仕事が終わりに差しかかる時間帯から、偏頭痛がして、慌てるように自宅に帰ってきて、頭痛薬を2錠飲み、猫を膝の上に乗せて、撫で、キーボードを叩いている。
キーボードを叩きながら、図書館で借りてきた文學界2018年12月号を読んでいる。
書くことを「仕事」にするという特集記事を読みたくて。
文學界2018年12月号にたどり着く前は、文學界2019年9月号を読んだ。読んだというか、今村夏子の特別エッセイ「むらさきのスカートの女と、私」を読んだ。
むらさきのスカートの女を書くきっかけの話が書かれているエッセイで、物語ができあがる瞬間を垣間見れたというか、そんなエッセイを読んだのはたぶん初めてで、作家がどんなきっかけで物語を書き始めるかというのがおもしろいと思った。
で、私は、文學界2018年12月号を読んでいる。その中に、アウトプットとインプットの話題が載っていて、そういえば、職場で、この前、「〇〇からの推薦図書」という付箋が貼られている本が置いてあるのを思い出した。
学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)
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理念と経営上の合理的判断とのあいだに衝突が起こるとすれば、原因は会社を大きくしすぎていることにあるんじゃないでしょうか。だとすれば、理念を維持しうる適正規模に会社を戻せばいいのだと思います。文學界2018年12月号p20
社会に生きる大多数の人は、どの時点をとってもその瞬間では健康な人々ですから、危機に陥ったときに読むものとしての哲学や批評が、リアルタイムの消費において大衆文化に負けてしまうのは当然のことです。文學界2018年12月号p20
こちらは、いずれも批評家である東浩紀のインタビュー記事で、なるほどなあ、と書くということと関係ない箇所に、妙に、覚えておきたい言葉があった。それにしても批評ってなんだろう?批評家ってなんんだろう?いつものことながら、言葉からなんとなくイメージはつくが、改めて、ネットで調べてみると、評論を仕事にしている者とあり、じゃあ、評論は?となるのだが、評論=批評らしく、ある事象を判断することである。批判とも、とある。
次に気になった記事は、芥川賞作家を輩出する小説講座で、辻本力さんが開催している小説講座のことが書かれている記事。辻本力さんの小説講座から芥川賞作家になった若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』は、読んでみたくて、先日、買った。
その若竹千佐子さんとのやりとりを語るAさんのことが書かれている記事が、なるほど、と思った。
小説の主人公と、実際の自分との間の距離が近すぎると、作品を客観的に見られなくなってしまう上に、それが批評の対象となった時、つまりここでは講座の合評で取り上げられる時に、大きな問題をうむとAさんは話す。「合評では、当然批判されたりすることもあります。それは作品が批判されているわけですけれど、そこで『作者=主人公』になりすぎると、自分が批判されたように感じて感情的になってしまうんです」文學界2018年12月号p32
となると、三人称で書く小説が書きやすいな、とか考えながら。このことは、今後、小説を書く際に、頭の片隅に置いておこうと思った。
武田砂鉄『15日のbeatleg』という記事も良かった。武田砂鉄といえば、『芸能人寛容論』が自宅にあったなあ、と思いながら、まだ読んでいなくて、そんなこともあり、どんな記事を書く人なんだろうか、と『15日のbeatleg』を読んだ。
洋楽ロック専門誌『beatleg magazine』に関する記事で、私は、洋楽ロック雑誌に興味がないのだけど、何か、beatleg magazine』に対する愛というか何というか、感じるものがあり、その記事に登場する『紋切型社会』という本も、読んでみたくなった。
そういえば、Twitterで、田中泰延『読みたいことを、書けばいい』を薦めている人がいて、確かに、書きたいことを書くのはしているけれど、自分が読みたいものを書くという視点に立つと、微妙に書くことが変わるような気もしないでもないなあとか思った。
あと、人に言えないことというか、言いたくないことを書くのは、小説を書く上では、何か大事なことがあるような気がするなあ、わからないけど、と思った。