわからないのである。